第204話 ドンマイ!
文字数 2,093文字
「いや、その……」
俺はじりっと腰を浮かせた。
「考えてみたら、べ、別に知らなくてもいいかなー、なんて……あはは。じゃ!」
そっと茶碗を置き、ごちそうさまだけ言って素早く立ち上がろうとしたら、その一拍の間に帳場から小さな声がぽつん、と聞こえた。
「……怖い話じゃないのにな」
「え?」
絶妙の間に、思わず振り返ると、真久部さんがうつむいていた。表情が見えない。
「水無瀬さんね、昨日、わざわざお礼の電話をくださったんですよ……いい人を紹介してくれたって……。何でも屋さんの仕事ぶりに、とても感心されててねぇ……」
「……」
「僕としても、この町自慢の何でも屋さんを褒められて鼻が高かったから……、労いたいと思って“卯 まかつ”のカツサンド、買っておいたんだけどなぁ……何でも屋さん、この時間帯はいつも調整で開けてるから、今日もきっとお昼には、昨日の首尾を話しに来てくれると思ってねぇ……」
トンカツ専門店“卯まかつ”のカツサンドって、一日限定三十個、出たらそっこうで売り切れるっていう噂の……? しかも販売日が未定で、いつ売り出されるかわからないとかいう幻の……。奇跡的にその日最後の一個をゲットしたらしい神埼の爺さんが、あれは絶品と評してたっけ……。
「……」
ゴクリ、と喉が鳴る。早めの昼食、もう済ませて来たのに。──いや、いかんいかん、ここで食い気に負けたらまたいつものように怖い話を聞かされてしま……。
「ミネストローネスープだって作っておいたんだけどなぁ……このあいだ、何でも屋さんにも好評だったし……」
「……」
真久部さんのミネストローネスープも、絶品……。
「でも……そうですよね、僕が悪いんですよね……。いつもつい、ついついうっかり何でも屋さんを怖がらせてしまうから……、信用されなくても、しょうがないですよねぇ……」
両手で包んだ湯呑みを見つめながら、独り言みたいにぽそぽそ続ける真久部さん。その姿が、教室にぽつんとひとり佇む影の薄い転校生みたいで……。
「いや! 信じてますよ、俺。真久部さんのこと……」
信じてるけど、信用できないというか、悪意はないけど悪戯心を感じるというか、害はなくても精神的にダメージというか、なんかこう、俺の限界を見極めて、そのギリギリのラインを突いてくるのがどうも……。
「本当に……?」
「ほ、本当ですよ……?」
そうは言ってみたものの、自分の言葉に自信がない……。
「でも、さっきは来た早々なのに帰ろうとしてましたね……」
う。
「いや、その……」
言葉に詰まる。真久部さんも下を向いたまま黙ってる。
「……」
「……」
沈黙が重い。あー、急ぎの突発依頼でも入らないかなぁ。迷子ペットの保護とか……そういえば去年、冬至のちょうど昼飯時に、引っ越してきたばかりの家から脱走した犬の、緊急捜索を頼まれたことあったっけなぁ……。元気かな、野良猫を追いかけて、代わりに仔猫拾ってきた柴わんこの豆虎くん。って、昨日ご主人の御堂さんに連れられて、元気に散歩してるの見かけたけどさ──。
逃避していると、またぽつんと呟く声が聞こえた。
「不気味ですもんね、うちの店……」
「……」
「正直に言っていいですよ、何でも屋さん……。僕のことだって、本当は気味が悪いと思ってるんでしょう?」
「いや! そんなことないですよ!」
店は時々不気味だけど。真久部さんは──怪しくて胡散臭いだけだ。
「店はもう慣れたっていうか……」
慣れないと、とてもここの店番なんかこなせないっていうか……。だからつまり、『見ない見えない聞こえない。全ては気のせい気の迷い』──! 何でも屋版・慈恩堂店番時心得を心の中で復唱していると、するっと真久部さんがたずねてくる。
「怖くないですか……?」
「まあ、初めの頃を思えば……」
平気ってわけじゃないけど、店の隅っこで何かの気配がしても知らん顔でスルーできるし。無意識に折り紙折ってて、途中で我に帰っても驚かなくなったし。
「じゃあ、水無瀬さんの話を聞くぐらい、へのかっぱのかっぱっぱですよね」
「かっぱっぱって、何ですか。そうじゃなくてですね……」
それとこれとは別、と言いかけて、俺はさっさと逃げ出さなかったことを後悔した。いつの間にか顔を上げ、こっちを見てる真久部さん。逃げ場をなくした獲物を見る猫のような顔で、にーっこりしてる。
「いやー、そう言ってもらえてよかったです。さすがは何でも屋さん、これからお得意様になるだろう顧客の情報は、やっぱり押さえておかないとねぇ。さあさあ、すぐに用意しますから、上がって待っててくださいね!」
それだけ言うと、畳部屋の真ん中の、ちゃぶ台改造コタツのスイッチをぱちんと入れて、ささっと台所に通じる戸の向こうに消えてしまった。
ぴたりと閉まった戸、暖簾だけが揺れてる。
チックタックチックタック……
チッチッチッチ……
チッ……クン……タッ……クン……
チッチチーチーチッチ チッチチー……
「……」
古時計たちの音を聞きながら立ち尽くす俺。
「やられた……」
ボーォンボゴゴーォンボーンボーン
呟いた瞬間、重なった正時の鐘が示すのは午後一時。
古時計たちが、ドンマイ! って言ってるみたいだった。
俺はじりっと腰を浮かせた。
「考えてみたら、べ、別に知らなくてもいいかなー、なんて……あはは。じゃ!」
そっと茶碗を置き、ごちそうさまだけ言って素早く立ち上がろうとしたら、その一拍の間に帳場から小さな声がぽつん、と聞こえた。
「……怖い話じゃないのにな」
「え?」
絶妙の間に、思わず振り返ると、真久部さんがうつむいていた。表情が見えない。
「水無瀬さんね、昨日、わざわざお礼の電話をくださったんですよ……いい人を紹介してくれたって……。何でも屋さんの仕事ぶりに、とても感心されててねぇ……」
「……」
「僕としても、この町自慢の何でも屋さんを褒められて鼻が高かったから……、労いたいと思って“
トンカツ専門店“卯まかつ”のカツサンドって、一日限定三十個、出たらそっこうで売り切れるっていう噂の……? しかも販売日が未定で、いつ売り出されるかわからないとかいう幻の……。奇跡的にその日最後の一個をゲットしたらしい神埼の爺さんが、あれは絶品と評してたっけ……。
「……」
ゴクリ、と喉が鳴る。早めの昼食、もう済ませて来たのに。──いや、いかんいかん、ここで食い気に負けたらまたいつものように怖い話を聞かされてしま……。
「ミネストローネスープだって作っておいたんだけどなぁ……このあいだ、何でも屋さんにも好評だったし……」
「……」
真久部さんのミネストローネスープも、絶品……。
「でも……そうですよね、僕が悪いんですよね……。いつもつい、ついついうっかり何でも屋さんを怖がらせてしまうから……、信用されなくても、しょうがないですよねぇ……」
両手で包んだ湯呑みを見つめながら、独り言みたいにぽそぽそ続ける真久部さん。その姿が、教室にぽつんとひとり佇む影の薄い転校生みたいで……。
「いや! 信じてますよ、俺。真久部さんのこと……」
信じてるけど、信用できないというか、悪意はないけど悪戯心を感じるというか、害はなくても精神的にダメージというか、なんかこう、俺の限界を見極めて、そのギリギリのラインを突いてくるのがどうも……。
「本当に……?」
「ほ、本当ですよ……?」
そうは言ってみたものの、自分の言葉に自信がない……。
「でも、さっきは来た早々なのに帰ろうとしてましたね……」
う。
「いや、その……」
言葉に詰まる。真久部さんも下を向いたまま黙ってる。
「……」
「……」
沈黙が重い。あー、急ぎの突発依頼でも入らないかなぁ。迷子ペットの保護とか……そういえば去年、冬至のちょうど昼飯時に、引っ越してきたばかりの家から脱走した犬の、緊急捜索を頼まれたことあったっけなぁ……。元気かな、野良猫を追いかけて、代わりに仔猫拾ってきた柴わんこの豆虎くん。って、昨日ご主人の御堂さんに連れられて、元気に散歩してるの見かけたけどさ──。
逃避していると、またぽつんと呟く声が聞こえた。
「不気味ですもんね、うちの店……」
「……」
「正直に言っていいですよ、何でも屋さん……。僕のことだって、本当は気味が悪いと思ってるんでしょう?」
「いや! そんなことないですよ!」
店は時々不気味だけど。真久部さんは──怪しくて胡散臭いだけだ。
「店はもう慣れたっていうか……」
慣れないと、とてもここの店番なんかこなせないっていうか……。だからつまり、『見ない見えない聞こえない。全ては気のせい気の迷い』──! 何でも屋版・慈恩堂店番時心得を心の中で復唱していると、するっと真久部さんがたずねてくる。
「怖くないですか……?」
「まあ、初めの頃を思えば……」
平気ってわけじゃないけど、店の隅っこで何かの気配がしても知らん顔でスルーできるし。無意識に折り紙折ってて、途中で我に帰っても驚かなくなったし。
「じゃあ、水無瀬さんの話を聞くぐらい、へのかっぱのかっぱっぱですよね」
「かっぱっぱって、何ですか。そうじゃなくてですね……」
それとこれとは別、と言いかけて、俺はさっさと逃げ出さなかったことを後悔した。いつの間にか顔を上げ、こっちを見てる真久部さん。逃げ場をなくした獲物を見る猫のような顔で、にーっこりしてる。
「いやー、そう言ってもらえてよかったです。さすがは何でも屋さん、これからお得意様になるだろう顧客の情報は、やっぱり押さえておかないとねぇ。さあさあ、すぐに用意しますから、上がって待っててくださいね!」
それだけ言うと、畳部屋の真ん中の、ちゃぶ台改造コタツのスイッチをぱちんと入れて、ささっと台所に通じる戸の向こうに消えてしまった。
ぴたりと閉まった戸、暖簾だけが揺れてる。
チックタックチックタック……
チッチッチッチ……
チッ……クン……タッ……クン……
チッチチーチーチッチ チッチチー……
「……」
古時計たちの音を聞きながら立ち尽くす俺。
「やられた……」
ボーォンボゴゴーォンボーンボーン
呟いた瞬間、重なった正時の鐘が示すのは午後一時。
古時計たちが、ドンマイ! って言ってるみたいだった。