第314話 華麗なニンジン 後編

文字数 2,486文字

そう、料理上手なんだよ、この人。同じような材料使って同じようなレシピで作っても、俺が作るのとは一味も二味も違う。だから、あの伯父さんが甥っ子の美味料理を求める気持ちもわからないではない──。甥っ子以上に怪しい上に、意地悪な仙人みたいな真久部の伯父さんだけど、実は甥っ子を可愛がってるらしい、っていうのは俺知ってる。甥っ子本人には、ちっとも伝わってないみたいだけど。

「適当に作ってるんですけどねぇ」

そう言って、にっこり笑う──俺はちょっと背中が寒くなった。だって、この流れは……。

「良かったら、うちに来ませんか? 同じカレーなんだし。たくさん作りすぎちゃったんですよねぇ。ご飯もあるし」

ほら~! って、ホラーかも……ってオヤジギャグかましてる場合じゃないって、俺!

「いや、でも、もう玉ねぎは飴色に仕上げてあるし」

俺は逃げ腰。だってあの店、店番に慣れてはいてもやっぱり怖……。

「ジップ□ックに入れて、冷凍保存すれば次回また使えますよ?」

マスクの目元、古猫の笑みが深まる。

「今日のカレー、牛すね肉をね、圧力鍋で煮込んでみたんです。そしたらもう、トロトロで。赤ワインを隠し味にしたら、我ながらなかなかの出来になってねぇ」

「トロトロの牛すね肉……」

俺はクラッときた。半額のときに買って、そのときもカレーにしたことあるけど、普通に煮込んだだけだから、しみじみと二日目のほうが美味かった……。

「トッピングに、昨夜のハンバーグなんかどうかなぁ、と思ってるんですが──」

いかがです? にーっこりと、マスク越しでも唇の両端が吊り上がってるのがわかるいつもの笑みに、俺は負けた。

結論から言おう、真久部さん特製牛すね肉カレーは絶品だった。カレーのかかったハンバーグは、肉汁じゅわー。

「ごちそうさま。美味しかったです!」

カレーのおかげで、赤い大根ショックで落ち込んでいた気持ちも回復。すっかり元気。俺、今にっこにこな顔になってると思う。ハンバーグも美味かったよ!

「お粗末さまです」

にっこり笑う真久部さん、俺の反応に満足そう。

「ツナと大根のサラダも美味しかったです。新鮮な大根って、シャキシャキしてていいですよね」

「ツナはお届け物帰りに商店街で買ったものだけど、大根は先日、神崎さんにいただいたものなんですよ」

「え?」

俺ももらったよ、ニンジンと思ったら大根だった大根。

「皮が赤くて、珍しい大根ですね、と言うと、残念そうな顔をなさって」

「え……」

「ニンジンに間違えてくれると思ったのに、と悔しそうでした。お友だちの大仏おさらぎさんはしっかり間違えて、ニンジンだと思ってお嫁さんに渡したらしいんですが、お義父さん、これ大根ですよ、と呆れられたとかでお冠だったらしくて。神崎さん、それに味を占めて、何でも屋さんにもあげてみたのに、とんと反応が無いから騙されなかったか、と残念がっておられましたよ?」

「……」

「ニンジンは、あんなサツマイモみたいな色をしていませんよねぇ。質感は大根そのものなんだし。引っ掛けようったって、ふだん料理しない人くらいしか引っかからないんじゃないでしょうか」

大仏さんは見るからに「男子厨房に入らず」時代の方ですものねぇ、と苦笑してみせる真久部さん……俺、ちゃんと自炊してるけど、引っかかったよ。

神崎の爺さんの、トシくってるくせに、時々ガキ大将みたいに悪戯っぽく光る瞳を思い出す。

「さ、最近は、野菜も色んな種類が出ててびっくりしますよね! あはは!」

神崎さんめ……! 今度将棋で勝ったら、俺、いつもと違ってわざとらしく得意になってやるんだ! ──そんなチンケな復讐を胸に誓っていたら。

「ときに何でも屋さん。この後、何かお仕事は入ってますか?」

たずねられ、ドキッとした。

「ええっと、はい。今日の午後はまるまる空いてます……」

嫌な予感はするけれど、正直に答えるさ。ああ。

「それなら良かった。午後から店番をお願いしたいんですが──」

いかがです? と、焦げ茶と榛色のオッドアイをひらめかせ、地味な男前がにっこり笑って首を傾げてみせる。

「あ、はい。もちろん!」

喜んで! と、心にもないことを言いつつ……いや、ありがたいんだよ、お仕事いただけるのは。でも、それがここの店番となると──。

「はあ、良かった。今回、何でも屋さんの予定を押さえられなかったから、今日はもう店仕舞いするしかないかな、と思ってたんですよ。昼前だって届け物に出掛けなきゃならなかったし……まさか、帰りに寄った商店街でお会いするとは。いやあ、幸運でした」

「あはは。そう言っていただけると。俺も、こんなに美味しいカレーを食べさせてもらって、ありがたいです!」

それは本当だし、真久部さんも喜んでくれてるし。俺も正直になれるところは正直になっとこう。うん。

「天の配剤……いえ、ニンジンの配剤というところでしょうか? 神崎さんには今度何かお礼をしておかないと」

そんなことを言って、晴れやかに笑う真久部さん。その目が、俺の買ったニンジンの袋に向けられている。

「え?」

「そういえば何でも屋さんて、バレンタインデーの翌日はいつもカレーが食べたくなるって、前に言ってましたっけねぇ。──僕、それで今日は急に作りたくなったのかも」

「え?」

「ふふふ……」

楽しげに笑いながら、出掛ける用意をしてきますね、と、上機嫌で二階の自宅に上がって行った真久部さん。どゆこと?

頭の中ではてなマークが飛び交う。え? 何? 真久部さん、どこまでわかって動いてるのかな? 偶然だよね? 今日のことは偶然だよね? 引き寄せたりしてないよね?

唖然として、今日、俺がこの店に来るきっかけになったニンジン、駅前商店街の八百屋で三つ百円の、見慣れたオレンジ色を凝視していたら。


  チッチチッチリ……チッチチッチリ……
   チックンタックンチックンタックン……
  チ チ チ チ ッチ……チ チ チ チ チッチ……
    チッ……チッ……チッ……


古時計たちの時を刻む音が、俺を笑ってるように聞こえるのは、ただの被害妄想なんだろうか──。

大っ嫌いだ、紛らわしい色したニンジンなんて!
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