第111話 鳴神月の呪物 2
文字数 2,135文字
「いらっしゃい」
声を掛けると、入り口近くの棚を不自然に避けながら、何でも屋さんが真久部の座る帳場に近づいて来る。
「そこ、どうかしました?」
分かっていながら訊ねてみる。我ながら悪趣味だと真久部は思う。
「え? いや、何でもないですよ?」
あははは、とわざとらしく笑う様子が微笑ましい。どうやら彼は棚の上の方に乗っている陶器製の鯉の置物が怖いようだが、それを言うつもりは無いらしい。色々あったせいだろう、彼は鯉が苦手になってしまったことに真久部は気づいている。それは十割伯父のせいであり、申しわけないと思ってはいた。
「そうそう、そこの鯉の置物なんだけど」
「っ!」
申しわけないと思うのに、彼が肩をぴくっと跳ねさせたりするので、その反応が面白く、なかなか止められないでいる。
「実はねぇ、香炉なんですよ。背中の鰭の筋が穴になってるでしょう? でも、香を燻らせると中がくすぐったいらしくて……」
語り始めると、へー、そうなんですか、と答える彼の声がまるっきり棒読みで、この話を早く終わらせたいのが丸分かりだ。真久部は唇の端が緩みそうになるのをなんとか堪える。
あの鯉の香炉には、香 を焚くための炭火がすぐ消えてしまうという特性がある。本体が薄い煙をくすぐったがり、身をくねらせてしまうためだ。実は薄い香よりも、パンチの効いた蚊取り線香が好みらしいが、誰もそんなものを焚いてはくれず、同じく陶製の蚊遣り豚を羨ましがっているらしい──、そういう話をこれ以上すると嫌われそうで、真久部は自粛することにした。何でも屋さんは貴重な店番要員なのだ、大切にしなければならない。
「ところで、今日はどんなご用でしょう?」
さらっと話題を変える。真久部の語る“怖い話”をどうかわそうかと悩んでいたらしく、彼はすぐに食いついてきた。
「あ、そうそう。今ちょっとね、探し物のお手伝いしてるんですよ。空いた時間でいいってことだから──。あの、慈恩堂では刀剣を扱うことってありますか?」
「うーん、うちでは基本、取り扱わないねぇ。稀に預かることもあるけど、店に出すことは滅多にないよ」
「そうですか……」
そう言えば、この店の中では見たことなかったですね、と彼は考え込むようだった。
「真久部さんの知り合いのお店で、扱ってるとこありませんか?」
「一番近いところだと──」
二つばかり知っている店名を挙げると、彼は軽く肩を落とした。
「あー、そこは依頼主さんがもう探しに行ったって聞いてる店です。そうですよね、ああいうの、どこの骨董品屋にでも置いてるってわけじゃないですよねぇ……」
「店によって、特色があるといえばありますから」
「……ですよね」
彼は何やら遠い目で店の中を見回している。どうせうちの店は相変わらず気味が悪いとか考えているのだろうな、と真久部は内心で苦笑する。それでも、初めの頃はびくびくしていたのが、最近は諦めが混じってきたようで、ある種のふてぶてしさが感じられるようになった。良いことだ、と真久部は思っている。
今も、例の金魚が彼の周囲をぐるっと巡るように泳いでいるのだが、彼は気がついていないらしい。たまに尾鰭が頬を撫でていく時だけ、無意識にか首を振り、撫でられた辺りを手のひらで擦っている。
面白いな、と思って眺めていると、金魚は真久部の方にも泳いできた。見えていないと高をくくったか、真正面からすいっと突っ込んでくる。その瞬間、閉じた扇子を懐から取り出してさりげなく振ると、金魚は親骨に弾かれてどこかに消えた。
「……どうしたんですか?」
脈絡無くいきなり扇子を振ったように見えたのだろう、彼は不思議そうな顔をしている。
「ちょっとね。──聞きたいですか?」
にっこり笑って訊ねてみると、ぶるぶると首を振られた。残念だ、と真久部は思う。彼なら見ようとすればあの金魚も見えるのに。
「遠慮しておきます。もうそろそろ昼だし──」
そう言いながら、彼は携帯を取り出した。時間を見るためだろう。この店の時計があまり信用出来ないことを、彼は知っているのだ。その手にあるのは今時ガラケーだが、真久部も同じくガラケーなので、人のことは言えない。いい加減スマホにしろとたまに伯父に言われるが、特に不自由していないので変えるつもりは無い。
何やら着信があったらしく、真久部に断って店の隅で電話を掛ける彼を見ながら、真久部は考える。暇だし、どうやって彼を引き止めようか。
誰も聞いてくれない骨董古道具の話を嫌々ながらも聞いてくれる彼は、真久部にとって楽しい話し相手だ。ご老人方に人気があるのも頷ける。次が仕事ならば無理は言わないが、昼食のために帰るというなら、ここで自分と一緒に食べていけばいいじゃないかと真久部は思う。うな重(松)や特上寿司の出前を取ってもいい。彼とのひと時にはそれだけの価値がある。──調子に乗って怖がらせすぎないように気をつけないといけないが。
真久部が帳場の抽斗に入れてある出前メニューを引っ張り出そうとした時、彼の電話の相手が出たようだ。
その瞬間、真久部は物凄く嫌な感じがした。
声を掛けると、入り口近くの棚を不自然に避けながら、何でも屋さんが真久部の座る帳場に近づいて来る。
「そこ、どうかしました?」
分かっていながら訊ねてみる。我ながら悪趣味だと真久部は思う。
「え? いや、何でもないですよ?」
あははは、とわざとらしく笑う様子が微笑ましい。どうやら彼は棚の上の方に乗っている陶器製の鯉の置物が怖いようだが、それを言うつもりは無いらしい。色々あったせいだろう、彼は鯉が苦手になってしまったことに真久部は気づいている。それは十割伯父のせいであり、申しわけないと思ってはいた。
「そうそう、そこの鯉の置物なんだけど」
「っ!」
申しわけないと思うのに、彼が肩をぴくっと跳ねさせたりするので、その反応が面白く、なかなか止められないでいる。
「実はねぇ、香炉なんですよ。背中の鰭の筋が穴になってるでしょう? でも、香を燻らせると中がくすぐったいらしくて……」
語り始めると、へー、そうなんですか、と答える彼の声がまるっきり棒読みで、この話を早く終わらせたいのが丸分かりだ。真久部は唇の端が緩みそうになるのをなんとか堪える。
あの鯉の香炉には、
「ところで、今日はどんなご用でしょう?」
さらっと話題を変える。真久部の語る“怖い話”をどうかわそうかと悩んでいたらしく、彼はすぐに食いついてきた。
「あ、そうそう。今ちょっとね、探し物のお手伝いしてるんですよ。空いた時間でいいってことだから──。あの、慈恩堂では刀剣を扱うことってありますか?」
「うーん、うちでは基本、取り扱わないねぇ。稀に預かることもあるけど、店に出すことは滅多にないよ」
「そうですか……」
そう言えば、この店の中では見たことなかったですね、と彼は考え込むようだった。
「真久部さんの知り合いのお店で、扱ってるとこありませんか?」
「一番近いところだと──」
二つばかり知っている店名を挙げると、彼は軽く肩を落とした。
「あー、そこは依頼主さんがもう探しに行ったって聞いてる店です。そうですよね、ああいうの、どこの骨董品屋にでも置いてるってわけじゃないですよねぇ……」
「店によって、特色があるといえばありますから」
「……ですよね」
彼は何やら遠い目で店の中を見回している。どうせうちの店は相変わらず気味が悪いとか考えているのだろうな、と真久部は内心で苦笑する。それでも、初めの頃はびくびくしていたのが、最近は諦めが混じってきたようで、ある種のふてぶてしさが感じられるようになった。良いことだ、と真久部は思っている。
今も、例の金魚が彼の周囲をぐるっと巡るように泳いでいるのだが、彼は気がついていないらしい。たまに尾鰭が頬を撫でていく時だけ、無意識にか首を振り、撫でられた辺りを手のひらで擦っている。
面白いな、と思って眺めていると、金魚は真久部の方にも泳いできた。見えていないと高をくくったか、真正面からすいっと突っ込んでくる。その瞬間、閉じた扇子を懐から取り出してさりげなく振ると、金魚は親骨に弾かれてどこかに消えた。
「……どうしたんですか?」
脈絡無くいきなり扇子を振ったように見えたのだろう、彼は不思議そうな顔をしている。
「ちょっとね。──聞きたいですか?」
にっこり笑って訊ねてみると、ぶるぶると首を振られた。残念だ、と真久部は思う。彼なら見ようとすればあの金魚も見えるのに。
「遠慮しておきます。もうそろそろ昼だし──」
そう言いながら、彼は携帯を取り出した。時間を見るためだろう。この店の時計があまり信用出来ないことを、彼は知っているのだ。その手にあるのは今時ガラケーだが、真久部も同じくガラケーなので、人のことは言えない。いい加減スマホにしろとたまに伯父に言われるが、特に不自由していないので変えるつもりは無い。
何やら着信があったらしく、真久部に断って店の隅で電話を掛ける彼を見ながら、真久部は考える。暇だし、どうやって彼を引き止めようか。
誰も聞いてくれない骨董古道具の話を嫌々ながらも聞いてくれる彼は、真久部にとって楽しい話し相手だ。ご老人方に人気があるのも頷ける。次が仕事ならば無理は言わないが、昼食のために帰るというなら、ここで自分と一緒に食べていけばいいじゃないかと真久部は思う。うな重(松)や特上寿司の出前を取ってもいい。彼とのひと時にはそれだけの価値がある。──調子に乗って怖がらせすぎないように気をつけないといけないが。
真久部が帳場の抽斗に入れてある出前メニューを引っ張り出そうとした時、彼の電話の相手が出たようだ。
その瞬間、真久部は物凄く嫌な感じがした。