第289話 疫喰い桜 3
文字数 2,122文字
「怖いっていうなら、今はラーメン怖いです! もちろん、饅頭怖い的な意味でですけど」
ここのラーメン、美味しすぎて、と俺は続ける。
「前にご馳走になったとき、おかわりあったら何杯でも食べられるって思いましたもん。瞬間風速ならぬ瞬間食欲がどーんと。あの美味しさは本当に」
伯父さんのほうを見ないようにしながら、そんなことを言ってみる。
「ふーん?」
疑わしそうな声。でも、悟られるわけにはいかない。本当の気持ちを──。
怖いに決まってるさ! どこでもない、ここでもない、そこでもあって、ここでもある、らしいこんな場所で、店主は人ではないらしいし。でも、俺の目に見えるのは、ただのラーメン屋。カウンターがあって内側が厨房になってて、こちら側には椅子があって──。
「ラーメン怖い、ねぇ……」
俺の心を見透かすように、意地悪仙人はじっとこっちを見てるけど、気づかぬふりで。代わりに、カウンターの向こうを熱心に見つめてみたりする。
でっかい鍋にお湯が滾っていて、店主が巨大茶漉しの底をぎゅーっと伸ばしたような道具で麺を茹でている。その白い割烹着が、ほのかに発光しているように見え……いやいや、白い服って、ハレーションを起こしがちだよね! 天気の良い日に外で見る白はとても眩しいものだし、これくらいはフツーだよ、うん。
店の照明はそこまで明るくないかも、とか考えてはいけない。だって、甥っ子のほうの真久部さんが言ってたみたいに、店主の輪郭はまだ透けては見えない……って。まだ、って何だよ、まだって。俺としたことが。でも、麺を入れたどんぶりにスープを注いで軽くほぐし、チャーシューや仕上げのナルトを丁寧にのせるその指先が、淡く光って見えるような……。
いやいや、そんなの気のせい気の迷い。はっはっは!
などと、いらないことを考えないでおこうと必死になっていると、「お待ち」と、おっとりした声。いつの間にか出来上がっていたラーメンが俺と伯父さんの前に置かれ、ふわっと湯気が揺れて……うわあ、美味そう!
一瞬で、何かが飛んだ。
穏やかに微笑む店主に、俺は辛うじて「いただきます!」とだけ返した。もどかしく割り箸を割って、まずはスープ。くうっ……! 濃厚なのにあっさりと、舌の上でとろける! 次に麺。こしがあって、つるっつる。スープがいい感じに絡んで……チャーシューもやわらかすぎず、固すぎず、しっかりお肉の味。なのにスープの邪魔はせず、だから麺もスープも啜って啜って、いくらでも食べられる。ナルトが意外なアクセントになってしこしこで──はあ、美味かった。
すっごい満足感……。
「──美味そうに食べるねぇ、何でも屋さん」
苦笑しつつも、同じようにスープを飲み干す真久部の伯父さん。あれ? 俺、すっかりこの人のこと忘れてた。
「……ラーメン、怖い」
隣の人の怖さを忘れるくらいの、本当に怖いほどの美味しさ。
「なら、もう一杯いくかい?」
饅頭怖いに肖ってみるかい、と悪戯な声に、俺は我に返って首を振った。
「いえいえ。これで充分です。一日十食限定なんでしょう? こんな美味しいラーメン、できるだけたくさんの人に食べてもらいたいですもん」
そりゃ、あと一杯や二杯余裕でいけそうだけど、ここは幻のお店。この一杯食べられただけで幸運なんだから、心はそれで満足満腹。
「だってさ、大将」
伯父さんが店主に向かって言う。
「足るを知る。何でも屋さんは、合格だよねぇ」
店主は微笑むだけで、何も言わない。ただ、水を入れたコップを出してくれた。ありがたくいただく。はぁ、ラーメンのあとのただの水が甘露甘露。
飲み干して、ふと隣を見ると、伯父さんが何やら苦い顔をしていた。
「こら。お前はまたこういうことを」
え、俺? 一瞬びくっとしたけど、違うみたいだ。スタイリッシュな意地悪仙人は、俺の苦手なあの鯉のループタイを首元からずらし、目の前に持ってきていた。
「澄んだ水は嫌いなはずだろう──? 人が飲もうとしているものを横取りするとは、どういうことだ」
空っぽになったコップを片手に、伯父さんが窘めている。
「……」
丑の刻参りにヘビーユーズされていたという桜の材、それで彫られた鯉。悪 食 なアイツのツヤが、ちょっとだけ落ち着いてる──?
「ん? 何でも屋さんがあんまり美味そうに飲むから、飲んでみたくなった?」
「え……?」
俺のせい? っていうか、鯉のループタイ、物理で飲食できるの──? 古い道具に育った良くない性 だか何だか、そういう眼に見えないモノを食べてるんじゃあ?
……
……
いくら真久部さんが説明してくれても、そこだけ耳がぐにゃっとなって聞き取れない何か。そのモノの名前。過ぎれば人を害することもあるというソレは、古い道具を彩るものでもあり、人の心の中にも存在するという……。
「何でも屋さんは、お前のように**を食べて生きているわけではないんだぞ?」
ほらね、伯父さんが言っても、俺にはそこだけ聞こえない。ってか、その「生きてる」は俺だけに掛かってるんだと思いたい。……確認する勇気はないけど。
「悪食のお前といっしょにするな。……何? 何でも屋さんも**を喰ってみればいいのに、だと? 阿呆、そんなことをしたら、普通の人間ではなくなるわ」
ひえ~!
ここのラーメン、美味しすぎて、と俺は続ける。
「前にご馳走になったとき、おかわりあったら何杯でも食べられるって思いましたもん。瞬間風速ならぬ瞬間食欲がどーんと。あの美味しさは本当に」
伯父さんのほうを見ないようにしながら、そんなことを言ってみる。
「ふーん?」
疑わしそうな声。でも、悟られるわけにはいかない。本当の気持ちを──。
怖いに決まってるさ! どこでもない、ここでもない、そこでもあって、ここでもある、らしいこんな場所で、店主は人ではないらしいし。でも、俺の目に見えるのは、ただのラーメン屋。カウンターがあって内側が厨房になってて、こちら側には椅子があって──。
「ラーメン怖い、ねぇ……」
俺の心を見透かすように、意地悪仙人はじっとこっちを見てるけど、気づかぬふりで。代わりに、カウンターの向こうを熱心に見つめてみたりする。
でっかい鍋にお湯が滾っていて、店主が巨大茶漉しの底をぎゅーっと伸ばしたような道具で麺を茹でている。その白い割烹着が、ほのかに発光しているように見え……いやいや、白い服って、ハレーションを起こしがちだよね! 天気の良い日に外で見る白はとても眩しいものだし、これくらいはフツーだよ、うん。
店の照明はそこまで明るくないかも、とか考えてはいけない。だって、甥っ子のほうの真久部さんが言ってたみたいに、店主の輪郭はまだ透けては見えない……って。まだ、って何だよ、まだって。俺としたことが。でも、麺を入れたどんぶりにスープを注いで軽くほぐし、チャーシューや仕上げのナルトを丁寧にのせるその指先が、淡く光って見えるような……。
いやいや、そんなの気のせい気の迷い。はっはっは!
などと、いらないことを考えないでおこうと必死になっていると、「お待ち」と、おっとりした声。いつの間にか出来上がっていたラーメンが俺と伯父さんの前に置かれ、ふわっと湯気が揺れて……うわあ、美味そう!
一瞬で、何かが飛んだ。
穏やかに微笑む店主に、俺は辛うじて「いただきます!」とだけ返した。もどかしく割り箸を割って、まずはスープ。くうっ……! 濃厚なのにあっさりと、舌の上でとろける! 次に麺。こしがあって、つるっつる。スープがいい感じに絡んで……チャーシューもやわらかすぎず、固すぎず、しっかりお肉の味。なのにスープの邪魔はせず、だから麺もスープも啜って啜って、いくらでも食べられる。ナルトが意外なアクセントになってしこしこで──はあ、美味かった。
すっごい満足感……。
「──美味そうに食べるねぇ、何でも屋さん」
苦笑しつつも、同じようにスープを飲み干す真久部の伯父さん。あれ? 俺、すっかりこの人のこと忘れてた。
「……ラーメン、怖い」
隣の人の怖さを忘れるくらいの、本当に怖いほどの美味しさ。
「なら、もう一杯いくかい?」
饅頭怖いに肖ってみるかい、と悪戯な声に、俺は我に返って首を振った。
「いえいえ。これで充分です。一日十食限定なんでしょう? こんな美味しいラーメン、できるだけたくさんの人に食べてもらいたいですもん」
そりゃ、あと一杯や二杯余裕でいけそうだけど、ここは幻のお店。この一杯食べられただけで幸運なんだから、心はそれで満足満腹。
「だってさ、大将」
伯父さんが店主に向かって言う。
「足るを知る。何でも屋さんは、合格だよねぇ」
店主は微笑むだけで、何も言わない。ただ、水を入れたコップを出してくれた。ありがたくいただく。はぁ、ラーメンのあとのただの水が甘露甘露。
飲み干して、ふと隣を見ると、伯父さんが何やら苦い顔をしていた。
「こら。お前はまたこういうことを」
え、俺? 一瞬びくっとしたけど、違うみたいだ。スタイリッシュな意地悪仙人は、俺の苦手なあの鯉のループタイを首元からずらし、目の前に持ってきていた。
「澄んだ水は嫌いなはずだろう──? 人が飲もうとしているものを横取りするとは、どういうことだ」
空っぽになったコップを片手に、伯父さんが窘めている。
「……」
丑の刻参りにヘビーユーズされていたという桜の材、それで彫られた鯉。
「ん? 何でも屋さんがあんまり美味そうに飲むから、飲んでみたくなった?」
「え……?」
俺のせい? っていうか、鯉のループタイ、物理で飲食できるの──? 古い道具に育った良くない
……
……
いくら真久部さんが説明してくれても、そこだけ耳がぐにゃっとなって聞き取れない何か。そのモノの名前。過ぎれば人を害することもあるというソレは、古い道具を彩るものでもあり、人の心の中にも存在するという……。
「何でも屋さんは、お前のように**を食べて生きているわけではないんだぞ?」
ほらね、伯父さんが言っても、俺にはそこだけ聞こえない。ってか、その「生きてる」は俺だけに掛かってるんだと思いたい。……確認する勇気はないけど。
「悪食のお前といっしょにするな。……何? 何でも屋さんも**を喰ってみればいいのに、だと? 阿呆、そんなことをしたら、普通の人間ではなくなるわ」
ひえ~!