第52話 仏像の夏 3
文字数 3,718文字
「もうっ……! こんな時ばっかり真に受けるんだから。あの有名なオランダ人を浮遊霊呼ばわり、面白かったのに……」
自分が怖いこと言ったくせに、若干、逆切れぎみの店主。何でだ。
「それにねぇ、今更でしょ、あなた。今回は違うけど、<陸の浮遊霊>ごときで怯えないでくださいよ」
「いや、だって。俺、幽霊なんて見たことないし!」
「えっ!」
何故か、もの凄く驚いたような顔で俺を見詰め、絶句する店主。だ~か~ら~!
「だから怖いに決まってるじゃないですか、浮遊霊、なんてものがいたら!」
「……」
「浮遊霊って、その辺漂ってるんでしょう? で、何だっけ、波長? とか合ったりしたら、くっついてくるんですよね。そりゃ、俺だって青くもなりますって」
「……」
「……どうしたんです? 俺の顔、何かついてます?」
けっこういい男なのに、口をぱかっと開けて人の顔凝視するのはやめた方がいいと思う。
「ちょっと、真久部さん?」
「──そうですか、見たことなかったんですか、幽霊。ふーん……」
疲れたように肩を落として、何やらぶつぶつ言いながら溜息をついてる店主。いやホント、どうしたんだろ?
「天然って、うらやましい……」
ぼそっと何か呟いた店主。
「え?」
「いえ、何でもないですよ。ただ、やっぱりそれくらいでないと、うちの店の留守番とか店番は務まらないんだろうな、と」
さすが、顧客満足度九十九パーセントを誇る何でも屋さんですね! といきなり持ち上げてくる店主。──脈絡が無いんですけど。それに、その数値は一体どこから。
どういう意味かと訊ねようとしたのに、「この話はもう終わり!」とばかりに店主はひらひらと手を振った。あいかわらずマイペースだな、この人。
「本当にもう! 怖がらせるつもりじゃなかったのに! だいたい、どうしてそう短絡的に考えるんですか。陸 の浮遊霊なんて言うから笑いたいけど、そんなに怯えられたら笑えないでしょ!」
っていうか、まだ笑うつもりだったのかよ? こっちが「もう!」だよ。
「話を元に戻します。あなたが見た男は、浮遊霊でも幽霊でもない。それは了解していただけましたか?」
「は、はい……」
聞きたいことはまだいっぱいあるけど、取り敢えず頷いておいた。急に真面目な顔になった店主、なんか雰囲気怖いし。
「あの男は有名だと、さっき僕は言いましたが、何でだと思います?」
俺は今度は首を横に振った。分かるわけないじゃん。
「正確に言うと、<古道具や骨董を扱う業界で有名>なんです。じゃあ、どうしてこの業界で有名なのかというと、あの男が盗みを働いたから。それも、絶対に 盗んではいけないようなものを」
「盗んだ……?」
「はい」
「絶対に盗んではいけないようなものを?」
「そうです」
「……」
ふつーに盗みはダメだけど、店主の言うような業界 で、絶対に盗んではいけないもの、って……それどころか、触ってもいけないようなものだったんじゃ?
──店主にそのあたりを確認してみると、あっさりと頷かれてしまった。
「普通の神経をしてるなら、まず触りもしないし、ましてや、盗み出すなんてことは考えもしないはずです。例えば、何十年、何百年、下手したら千年もそこに<在る>ようなものを、あなた、どこかに移動させようとか思いますか?」
そう問われ、俺はぶるぶると首を振った。
「そ、そんなこと、考えるわけもないでしょう」
「どうして?」
「だって……よく分からないけど、<それ>がそこに<在る>のには、意味があると思うから……」
うん……何て言えばいいんだろう? そうだな……意味、というか、理由があると思うんだ。どんな理由なのか、それは分からない。分からないけど、怖いというか……おそれ、そう、畏れる気持ちがある。
具体的に説明しろと言われても、難しいけど……、そうだなぁ、神社に行けば何となくお賽銭あげて拍手打って頭下げるし、お寺に行けばやっぱりお賽銭あげてご本尊に手を合わせる。神域で騒ごうとは思わないし、境内でゴミを捨てたりはしない。もしそんなことをしたら、それは──
罰当たりっていうんだと思う。
「だから、そこに<在る>ものを、個人の好き勝手で動かそうなんて罰当たりなこと、考えるわけがないですよ」
考え考えようやく言葉にした俺に、店主は頷いた。
「それが一般的というか、普通なんですけどね。自分は無宗教だと言う人だって、わざわざ鳥居を壊したりしないし、たとえ想像であっても、もしそんなことをしたら<なんか、怖い>という気持ちを持つ。道端のお地蔵さんを拝まなくても、蹴ったりだとか、飾ってある花を荒らしたりしようだなんて思わない。それは何故か。あなたが言うように、<罰当たり>だと思うからですよ」
日本人なら、大なり小なり誰でも同じ感覚を持ってるはずです。
そう、店主は付け加えた。
そっかー、そうだよな。あんまり意識したことなかったけど、誰に強制されなくても、たいがいの日本人は神社仏閣神木神石お地蔵さんにわざわざ害をなそうなんて考えないよな。
「確かに……標準装備されてるかも、そういう感覚」
「標準装備って……まあ、そうですね」
一瞬吹き出しかけた店主は、俺に睨まれてゴホゴホ咳をして誤魔化した。
「外国に行っても、自分の国と同じように、そこに住む人たちの大切なものを尊重するのが我々日本人です。十字架を倒したり、コーラン焼いたり、古代人の遺跡を壊したり、そんなことしませんよ。だって、<なんか、怖い>し、<罰当たり>だと思うから」
そうですねぇ、確かに標準装備ですね、と店主は一人納得している。
「だけど、たまにそういう感覚の薄い日本人もいるし、元々そういう感覚を持たない国の人間もいます。――あなたの出会った男は、そういう感覚を持たない国の出身です。あの国には、<神>が存在しないと言われています」
「そんな国、あるんですか?」
驚いて、俺は訊ねた。信じる、信じないはともかくとして、「私は無神論者です」という人の国にも、<神様>ってあるんじゃないのか? 紛争真っ最中の土地でも、<神様>はいるよな? だって、彼らは<神>のために争ってるんだろ?
「あるんですよ、それが。<神>がいないから、畏れもない、祟りもない。目に見えないものは怖くない。尊いものなんてない。……価値があるのはただ金と権力のみ、そんな国がね」
「……」
俺は言葉を失った。本当に、何て言えばいいのか分からない。
「僕はね、別に無宗教でも無神論者でもいいと思うんですよ。他人の大切なものを尊重する気持ちさえあれば。――それでも、何かを<畏れるこころ>を持たない人間を、僕は信用しようとは思いませんがね」
そうでなければ、骨董屋なんて仕事、出来ませんよ、と静かな目で店内を見やりながら店主は言う。
「興味のない人からすれば、ここにあるものはただのガラクタにしか見えないでしょう。でも、これはただの<モノ>ではないんです。<モノ>扱いなんかしたら……多分、僕の命は無いでしょうね」
「う……」
良く分からないけど、それは怖い。怖すぎる。
思わず固まってしまった俺に、店主はこともなげに言った。
「大丈夫です、ルールを守りさえすれば。<モノ>扱いはルール違反。だったら<モノ>扱いをしなければいい。ただそれだけのことです」
「……はぁ」
店主の言うことは難しくて、俺はようやっと気の抜けた相槌を打っただけだった。そんな俺を咎めるでもなく、店主は続ける。
「僕はね、骨董品を商うということは、<縁結び>をすることだと思ってるんですよ。古い道具と、新しくそれを必要とする人との間のね。──長くこういう仕事をしていると、どの道具がどんな人と合うか、あるいは、どんな人にその道具が必要になるのか、分かってくるものなんです」
「勘、みたいなもんですか?」
「そうですねぇ……勘、というか、インスピレーション? ま、思い込みかもしれませんけどね。でも、僕が<縁結び>した道具と人は、概ね上手くいっているようですよ」
──その人が<ルール違反>しないかぎりはね。
そう言って、店主は微笑った。
ルール違反……つまり、<モノ>扱いするってことか。でも、この慈恩堂の顧客になるような人は、そんなことしないような気がする。
なんか、分かってきた。あの男はつまり。
「俺の出合ったあの男は、盗んではいけないものを盗んだだけでなく、<ルール違反>までしてしまった。だから罰を受けてるんですね」
「そうです」
店主は頷く。
「盗んだ仏像を元の場所に戻し、心の底から反省して謝罪するまで、あの男は許してはもらえないでしょう。だけど」
ここで店主はにやりと笑った。
「当の仏像がそうさせてくれない。絶対に捕まらない隠れ鬼みたいに、男から逃げ回ってるんです」
えええええ~! 何だそれ、どういうこと?
自分が怖いこと言ったくせに、若干、逆切れぎみの店主。何でだ。
「それにねぇ、今更でしょ、あなた。今回は違うけど、<陸の浮遊霊>ごときで怯えないでくださいよ」
「いや、だって。俺、幽霊なんて見たことないし!」
「えっ!」
何故か、もの凄く驚いたような顔で俺を見詰め、絶句する店主。だ~か~ら~!
「だから怖いに決まってるじゃないですか、浮遊霊、なんてものがいたら!」
「……」
「浮遊霊って、その辺漂ってるんでしょう? で、何だっけ、波長? とか合ったりしたら、くっついてくるんですよね。そりゃ、俺だって青くもなりますって」
「……」
「……どうしたんです? 俺の顔、何かついてます?」
けっこういい男なのに、口をぱかっと開けて人の顔凝視するのはやめた方がいいと思う。
「ちょっと、真久部さん?」
「──そうですか、見たことなかったんですか、幽霊。ふーん……」
疲れたように肩を落として、何やらぶつぶつ言いながら溜息をついてる店主。いやホント、どうしたんだろ?
「天然って、うらやましい……」
ぼそっと何か呟いた店主。
「え?」
「いえ、何でもないですよ。ただ、やっぱりそれくらいでないと、うちの店の留守番とか店番は務まらないんだろうな、と」
さすが、顧客満足度九十九パーセントを誇る何でも屋さんですね! といきなり持ち上げてくる店主。──脈絡が無いんですけど。それに、その数値は一体どこから。
どういう意味かと訊ねようとしたのに、「この話はもう終わり!」とばかりに店主はひらひらと手を振った。あいかわらずマイペースだな、この人。
「本当にもう! 怖がらせるつもりじゃなかったのに! だいたい、どうしてそう短絡的に考えるんですか。
っていうか、まだ笑うつもりだったのかよ? こっちが「もう!」だよ。
「話を元に戻します。あなたが見た男は、浮遊霊でも幽霊でもない。それは了解していただけましたか?」
「は、はい……」
聞きたいことはまだいっぱいあるけど、取り敢えず頷いておいた。急に真面目な顔になった店主、なんか雰囲気怖いし。
「あの男は有名だと、さっき僕は言いましたが、何でだと思います?」
俺は今度は首を横に振った。分かるわけないじゃん。
「正確に言うと、<古道具や骨董を扱う業界で有名>なんです。じゃあ、どうしてこの業界で有名なのかというと、あの男が盗みを働いたから。それも、
「盗んだ……?」
「はい」
「絶対に盗んではいけないようなものを?」
「そうです」
「……」
ふつーに盗みはダメだけど、店主の言うような
──店主にそのあたりを確認してみると、あっさりと頷かれてしまった。
「普通の神経をしてるなら、まず触りもしないし、ましてや、盗み出すなんてことは考えもしないはずです。例えば、何十年、何百年、下手したら千年もそこに<在る>ようなものを、あなた、どこかに移動させようとか思いますか?」
そう問われ、俺はぶるぶると首を振った。
「そ、そんなこと、考えるわけもないでしょう」
「どうして?」
「だって……よく分からないけど、<それ>がそこに<在る>のには、意味があると思うから……」
うん……何て言えばいいんだろう? そうだな……意味、というか、理由があると思うんだ。どんな理由なのか、それは分からない。分からないけど、怖いというか……おそれ、そう、畏れる気持ちがある。
具体的に説明しろと言われても、難しいけど……、そうだなぁ、神社に行けば何となくお賽銭あげて拍手打って頭下げるし、お寺に行けばやっぱりお賽銭あげてご本尊に手を合わせる。神域で騒ごうとは思わないし、境内でゴミを捨てたりはしない。もしそんなことをしたら、それは──
罰当たりっていうんだと思う。
「だから、そこに<在る>ものを、個人の好き勝手で動かそうなんて罰当たりなこと、考えるわけがないですよ」
考え考えようやく言葉にした俺に、店主は頷いた。
「それが一般的というか、普通なんですけどね。自分は無宗教だと言う人だって、わざわざ鳥居を壊したりしないし、たとえ想像であっても、もしそんなことをしたら<なんか、怖い>という気持ちを持つ。道端のお地蔵さんを拝まなくても、蹴ったりだとか、飾ってある花を荒らしたりしようだなんて思わない。それは何故か。あなたが言うように、<罰当たり>だと思うからですよ」
日本人なら、大なり小なり誰でも同じ感覚を持ってるはずです。
そう、店主は付け加えた。
そっかー、そうだよな。あんまり意識したことなかったけど、誰に強制されなくても、たいがいの日本人は神社仏閣神木神石お地蔵さんにわざわざ害をなそうなんて考えないよな。
「確かに……標準装備されてるかも、そういう感覚」
「標準装備って……まあ、そうですね」
一瞬吹き出しかけた店主は、俺に睨まれてゴホゴホ咳をして誤魔化した。
「外国に行っても、自分の国と同じように、そこに住む人たちの大切なものを尊重するのが我々日本人です。十字架を倒したり、コーラン焼いたり、古代人の遺跡を壊したり、そんなことしませんよ。だって、<なんか、怖い>し、<罰当たり>だと思うから」
そうですねぇ、確かに標準装備ですね、と店主は一人納得している。
「だけど、たまにそういう感覚の薄い日本人もいるし、元々そういう感覚を持たない国の人間もいます。――あなたの出会った男は、そういう感覚を持たない国の出身です。あの国には、<神>が存在しないと言われています」
「そんな国、あるんですか?」
驚いて、俺は訊ねた。信じる、信じないはともかくとして、「私は無神論者です」という人の国にも、<神様>ってあるんじゃないのか? 紛争真っ最中の土地でも、<神様>はいるよな? だって、彼らは<神>のために争ってるんだろ?
「あるんですよ、それが。<神>がいないから、畏れもない、祟りもない。目に見えないものは怖くない。尊いものなんてない。……価値があるのはただ金と権力のみ、そんな国がね」
「……」
俺は言葉を失った。本当に、何て言えばいいのか分からない。
「僕はね、別に無宗教でも無神論者でもいいと思うんですよ。他人の大切なものを尊重する気持ちさえあれば。――それでも、何かを<畏れるこころ>を持たない人間を、僕は信用しようとは思いませんがね」
そうでなければ、骨董屋なんて仕事、出来ませんよ、と静かな目で店内を見やりながら店主は言う。
「興味のない人からすれば、ここにあるものはただのガラクタにしか見えないでしょう。でも、これはただの<モノ>ではないんです。<モノ>扱いなんかしたら……多分、僕の命は無いでしょうね」
「う……」
良く分からないけど、それは怖い。怖すぎる。
思わず固まってしまった俺に、店主はこともなげに言った。
「大丈夫です、ルールを守りさえすれば。<モノ>扱いはルール違反。だったら<モノ>扱いをしなければいい。ただそれだけのことです」
「……はぁ」
店主の言うことは難しくて、俺はようやっと気の抜けた相槌を打っただけだった。そんな俺を咎めるでもなく、店主は続ける。
「僕はね、骨董品を商うということは、<縁結び>をすることだと思ってるんですよ。古い道具と、新しくそれを必要とする人との間のね。──長くこういう仕事をしていると、どの道具がどんな人と合うか、あるいは、どんな人にその道具が必要になるのか、分かってくるものなんです」
「勘、みたいなもんですか?」
「そうですねぇ……勘、というか、インスピレーション? ま、思い込みかもしれませんけどね。でも、僕が<縁結び>した道具と人は、概ね上手くいっているようですよ」
──その人が<ルール違反>しないかぎりはね。
そう言って、店主は微笑った。
ルール違反……つまり、<モノ>扱いするってことか。でも、この慈恩堂の顧客になるような人は、そんなことしないような気がする。
なんか、分かってきた。あの男はつまり。
「俺の出合ったあの男は、盗んではいけないものを盗んだだけでなく、<ルール違反>までしてしまった。だから罰を受けてるんですね」
「そうです」
店主は頷く。
「盗んだ仏像を元の場所に戻し、心の底から反省して謝罪するまで、あの男は許してはもらえないでしょう。だけど」
ここで店主はにやりと笑った。
「当の仏像がそうさせてくれない。絶対に捕まらない隠れ鬼みたいに、男から逃げ回ってるんです」
えええええ~! 何だそれ、どういうこと?