第243話 金魚が逃げた
文字数 2,148文字
「今は、どうなんですか? 水無瀬さん。叔父さんはもういないし、金魚も……」
あそこの庭の、池にいるのが家宝の皿から逃げた金魚だってご本人は言ってたけど、そういう不思議な存在だとは考えていなさそうだった。しかも、本体の皿は行方不明だ。
「身体が丈夫になってから、水無瀬さんの“力”は薄れて消えてしまったようですねぇ」
その頃のことはすっかり忘れてしまっていたようですし、と真久部さんは続ける。
「あれは夢だったんだと、そう考えていたようです。かつての周囲の大人がそうだったように、子供にありがちな、夢や理由のない恐怖、空想と現実の混同だと」
「……」
「“力”が薄れたから丈夫になったのか、丈夫になったから“力”が無くなったのか。それは逆パターンとともに、鶏が先か、卵が先かみたいなものでね」
“力”が強いから身体が弱かったのか、身体が弱いから“力”が強かったのか、ってことか……。
「いずれにせよ、今の水無瀬さんにはそういった意味での保護者は必要ありませんよ」
「それなら、安心ですね」
ほっとしていると。
「ああ、でも、これからは夢に馴染みの金魚が現れるかもしれないねぇ。行方知れずだったという、例の家宝の皿が見つかったから」
さらっとそんなこと言うから、思わず目を剥いた。
「え! 見つかったんですか? 一体どこで」
「蔵で。水無瀬家のね」
「……」
てっきり、どこか遠くの古道具屋で廃在庫にでもなってると思ってたよ。埃だらけになって。
「皿は、誰にも盗まれたりしてなかったんです」
「へ?」
俺は思わずまじまじと真久部さんの顔を見つめてしまった。しれっとつるっと胡散臭い、読めない表情を浮かべてる。
「……じゃあ、幼い水無瀬さんが夜中に聞いた蔵の家鳴りは、何だったんですか?」
皿以外のものが盗まれたってこと? そうたずねると、真久部さんは首を振る。
「その夜、蔵から盗まれたものは何もないよ。逃げ出したものがいただけで」
「逃げ……って、蔵は出入りする人間はカウントしてなかったみたいですけど──」
だよな? 無断で中のものを持ち出したときの話しか聞いてないし。
「逃げたのは人じゃない。“金魚”だよ」
そう言って、唇の端をにんまりと上げてみせる。
「金魚……?」
呆けたように、俺は繰り返すしかなかった。何が何だかわからない、意味不明だよ! 心の中でそう叫んでいると、見透かしたようにたずねられてしまった。
「さっき僕は、『叔父さんは家宝の皿を助けに行った』と言いましたけど……、覚えてますか?」
「え? あ、もちろん──」
こくこくうなずいてみせる。──本当は半分くらい忘れてたけど、見栄を張ってしまった。でも、そんなこと、この目の前の怪しい古道具屋店主にはお見通しのようで、軽く首を傾げ、面白そうにうっすら目を細めて俺を見ている。そのなんともいえない笑みが、これから金魚をいたぶろうとする猫みたいで……。
「どうしたんですか、何でも屋さん。あ、お茶を淹れましょうね」
そういえば、いつの間にか茶碗の中身を飲み干していた──。意識すると喉が渇いていることに気づく。驚きとか恐ろしさとかがごちゃ混ぜで、からっからだよ真久部さん。
「……」
急須に新しい茶葉を入れ、楽し気にお茶を淹れてくれる。──なんか、思い通りの反応を見られて機嫌がいいっぽい感じ。本当はほとんど忘れてたくせに、それを取り繕おうと悪あがきするところとか……。
……
……
いいよ、もう。このヒトの人が悪いのはわかってることだし。俺の自尊心がちょっぴり傷つくだけで、そんなの大したことないし。
「家宝の皿は、お祖父さんの部屋にあったんじゃなかったですか?」
そうとも言ってたよな。幼い水無瀬さんの記憶にあるようなないような、そんなあやふやな情報だったけど。
「ええ。たぶん、家長の部屋、その床の間に飾っておくという、代々の決まりごとがあったんだと思います」
湯気の立つ茶碗を目の前に置いてくれながら、真久部さんは言う。
「それが、ある時から急に蔵に仕舞われることになり、そのせいで叔父さんは体調を崩すことになったと僕は見てるんだよ。──甥っ子にたかろうとするあちら側のものたちを、金魚の力を借りずに一人で追い払うには、負担が大きかったんじゃないかなぁ」
「何でまた、そんなことを……」
代々の決まりごとを破るなんて、怖くないか? そういうのって、たいてい良くないことに繋がるよ、お話だと。
「破らざるを得ないようなきっかけがあったと、僕は考えています。たとえば、そう──盗まれかけたとか」
「え?」
その頃の水無瀬家で、盗むといえば……。
「もしかして、当時預かっていた<白浪>の人、ですか?」
「そうなんじゃないかな」
真久部さんは片頬だけでシニカルに笑う。
「何度蔵に騒がれても懲りなかった、一番質の悪い<白浪>。何度も預けられたが故に、母屋にもある程度詳しかったと想像します。──ちょこちょこと手癖の悪さを発揮していたでしょうからね」
それでも、家長の部屋にまで侵入するとは、預かった御祖父様にも想定外のことだったでしょうけど、と付け加えた。
「その彼 を預かっているあいだ、期間限定で家宝を蔵に仕舞うことにしたんだと思うんですよ。外に持ち出されたら蔵が騒いですぐにわかるぶん、部屋に置いておくより安全だと考えたんだろうね」
あそこの庭の、池にいるのが家宝の皿から逃げた金魚だってご本人は言ってたけど、そういう不思議な存在だとは考えていなさそうだった。しかも、本体の皿は行方不明だ。
「身体が丈夫になってから、水無瀬さんの“力”は薄れて消えてしまったようですねぇ」
その頃のことはすっかり忘れてしまっていたようですし、と真久部さんは続ける。
「あれは夢だったんだと、そう考えていたようです。かつての周囲の大人がそうだったように、子供にありがちな、夢や理由のない恐怖、空想と現実の混同だと」
「……」
「“力”が薄れたから丈夫になったのか、丈夫になったから“力”が無くなったのか。それは逆パターンとともに、鶏が先か、卵が先かみたいなものでね」
“力”が強いから身体が弱かったのか、身体が弱いから“力”が強かったのか、ってことか……。
「いずれにせよ、今の水無瀬さんにはそういった意味での保護者は必要ありませんよ」
「それなら、安心ですね」
ほっとしていると。
「ああ、でも、これからは夢に馴染みの金魚が現れるかもしれないねぇ。行方知れずだったという、例の家宝の皿が見つかったから」
さらっとそんなこと言うから、思わず目を剥いた。
「え! 見つかったんですか? 一体どこで」
「蔵で。水無瀬家のね」
「……」
てっきり、どこか遠くの古道具屋で廃在庫にでもなってると思ってたよ。埃だらけになって。
「皿は、誰にも盗まれたりしてなかったんです」
「へ?」
俺は思わずまじまじと真久部さんの顔を見つめてしまった。しれっとつるっと胡散臭い、読めない表情を浮かべてる。
「……じゃあ、幼い水無瀬さんが夜中に聞いた蔵の家鳴りは、何だったんですか?」
皿以外のものが盗まれたってこと? そうたずねると、真久部さんは首を振る。
「その夜、蔵から盗まれたものは何もないよ。逃げ出したものがいただけで」
「逃げ……って、蔵は出入りする人間はカウントしてなかったみたいですけど──」
だよな? 無断で中のものを持ち出したときの話しか聞いてないし。
「逃げたのは人じゃない。“金魚”だよ」
そう言って、唇の端をにんまりと上げてみせる。
「金魚……?」
呆けたように、俺は繰り返すしかなかった。何が何だかわからない、意味不明だよ! 心の中でそう叫んでいると、見透かしたようにたずねられてしまった。
「さっき僕は、『叔父さんは家宝の皿を助けに行った』と言いましたけど……、覚えてますか?」
「え? あ、もちろん──」
こくこくうなずいてみせる。──本当は半分くらい忘れてたけど、見栄を張ってしまった。でも、そんなこと、この目の前の怪しい古道具屋店主にはお見通しのようで、軽く首を傾げ、面白そうにうっすら目を細めて俺を見ている。そのなんともいえない笑みが、これから金魚をいたぶろうとする猫みたいで……。
「どうしたんですか、何でも屋さん。あ、お茶を淹れましょうね」
そういえば、いつの間にか茶碗の中身を飲み干していた──。意識すると喉が渇いていることに気づく。驚きとか恐ろしさとかがごちゃ混ぜで、からっからだよ真久部さん。
「……」
急須に新しい茶葉を入れ、楽し気にお茶を淹れてくれる。──なんか、思い通りの反応を見られて機嫌がいいっぽい感じ。本当はほとんど忘れてたくせに、それを取り繕おうと悪あがきするところとか……。
……
……
いいよ、もう。このヒトの人が悪いのはわかってることだし。俺の自尊心がちょっぴり傷つくだけで、そんなの大したことないし。
「家宝の皿は、お祖父さんの部屋にあったんじゃなかったですか?」
そうとも言ってたよな。幼い水無瀬さんの記憶にあるようなないような、そんなあやふやな情報だったけど。
「ええ。たぶん、家長の部屋、その床の間に飾っておくという、代々の決まりごとがあったんだと思います」
湯気の立つ茶碗を目の前に置いてくれながら、真久部さんは言う。
「それが、ある時から急に蔵に仕舞われることになり、そのせいで叔父さんは体調を崩すことになったと僕は見てるんだよ。──甥っ子にたかろうとするあちら側のものたちを、金魚の力を借りずに一人で追い払うには、負担が大きかったんじゃないかなぁ」
「何でまた、そんなことを……」
代々の決まりごとを破るなんて、怖くないか? そういうのって、たいてい良くないことに繋がるよ、お話だと。
「破らざるを得ないようなきっかけがあったと、僕は考えています。たとえば、そう──盗まれかけたとか」
「え?」
その頃の水無瀬家で、盗むといえば……。
「もしかして、当時預かっていた<白浪>の人、ですか?」
「そうなんじゃないかな」
真久部さんは片頬だけでシニカルに笑う。
「何度蔵に騒がれても懲りなかった、一番質の悪い<白浪>。何度も預けられたが故に、母屋にもある程度詳しかったと想像します。──ちょこちょこと手癖の悪さを発揮していたでしょうからね」
それでも、家長の部屋にまで侵入するとは、預かった御祖父様にも想定外のことだったでしょうけど、と付け加えた。
「その