第343話 芒の神様 22
文字数 2,070文字
「ちからみず?」
「ええ。それだけで、あとは何も。伯父のあらゆる知 り 合 い に聞いて、尋ねて、いろいろ探したり、条件を揃えたり……まあ、そんなふうにして作ったんだと思います。ただの塩水にしても、普通の塩水ではない。矛盾していますが」
伯父が僕のために奔走してくれたことは、今でもありがたいと思ってるんです、と真久部さんは呟く。
「好奇心旺盛で、何にでも顔を突っ込むし、横紙破りも平気でする。怖いものは何も無く、好き放題しているように見えるけれど、あの人ほど慎重で用心深く、注意深い人を、僕は見たことが無い。趣 味 のためとはいえ……」
「……」
伯父さんの趣味、それは骨董古道具たちから、彼らの長い人生ならぬ、物 生 の中で傍観傍聴してきた話を聞きだすこと。前に真久部さんが教えてくれたから、俺も知ってる。伯父さんならではの方法で、伯父さんならではの楽しみ方をしている、らしい。
もちろん、普通の人にはそんなこと出来ないし、やったら命やら精神やら、いろんなものを持っていかれてしまうという。
「きっと──、そのための知識とか経験、技術とか力を、フル回転させて真久部さんを守ろうとしたんでしょうね。薄のあの子は<保護>したつもりだけど、伯父さんからすれば<神隠し>で……そこにヨモツヘグイの要素まで加わったとなれば、やり過ぎなのか、まだ足りないのか、伯父さんにもきっとわからなかったんじゃないかなぁ」
感じたことをそのまま言うと、真久部さんはちらっと笑みをよこした。
「何でも屋さんは、相変わらず叔父に甘い。でもまあ、きっとそういうことだったんでしょうね」
「あはは……」
俺、甘いのかな、真久部の伯父さんに。俺がこの慈恩堂にすっかり慣れてしまった(馴染んだって言いたくない)のも、伯父さん絡みの体験のほうが強烈過ぎて、古時計たちの悪ノリくらい、どうってことなくなってしまったせいかも。
そういえばこの春も、賽の河原に連れられて、疫喰い桜の応援をさせられたっけ──。人の魂を乗り物に、報恩謝徳の桜を蝕みにくる“鬼”。前の年よりは少なかったような気もするけど、また増えすぎても困るので、来年も河原の見回りにつき合うようにと強要、じゃなくて要請というか、依頼? されたんだ。俺が応援すると、疫喰いのアイツが張り切るからって。
「例のラーメン屋の店主 にも頼まれてるからねぇ。忘れないでくださいよ、何でも屋さん」なんて、逃げ腰なのを悟られたのか、胡散臭い上に鋭い笑みで釘を刺されたけど、忘れようにも……。
「……真久部さんが毎年あの茅場に行くのは、あの子のためなんですね。忘れてないよ、って」
真久部の伯父さんは、もし俺が忘れていたって絶対忘れさせてくれないだろう。だけど、あの子は──。
「薄のあの子の、ただひとつの望みを叶えるために」
あの子は違う。ただ望み、願うだけなんだ。『忘れないで、覚えていて』──気休めの約束すら、求めなかった。
「……眠っているあの子の夢に、少しでも届けばいいな、と思っていますよ」
小さな薄の神様の、儚くもいじらしい思い。その心に添うために、真久部さんは年に一度、必ずあの茅場に足を運ぶんだ。
「只人である僕では、自分からあの子の夢に繋がることはできない。でも、あの子は僕の夢を見ると言っていた。だから、あの茅場に行けば、あの子のゆめうつつの夢の端に、その時どきの僕が現れることができるんじゃないかと、そんなふうに考えてね。あの子のことを忘れていない僕を、僕の心を、感じてもらうことができるんじゃないかと……」
実はけっこう危ない橋なんですよ、と苦笑する。
「心が幼くなってはいても、あの子の理性では、僕を連れて行くことはしない。でも、夢だから、夢の中だから。ただの夢のこととして、僕と遊ぼうとしてしまう。友だちを見つけて、笑顔で走って来ようと──、近づきすぎるのは危ないんです。今のあの子には、夢と現実の区別がつかないので……」
「引っ張られてしまう、っていうのは、そういう意味だったんですか──」
真久部の伯父さんの危惧。今ではそれも理解できる。
「そう。行くのはいいけれど、一人では絶対行くな、と言われていたのはそのためです。一人であの茅場に立ち入って、道に迷って疲れた挙句、選んだ道があの子の眠る場所に繋がっていたら、僕は今度こそ戻れなくなる。僕の中に眠るあの子の力が、大元のあの子の中に戻ろうとする──それが、僕にはわかるんですよ」
「……」
「不知の茅場は、ああいう地形なのもあって、元々人の感覚を狂わせやすい。空を歩く道、どこまでも下る坂道。現実にはそんな道はないのに、人は視てしまう。あの子のせいではないけれど、でも、あの子の無意識が作った道も混じってる。心に迷いがあればあるほど、道は増え、薄の中に消えていく。だから別けておかないといけないんです、薄の中に消えた道が、どこに通じているかわからないから」
薄と人、別けておかないといけないのは──。
「あの順路に渡してある鎖は、心の迷いに迷子になっている人を、守るためでもあるんですね……」
「心の迷いの迷子……そうだね」
「ええ。それだけで、あとは何も。伯父のあらゆる
伯父が僕のために奔走してくれたことは、今でもありがたいと思ってるんです、と真久部さんは呟く。
「好奇心旺盛で、何にでも顔を突っ込むし、横紙破りも平気でする。怖いものは何も無く、好き放題しているように見えるけれど、あの人ほど慎重で用心深く、注意深い人を、僕は見たことが無い。
「……」
伯父さんの趣味、それは骨董古道具たちから、彼らの長い人生ならぬ、
もちろん、普通の人にはそんなこと出来ないし、やったら命やら精神やら、いろんなものを持っていかれてしまうという。
「きっと──、そのための知識とか経験、技術とか力を、フル回転させて真久部さんを守ろうとしたんでしょうね。薄のあの子は<保護>したつもりだけど、伯父さんからすれば<神隠し>で……そこにヨモツヘグイの要素まで加わったとなれば、やり過ぎなのか、まだ足りないのか、伯父さんにもきっとわからなかったんじゃないかなぁ」
感じたことをそのまま言うと、真久部さんはちらっと笑みをよこした。
「何でも屋さんは、相変わらず叔父に甘い。でもまあ、きっとそういうことだったんでしょうね」
「あはは……」
俺、甘いのかな、真久部の伯父さんに。俺がこの慈恩堂にすっかり慣れてしまった(馴染んだって言いたくない)のも、伯父さん絡みの体験のほうが強烈過ぎて、古時計たちの悪ノリくらい、どうってことなくなってしまったせいかも。
そういえばこの春も、賽の河原に連れられて、疫喰い桜の応援をさせられたっけ──。人の魂を乗り物に、報恩謝徳の桜を蝕みにくる“鬼”。前の年よりは少なかったような気もするけど、また増えすぎても困るので、来年も河原の見回りにつき合うようにと強要、じゃなくて要請というか、依頼? されたんだ。俺が応援すると、疫喰いのアイツが張り切るからって。
「
「……真久部さんが毎年あの茅場に行くのは、あの子のためなんですね。忘れてないよ、って」
真久部の伯父さんは、もし俺が忘れていたって絶対忘れさせてくれないだろう。だけど、あの子は──。
「薄のあの子の、ただひとつの望みを叶えるために」
あの子は違う。ただ望み、願うだけなんだ。『忘れないで、覚えていて』──気休めの約束すら、求めなかった。
「……眠っているあの子の夢に、少しでも届けばいいな、と思っていますよ」
小さな薄の神様の、儚くもいじらしい思い。その心に添うために、真久部さんは年に一度、必ずあの茅場に足を運ぶんだ。
「只人である僕では、自分からあの子の夢に繋がることはできない。でも、あの子は僕の夢を見ると言っていた。だから、あの茅場に行けば、あの子のゆめうつつの夢の端に、その時どきの僕が現れることができるんじゃないかと、そんなふうに考えてね。あの子のことを忘れていない僕を、僕の心を、感じてもらうことができるんじゃないかと……」
実はけっこう危ない橋なんですよ、と苦笑する。
「心が幼くなってはいても、あの子の理性では、僕を連れて行くことはしない。でも、夢だから、夢の中だから。ただの夢のこととして、僕と遊ぼうとしてしまう。友だちを見つけて、笑顔で走って来ようと──、近づきすぎるのは危ないんです。今のあの子には、夢と現実の区別がつかないので……」
「引っ張られてしまう、っていうのは、そういう意味だったんですか──」
真久部の伯父さんの危惧。今ではそれも理解できる。
「そう。行くのはいいけれど、一人では絶対行くな、と言われていたのはそのためです。一人であの茅場に立ち入って、道に迷って疲れた挙句、選んだ道があの子の眠る場所に繋がっていたら、僕は今度こそ戻れなくなる。僕の中に眠るあの子の力が、大元のあの子の中に戻ろうとする──それが、僕にはわかるんですよ」
「……」
「不知の茅場は、ああいう地形なのもあって、元々人の感覚を狂わせやすい。空を歩く道、どこまでも下る坂道。現実にはそんな道はないのに、人は視てしまう。あの子のせいではないけれど、でも、あの子の無意識が作った道も混じってる。心に迷いがあればあるほど、道は増え、薄の中に消えていく。だから別けておかないといけないんです、薄の中に消えた道が、どこに通じているかわからないから」
薄と人、別けておかないといけないのは──。
「あの順路に渡してある鎖は、心の迷いに迷子になっている人を、守るためでもあるんですね……」
「心の迷いの迷子……そうだね」