第13話 後日談 2

文字数 2,895文字

端布、とはとうてい言えないような、色とりどりのきれいな布をいくつも使った、贅沢な逸品。だけど、縫い目が微妙に不器用。

特に、あの部分。今、ちょうど手前に見えている、ピンクの濃淡で描かれた、桃の実と桃の花を組み合わせた模様。変わった形だなぁ、と思って見てたから、よく覚えてる。

何でこれがここに? これは、以前、慈恩堂店主が吽形の狛犬と一緒にどこかへ届けに行ったはず……。

「ああ、ここにいらっしゃったんですか」

後ろからの声に、俺は思わず飛び上がりそうになった。

「す、すみません、百日紅さん。迷ってしまって……」

他人の家をこそこそ探るような怪しい人間だと思われたらどうしよう。ビクビクしながら頭を下げる。そんな俺に、この家の主人はにこにこ笑いながらさらっと告げた。

「お気になさらず。この家に来て迷った人は、必ずここに辿り着くんですよ」

なんじゃ、そりゃ? びっくりして、俺はまじまじと百日紅氏の顔を見つめた。構造上の問題? 騙し絵の家? 下ってるように見えて実は登ってる坂道とか、そういうこと?

考え込んでしまった俺に、氏は言葉を続ける。

「不心得な人の場合は、どこにも着かずに延々と廊下を迷うことになってます。いつだったか、帰ったふりをしてうちの中を漁ろうとした男がありましてね。その男は、丸一日迷い続けたそうです」

「まるいちにち?」

「そうです。丸一日です。不思議なことに、男が迷っている間、うちの者は誰もそのことに気づきませんでした。彼はずっと廊下を歩いていたと言うんですが、誰もその姿を見なかったんです」

「それって……何だか狐に化かされたみたい、ですね」

山道で、迷ったと思ったら、同じ所をぐるぐる歩いてた、みたいな話は聞いたことがある。

「その男、それから高熱を出して三日くらい寝込んだんですが、しきりに『子供が……子供が……』と言って魘されてました。熱が下がった後に聞いても、何も覚えてなかったですが」

「そうなんですか……」

とりあえずそう答えてみたものの、俺の声は震えてたかもしれない。
……この家って、もしかしなくても、慈恩堂と同じくらい怖くないか?

俺の心の声が聞こえたんだろうか。百日紅氏は安心させるように俺の肩をぽん、と叩いて言った。

「怖がらなくても大丈夫です」

「はあ……」

そう言われても、なぁ。

「この家に来た人全員が迷うわけではありませんよ。迷わない人の方が多いです。迷ったといっても、この部屋にたどり着いた人の場合は、単に、呼ばれたというだけのことですし」

「だ、誰に?」

ここって、家族の誰かの部屋だったりするのか? ……まるで生活感がないけど。どっからどう見ても屋敷内神社。

「代々の言い伝えによると、この狛犬が呼ぶのだということです」

「狛犬が……」

むくむくの大型犬の仔犬のような大きさの、この阿吽たちが?

「……呼ばれると、どうなるんですか?」

「別段、悪いことは起こりません。特に良いことも起こらないということですがね」

百日紅氏は悪戯っぽく笑った。。

「ただ、この狛犬は甘えん坊で、気に入った人間が来ると自分たちのところに呼ぶのだそうです。そういう時は、頭を撫でてやると喜ぶのだと言い伝えられています。」

うーん。その行動は、まるきり遊んで欲しがりのわんこ。本当だとすれば。

「さ、せっかくだから、撫でていってください。そうそう、こちらの阿形がこの五月に盗まれましてね。あの時は慈恩堂さんにお世話になりました」

「ぬ、盗まれた?」

俺はまじまじと、ぱかっと口を開けている阿形の狛犬を見た。……俺の知ってる神社の狛犬の阿形と比べると、幾分のどかな顔をしているような。だけど、俺が慈恩堂で見たのは……。

「盗まれたのは、吽形の方じゃないですか? おれ、いや、私、慈恩堂の店で見た覚えが」

見ただけじゃなくて、うっかり尻というか太腿に敷いてしまった覚えが。

えーと。そうだ、あの日。

あの日は、攫われたお兄ちゃんを探しに来たんだといって、どこかの子供が慈恩堂を訊ねてきたんだっけ。あの子、いつの間にか姿が見えなくなって……俺が心配してたら……。



「大丈夫。僕の持ってるこれ」

そう言って、店主は懐をぽん、とたたいた。

「これの匂いに安心して、ちゃんと大人しくついて来るでしょう」



あの時の店主の言葉、思い出した。

これの匂い、と彼が言っていた<これ>というのが、今、目の前の阿形の狛犬が座ってる敷物で……たしか、この敷物は攫われた子のお気に入りだって聞いたような……。

あれ、あれ、あれれ。だんだんわけが分からなくなってきた。

「いえ、阿形ですよ。吽形の方は無事でした。本当は阿吽両方とも持って行きたかったんでしょうが、私が駆けつけたのが早かったので、片方だけで諦めたんだと思います」

「防犯装置が作動したんですか?」

こんな大きな家だと、セ○ムとかア○ソックとか、やっぱり必要になってくるんだろうなぁ。そう思いながら訊ねたら、百日紅氏は首を振った。

「うちにはそういったものはありません。これまでは必要ではなかったので……」

かすかに溜息をつく百日紅氏。

「これまで、とは?」

「不心得者が侵入しても、当家の場合、その者は延々と廊下を迷うはめになるという話を先ほどいたしましたが」

「ああ……」

本当だとしたら、最高のセキュリティだよな、ある意味。って、ん? 無事に戻ったとはいえ、一度はここの狛犬が片方盗まれたんだから、万全ではないってことか?

「内側から手引きする者がおりましてね。その者がこの場所まで侵入者を案内したんですよ。でなければ、狛犬を片方だけとはいえ、盗んで行くなど不可能です。普通は、まずここまで辿り着けませんから」

「誰がそんなことを……?」

「──不肖の弟です」

俺の問いに百日紅氏は答え、肩を落とした。

「末っ子のせいか両親が甘やかしたもので、就職しても続きませんでね。定職に就かず、ぶらぶらと。何か事業をやるといってはすぐ失敗し、無心に来るのですが、本人のためにならないと思い、最近では断るようになっていたのです。それが悪かったというか」

あー、なんか、金持ちの家によくある話だなぁ。当事者にとってはシャレにならないんだろうけど。

「ちょくちょく倉から小物を持ち出して売ったりしてるのは知ってたんですが、少しくらいなら、と目をつぶっておりました」

それも悪かったんですね、と百日紅氏は嘆いた。

「そうこうしているうちに、タチの悪い骨董品屋に目を付けられたようで。大金になるからと、盗みの手引きをするように唆されたようです」

子供の頃はあんなに遊んでもらったくせに、その相手を売り飛ばそうとするなんて、と重い溜息をつく百日紅氏。

遊んでもらった相手を、売り飛ばす……?
その時、盗まれたのって狛犬だよな?

えーと。おっしゃっていることが一部理解不能です、百日紅さん。

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