第118話 鳴神月の呪物 9
文字数 2,815文字
「動物たちの怨念は、村人を襲うことはありませんでした」
「それは……どうして?」
そう言われても結末先に聞いちゃったし、全然安心出来ないんですけど、と嘆く彼を、まあまあ聞いてください、と真久部は宥める。
「術者である老人は別にして、預けられた荷物、つまり術のための小道具だった呪物と一番接していたのは、男であることを思い出してください」
「あ、そうか……宅配便の集積場みたいなものですもんね。男は配達員も兼ねてる」
「そう。男だけが老人から荷物を預かっていた。他に荷運びを頼まれた村人はおらず、独占状態です。けれど本人は正直者の上に欲が無く、どれひとつとして懐に入れたりしなかった。そのため、呪物から洩れた呪い、動物たちの怨念は、どうしたって男に取り付くことが出来なかったんです。せいぜい悪夢を見せたり、小さい怪我をさせたりするくらいでね」
いや、それはそれで結構な被害……と彼が慄いているが、真久部は気づかないふりをしておく。重要なのはそこではないのだ。
「もちろん、彼らは受け取った村人たちのことを呪いましたよ? 男よりもっと良くないことが起こっていたはずです。でも、それとは別に、男のことも彼らは呪いたかった。無理やり術に捻じ曲げられ、のたうつことも出来ない苦しみの内に閉じ込められ、そうして人の欲をそそるモノに作り変えられたというのに、何度自分たちを手に取っても、男は目もくれない。彼らにしてみれば、存在意義を否定されたようなものです。だから恨んだ」
「目もくれない……無視されたから、恨んだ……? 存在……否定……」
真久部の言葉を曖昧に繰り返しながら、答を探すように彼は視線をさまよわせる。
「──えっと、溺れてるのに気づきもされなくて……、絶望のあまり恨んでしまう、みたいな感じ、ですか?」
彼の手繰り寄せた答に、真久部は思わず唇がほころぶのを感じた。かけ離れたようにも聞こえるが、本質はそういうことだ。やっぱり彼は面白い、と心の中で拍手をしていると、真久部を見ていた彼が何故か硬直している。
「……どうしました?」
「い、いや、何でも──」
ありませんよ? と彼が引き攣った笑みを向けてくる。真久部さんは笑顔が怖いだなんて、そんなこと思ってませんから! などとおかしなことを口走っているので、大丈夫、怖くないですよ、というつもりでにっこり笑ってみせると、どうしてか彼は視線を下に向け、黙ってしまった。
「それにしても、いい例えを出してきましたね」
真久部が褒めると、彼は顔を上げた。
「そ、そうですか?」
「ええ。でもどちらかというと、ばしゃばしゃ溺れているふりをしている、という感じでしょうか。助けに来た相手を深みに引き摺り込むために、それはもう必死に。なのに全く気づきもされず、相手はどこか明後日のほうを見ている。そんな道化はもう止めたいのに、苦しくってたまらないのに、自分では止めることが出来ない。惨めで、情けなくて、悔しくて──。そんな感情を相手に転化して恨む、というのが近いんじゃないかな。逆恨みってやつですね」
「……確かに、着ぐるみ着込んで一所懸命愛想ふりまいてるのに、しらーっと無視されたら俺も悲しいかも。仕事だからいいけど、そうじゃなかったら──やっぱり惨めかなぁ。別に恨みはしないけど……、この場合、そんなに軽いもんじゃないでしょうけどね」
そう言って彼は遠い目をする。
商店街で何か催しがあるたびに、彼がマスコット着ぐるみを着こみ、踊ったりチラシ配りをしたりしているのを真久部も知っている。曜日や時間帯、近隣のイベントや天気によっても人通りが変わってくるというから、彼も大変なのだろうなとその情景を思い浮かべて──、彼らも同じように悲しく、また寂しくもあったでしょうね、とそっとつけ加えた。
「……そうやって負の感情が募るのに、<対価無く手に入れた者を呪う>という術の理 により呪いは届かない。だから彼らの理不尽な恨みはさらに深まり──同時に縋りたくなったんですよ。そこまで欲に惑わされない男なら、術で雁字搦めにされた自分たちを、助けてくれるんじゃないかと」
「……」
「彼らは洩れた呪いと怨念を触手のように伸ばし、どうにかして男に縋りつこうとしました。でも、届かない。その狂おしい渇望が、老人の意図しなかったもうひとつの呪い、“呪物自身の呪い”を生み出すに至ったんです」
「それも老人の計算違い、なんですか……?」
「ええ。──それらは男に決して触れることの出来ないまま、しかし離れられず、ただつきまとうだけでしたが、周囲を靄のように取り巻くうち、次第にぐるぐると渦を巻くようになり──いつしか、男が村のあちこちに届けた呪物本体からも、本来の呪いを絡め取るようになったんです」
「──綿あめメーカーで綿あめ作るみたいだ……」
いきなり彼が不可思議なことを言うので、真久部は一瞬言葉を失った。
「綿あめ、ですか……?」
どこからそれが出て来たのだろう、と真久部が首を捻っていると、真剣な顔で彼は続ける。
「やったことないですか、真久部さん。綿あめ作るの……。薄い細い糸が、ぐるぐるするうちにでっかい綿あめになるんですよ……。呪いの綿あめなんて、洒落にならない……そんなのが夜店に売ってたら嫌だなぁ……」
「……」
呪いを夜店の綿あめに例える彼の奇抜な発想に、真久部が唖然としていると、聞いてるだけで呪われそうですよ、と彼は恐ろしそうに両の二の腕を擦っていた。
「でも、ぐるぐる渦を巻くって……なんだか熱帯性低気圧発生、って感じですね」
ってことは、男は南シナ海沖? 呪いの台風の卵発生? などと、彼はさらにトンチンカンなことを呟いている。怖い怖いと震えているくせに、どこからどういう発想からこんなボケ方になるのか、彼はやっぱり面白い、と真久部は彼の反応を愉しく思いつつ、呪いの渦について語った。
「そうですね、熱帯性低気圧、そんな感じです。そこからさらに渦が大きくなって、男はまさに発達した台風の目というところでしょうか、中心だけ静かなのも似てますね。──村でただ一人、多くの魅力的な呪物と接しつつも、正当な報酬としての手間賃以外何も手にしなかった男は、そんなふうにして言わば“空白”とでも言うべき“場”になったんです。──仕掛けた術と、意図しなかった“呪物自身の呪い。その間に生まれた“空白”。それもまた老人の計算外でした」
老人の考えでは、男は呪物を半分くらい抱え込んで“満ちて”いるはずだから、“空白”になどなるはずがなかったのだと、真久部は説明した。
「結果、別の場所で老人が行っていた呪言により呪 いが成就する瞬間、“空白”は“真空”となり、同時に強烈な焦点を結ぶことになったんです」
「それは……どうして?」
そう言われても結末先に聞いちゃったし、全然安心出来ないんですけど、と嘆く彼を、まあまあ聞いてください、と真久部は宥める。
「術者である老人は別にして、預けられた荷物、つまり術のための小道具だった呪物と一番接していたのは、男であることを思い出してください」
「あ、そうか……宅配便の集積場みたいなものですもんね。男は配達員も兼ねてる」
「そう。男だけが老人から荷物を預かっていた。他に荷運びを頼まれた村人はおらず、独占状態です。けれど本人は正直者の上に欲が無く、どれひとつとして懐に入れたりしなかった。そのため、呪物から洩れた呪い、動物たちの怨念は、どうしたって男に取り付くことが出来なかったんです。せいぜい悪夢を見せたり、小さい怪我をさせたりするくらいでね」
いや、それはそれで結構な被害……と彼が慄いているが、真久部は気づかないふりをしておく。重要なのはそこではないのだ。
「もちろん、彼らは受け取った村人たちのことを呪いましたよ? 男よりもっと良くないことが起こっていたはずです。でも、それとは別に、男のことも彼らは呪いたかった。無理やり術に捻じ曲げられ、のたうつことも出来ない苦しみの内に閉じ込められ、そうして人の欲をそそるモノに作り変えられたというのに、何度自分たちを手に取っても、男は目もくれない。彼らにしてみれば、存在意義を否定されたようなものです。だから恨んだ」
「目もくれない……無視されたから、恨んだ……? 存在……否定……」
真久部の言葉を曖昧に繰り返しながら、答を探すように彼は視線をさまよわせる。
「──えっと、溺れてるのに気づきもされなくて……、絶望のあまり恨んでしまう、みたいな感じ、ですか?」
彼の手繰り寄せた答に、真久部は思わず唇がほころぶのを感じた。かけ離れたようにも聞こえるが、本質はそういうことだ。やっぱり彼は面白い、と心の中で拍手をしていると、真久部を見ていた彼が何故か硬直している。
「……どうしました?」
「い、いや、何でも──」
ありませんよ? と彼が引き攣った笑みを向けてくる。真久部さんは笑顔が怖いだなんて、そんなこと思ってませんから! などとおかしなことを口走っているので、大丈夫、怖くないですよ、というつもりでにっこり笑ってみせると、どうしてか彼は視線を下に向け、黙ってしまった。
「それにしても、いい例えを出してきましたね」
真久部が褒めると、彼は顔を上げた。
「そ、そうですか?」
「ええ。でもどちらかというと、ばしゃばしゃ溺れているふりをしている、という感じでしょうか。助けに来た相手を深みに引き摺り込むために、それはもう必死に。なのに全く気づきもされず、相手はどこか明後日のほうを見ている。そんな道化はもう止めたいのに、苦しくってたまらないのに、自分では止めることが出来ない。惨めで、情けなくて、悔しくて──。そんな感情を相手に転化して恨む、というのが近いんじゃないかな。逆恨みってやつですね」
「……確かに、着ぐるみ着込んで一所懸命愛想ふりまいてるのに、しらーっと無視されたら俺も悲しいかも。仕事だからいいけど、そうじゃなかったら──やっぱり惨めかなぁ。別に恨みはしないけど……、この場合、そんなに軽いもんじゃないでしょうけどね」
そう言って彼は遠い目をする。
商店街で何か催しがあるたびに、彼がマスコット着ぐるみを着こみ、踊ったりチラシ配りをしたりしているのを真久部も知っている。曜日や時間帯、近隣のイベントや天気によっても人通りが変わってくるというから、彼も大変なのだろうなとその情景を思い浮かべて──、彼らも同じように悲しく、また寂しくもあったでしょうね、とそっとつけ加えた。
「……そうやって負の感情が募るのに、<対価無く手に入れた者を呪う>という術の
「……」
「彼らは洩れた呪いと怨念を触手のように伸ばし、どうにかして男に縋りつこうとしました。でも、届かない。その狂おしい渇望が、老人の意図しなかったもうひとつの呪い、“呪物自身の呪い”を生み出すに至ったんです」
「それも老人の計算違い、なんですか……?」
「ええ。──それらは男に決して触れることの出来ないまま、しかし離れられず、ただつきまとうだけでしたが、周囲を靄のように取り巻くうち、次第にぐるぐると渦を巻くようになり──いつしか、男が村のあちこちに届けた呪物本体からも、本来の呪いを絡め取るようになったんです」
「──綿あめメーカーで綿あめ作るみたいだ……」
いきなり彼が不可思議なことを言うので、真久部は一瞬言葉を失った。
「綿あめ、ですか……?」
どこからそれが出て来たのだろう、と真久部が首を捻っていると、真剣な顔で彼は続ける。
「やったことないですか、真久部さん。綿あめ作るの……。薄い細い糸が、ぐるぐるするうちにでっかい綿あめになるんですよ……。呪いの綿あめなんて、洒落にならない……そんなのが夜店に売ってたら嫌だなぁ……」
「……」
呪いを夜店の綿あめに例える彼の奇抜な発想に、真久部が唖然としていると、聞いてるだけで呪われそうですよ、と彼は恐ろしそうに両の二の腕を擦っていた。
「でも、ぐるぐる渦を巻くって……なんだか熱帯性低気圧発生、って感じですね」
ってことは、男は南シナ海沖? 呪いの台風の卵発生? などと、彼はさらにトンチンカンなことを呟いている。怖い怖いと震えているくせに、どこからどういう発想からこんなボケ方になるのか、彼はやっぱり面白い、と真久部は彼の反応を愉しく思いつつ、呪いの渦について語った。
「そうですね、熱帯性低気圧、そんな感じです。そこからさらに渦が大きくなって、男はまさに発達した台風の目というところでしょうか、中心だけ静かなのも似てますね。──村でただ一人、多くの魅力的な呪物と接しつつも、正当な報酬としての手間賃以外何も手にしなかった男は、そんなふうにして言わば“空白”とでも言うべき“場”になったんです。──仕掛けた術と、意図しなかった“呪物自身の呪い。その間に生まれた“空白”。それもまた老人の計算外でした」
老人の考えでは、男は呪物を半分くらい抱え込んで“満ちて”いるはずだから、“空白”になどなるはずがなかったのだと、真久部は説明した。
「結果、別の場所で老人が行っていた呪言により