第305話 疫喰い桜 19 終

文字数 2,475文字

──いつもお世話になってます。いきなりで悪いんですが、もし午後から空いてたら、うちの店番をお願いしたいんですが……。

なんと。これは渡りに船、というか地獄で仏!

「今からでも、すぐに行かせていただきますよ!」

前のめりに答える俺に、うれしそうな声が返る。

──いいんですか? 助かります。

「何でも屋ですから! 日常のちょっとしたご不便やお困りごと、何でもお気軽にお申し付けくださっていいんですよ! 店番でも何でも、喜んでやらせていただきます!」

ハキハキ答えて通話を切り、直ちにこの場を立ち去るべく挨拶をしようとした俺に、苦笑しつつ伯父さんが言う。

「あからさまにホッとした顔だねぇ。憎らしいことだ……私の相手はそんなに嫌かい?」

「まさか、嫌だなんて、あはは~……今日はほら、普段行かないところに行ってびっくりしすぎたというか、非日常のオーバーフローで溺れそうというか」

怪しい店だけど、現実の場所にあるだけまだ慈恩堂のほうがマシというか。──伯父さんのことは嫌いじゃない、よ? たぶん。でも苦手なんだよ。

「とにかく! 次の仕事が入ったので。今日はこれで失礼しますね!」

甥っ子の予定は動かすの難しいって、さっきそう言ってたよね、真久部の伯父さん! あ、でもこれだけは──。

「えっと、その。ラーメン屋の御亭主にはよろしくお伝えください!」

ラーメンは、伯父さんのおまけで店に入れただけでも食べられたかもしれないけど、あの甘露なお茶は店主のご好意だったみたいだしさ。

そんな俺に、ふっと伯父さんは笑った。

「直接言えばいいのに。今後は何でも屋さんがあのラーメンを食べたいな、と思えばだいたいは()()()()()()はずだよ」

ひえ~!

「いえ、そんなのもったいないというか。めったに食べられないからこそ、よけいに有り難いというか」

俺以外の人に見えない暖簾なんて、嫌だよ! ──前に、その時は俺と甥っ子の真久部さんにしか見えなかったらしい暖簾を、あの人がどうにかして、たこ焼き屋のシンジと恋人のるりちゃんにも見えるようにしてたけど、俺にそんな芸当できるわけないし。

「ふーん? 私などはいつ食べても美味いがねぇ」

きっと俺だって、あの味には毎回感動するとは思うけど、でもさ。

「特別なもので! スペシャルなものであってほしいんです!」

この世のものではないラーメン屋と知って平気で通えるほど、俺、ずぶとくない。臆病者と笑わば笑え、真久部の伯父さんみたいに、この世とあの世を股にかけて飄々としてるような仙人になるのは無理だ。

「当たり前だとか、思いたくないんです。ほら、報恩謝徳の桜だって、お地蔵様の御慈悲を皆が当たり前だとか思ってたら、きっとあんなにきれいに咲いたりしないでしょう? だからあのラーメンだって、当たり前にしたくないんです。たまに、そう、ごくたまに連れて行っていただくらいで、俺には充分なんですよ」

人には、分相応とか不相応とかあるんです! そう言い置いて、じゃ、これで、と今度こそ逃げようとしたのに。

「あ、そうそう、言い忘れてた」

絶妙のタイミングで掛けられた声。反射的に振り返ると、伯父さんは読もうにもどうにも読めない不思議な笑みを浮かべてる。

「何でも屋さんのその、マスクの鯉のぼりね。コイツの眷属になったから」

「へ?」

鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしているだろう俺に、悪食鯉のループタイを指さしてみせる意地悪仙人──。どういうこと?

()()()ではさ、そうしておくほうが安全だったからさぁ。きみは護りが強いけど、あれだけ大量の“鬼”だ、護るものがひとつでも多いほうがいいからね。偶然だろうが、今日はうってつけの柄にしてくれたもんだよ」

()()()()、散ってきた花びらを一枚ずつ食べてたから、と面白そうに伯父さんは続ける。

「報恩謝徳の桜の……?」

「そう。あ、もちろん“鬼”は喰ってないよ? それはコイツにしか無理だ。だけど貪欲さは受け継いでいるからねぇ。最初に食べたものがものだ、とてもいい()()だから、何でも屋さんを護ってくれるよ。()のコイツは何でも屋さんのこと気に入ってるし、なにより、それはお父さん思いの娘さんの手作りだよね? だからさ」

力は微々たるものだけど、今の悪疫くらいはきみの身体に入る前に喰らってくれるだろう、と笑う。

「私のこのマスクも」

言葉を失った俺に、伯父さんは細長い指で自らの口元を示す。

「鯉の柄なんだよ」

「……え?」

そう言われ、思わず伯父さんお手製だというマスクを凝視してしまった。白地に薄く、何か染め柄が入ってるとは思ったけど、それのどこが鯉柄? 魚の形に見えない──ん? もしや、真ん中にある丸く見える柄は、口……両脇の波線もどきは、まさか鱗?!

「こ、鯉の正面顔?」

硬直する俺を満足げに眺めながら、伯父さんの目元が笑いの形になる。

「眷属にするにはそういうのがいいって()()()が言うから、ろうけつ染めで作ってみたんだよ。なかなか良いデキだろう? 報恩謝徳の桜も、花びら一枚どころか、花をまるまる三つくらい喰らってたしねぇ」

これをしているかぎり、私も新型コロナなんかに罹らないよ、と自信満々に。ニッタリとマスクの下の唇も、きっと笑いの形に吊り上がっているに違いない──。

「~~~!」

俺は逃げた。後も見ずに逃げた。伯父さんの笑い声に追いかけられながら、必死で足を動かした。鯉怖い。鯉怖い。伯父さんと疫喰い桜な悪食鯉の組み合わせ超怖い。眷属なんかが加わったら、鯉の三乗倍々ゲーム! とかわけのわからないことを考えてしまうくらい恐ろしい。

必死で走って息切れした駅前、千円カットの鏡みたいな看板の端。パステルな色合いが、妙に鮮やかになった鯉のぼり柄マスクをした自分が映って、俺は思わず飛び上がった。

ののかの作ってくれたこのマスクまで、あの貪欲鯉の眷属になったって? 俺は、俺はどうしたらいいんだ~!








翌年の春。桜の散る頃。
俺はやっぱりまた、この世ならぬあの場所に連れて行かれてしまった。報恩謝徳の桜満開の、賽の河原に。

ああ、頑張って応援したさ。忌々しくも愛すべき、あの悪食の疫喰い桜を。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み