第61話 貴重な人材 6
文字数 2,030文字
頷いた葛原さんは、古いギターをやさしい手つきで畳の上に置き直すと、ずっと担いだままだったギターケースを下ろした。
大きいな、と思って見ていると、ケースにはさらに雨避けカバーが掛けてあったらしい。丁寧に取り出されたギターは、きれいな飴色をしていた。さっきの彼と同じ場所に座った葛原さんは、しばらくポロンポロンと音を確認していたが、大きく深呼吸すると、弾き始めた。
──何だか悲しくて、途中ちょっと希望が見えて、また深い悲しみがやってきて、少しの希望と入り混じる。
溶けるように余韻が消えて、俺はほうっと溜息を吐いた。
「凄いです! 悲しいのにキラキラしてて綺麗で、何だろう、夏の海を遠くから眺めてるみたいな……」
拍手しながらつい語ってしまって我に帰り、うわぁ、俺いいトシして恥ずかしいヤツ、と密かに反省していると、クスッと笑う声が聞こえた。
「あなたも、凄い。初めてこの曲を弾いてやった時の大介と、同じことを言う……」
最後の言葉は口の中で呟くように、葛原さんは片手で顔を覆った。押し殺した嗚咽の声が聞こえる。俺は黙ってそれを聞いていた。玄関ガラス戸の外は雨。もう少しで小止みになるだろうか。
夕方、予定より早く店主が戻ってきた。
「お帰りなさい」
「ただいま帰りました。いやあ、雨が降ったり止んだりで……、はぁ、今日は台風のわりに大雨じゃなくて良かったけど」
傘を差したり閉じたり忙しかったと店主はぼやく。温かいお茶を淹れて勧めると、疲れていたらしく、温和しく帳場後ろの畳エリアに広げたちゃぶ台の前に座った。
ひと口啜って、ふう、と息を吐いたあと、「あれ?」と店主は声を上げた。
「持ち込みがあったの?」
視線の先には、畳の上で壁に立て掛けられた立派なギター。
「いや、あれは一時預かっただけで、もうすぐ持ち主が取りに来られるはずです。──実は今日、俺が店番してて初めてお客さんが来たんですよ。古いギターが売れました」
あそこにあった、と俺はウクレレとバイオリンの置いてある辺りを指差す。
「え? あれが?」
店主は驚いている。
「一応値札は付けておいたけど、随分と痛んでいたから売れないと思ってたよ。元はいいものなんですがね、よほどの酔狂か趣味人でないとあれに手を出そうとは……」
「いや、それが。今日のお客さんは元の持ち主の叔父さんという人で。最初は道を訊ねに入ってみえたんですが、本当にたまたまあのギターを見つけて」
「たまたま?」
「はい。本当にたまたま偶然」
何故か店主は俺の顔をじーっと見る。
「な、何ですか?」
「いえ、何でも……それで、その人はどうして現役のギターを預けて行ったんです?」
「ここで買ったその古いギターを、修理に持っていくためですよ。ケースはひとつだけですから。ほら、雨降ってましたし」
道に迷った葛原さんが行きたかったとこって、ギターの修理職人さんのお宅だったらしいんだよな。ちょうどそこへ訪ねて行くって日に、ずっと探していた甥御さんのギターが見つかって、ボロボロで──。それも巡り合わせかもしれませんね、と二人でしんみりした。
「ギターの修理……ああ、この近くなら、漆葉さんかな?」
少しだけ考えて、店主はすぐ答を出した。
「え? 真久部さん知ってるんですか?」
「まあね。基本、紹介でしか仕事を請けない職人さんで、弦楽器なら何でも修理してくれるけど……ただ、気難しい人で、持ち主が気に入らないと頑として請けてくれないんですよ。そのお客さんはなかなかの人柄のようだね」
「そういえば、何度か電話で交渉して、必ず今日持ってくるように言われたとか……」
ケースのギターを入れ替える葛原さんに、台風来てるのに楽器を持ち歩くのは心配ですね、と言ったら、そう教えてくれたんだ。置いていったギターは、今のところまだ弾くのに影響は無いけど、早晩影響が出そうな不具合があり、それを直してもらいたくて、知り合いからその漆葉さんを紹介してもらったと聞いた。
「──あの人も楽器の古いものに馴染んでるからねぇ、何か感じるところがあったのかもしれないね……」
とすると、私も無意識に引っ張られたのかな? と店主は何てこともなさそうに言った。
「あの品はね、同業者の店に行ったとき、廃棄処分にするっていうのを聞いて、なんとなく買い取ってしまったんだよ。まだ、生きている 気がして」
うっ。また何か怖い言い回しを。っていうことは、他にも生きてる 品物があったり、する?
この店にいるときは、怖いような気がするけど考えないようにしておこうという、ある意味「無」の境地でいるように撤しているはずの俺の意識が、揺らぐ! と内心汗を掻いていると、救いのドアベルの音。
「すみません、葛原です。置かせていただいてたギター、受け取りに来ました」
大きいな、と思って見ていると、ケースにはさらに雨避けカバーが掛けてあったらしい。丁寧に取り出されたギターは、きれいな飴色をしていた。さっきの彼と同じ場所に座った葛原さんは、しばらくポロンポロンと音を確認していたが、大きく深呼吸すると、弾き始めた。
──何だか悲しくて、途中ちょっと希望が見えて、また深い悲しみがやってきて、少しの希望と入り混じる。
溶けるように余韻が消えて、俺はほうっと溜息を吐いた。
「凄いです! 悲しいのにキラキラしてて綺麗で、何だろう、夏の海を遠くから眺めてるみたいな……」
拍手しながらつい語ってしまって我に帰り、うわぁ、俺いいトシして恥ずかしいヤツ、と密かに反省していると、クスッと笑う声が聞こえた。
「あなたも、凄い。初めてこの曲を弾いてやった時の大介と、同じことを言う……」
最後の言葉は口の中で呟くように、葛原さんは片手で顔を覆った。押し殺した嗚咽の声が聞こえる。俺は黙ってそれを聞いていた。玄関ガラス戸の外は雨。もう少しで小止みになるだろうか。
夕方、予定より早く店主が戻ってきた。
「お帰りなさい」
「ただいま帰りました。いやあ、雨が降ったり止んだりで……、はぁ、今日は台風のわりに大雨じゃなくて良かったけど」
傘を差したり閉じたり忙しかったと店主はぼやく。温かいお茶を淹れて勧めると、疲れていたらしく、温和しく帳場後ろの畳エリアに広げたちゃぶ台の前に座った。
ひと口啜って、ふう、と息を吐いたあと、「あれ?」と店主は声を上げた。
「持ち込みがあったの?」
視線の先には、畳の上で壁に立て掛けられた立派なギター。
「いや、あれは一時預かっただけで、もうすぐ持ち主が取りに来られるはずです。──実は今日、俺が店番してて初めてお客さんが来たんですよ。古いギターが売れました」
あそこにあった、と俺はウクレレとバイオリンの置いてある辺りを指差す。
「え? あれが?」
店主は驚いている。
「一応値札は付けておいたけど、随分と痛んでいたから売れないと思ってたよ。元はいいものなんですがね、よほどの酔狂か趣味人でないとあれに手を出そうとは……」
「いや、それが。今日のお客さんは元の持ち主の叔父さんという人で。最初は道を訊ねに入ってみえたんですが、本当にたまたまあのギターを見つけて」
「たまたま?」
「はい。本当にたまたま偶然」
何故か店主は俺の顔をじーっと見る。
「な、何ですか?」
「いえ、何でも……それで、その人はどうして現役のギターを預けて行ったんです?」
「ここで買ったその古いギターを、修理に持っていくためですよ。ケースはひとつだけですから。ほら、雨降ってましたし」
道に迷った葛原さんが行きたかったとこって、ギターの修理職人さんのお宅だったらしいんだよな。ちょうどそこへ訪ねて行くって日に、ずっと探していた甥御さんのギターが見つかって、ボロボロで──。それも巡り合わせかもしれませんね、と二人でしんみりした。
「ギターの修理……ああ、この近くなら、漆葉さんかな?」
少しだけ考えて、店主はすぐ答を出した。
「え? 真久部さん知ってるんですか?」
「まあね。基本、紹介でしか仕事を請けない職人さんで、弦楽器なら何でも修理してくれるけど……ただ、気難しい人で、持ち主が気に入らないと頑として請けてくれないんですよ。そのお客さんはなかなかの人柄のようだね」
「そういえば、何度か電話で交渉して、必ず今日持ってくるように言われたとか……」
ケースのギターを入れ替える葛原さんに、台風来てるのに楽器を持ち歩くのは心配ですね、と言ったら、そう教えてくれたんだ。置いていったギターは、今のところまだ弾くのに影響は無いけど、早晩影響が出そうな不具合があり、それを直してもらいたくて、知り合いからその漆葉さんを紹介してもらったと聞いた。
「──あの人も楽器の古いものに馴染んでるからねぇ、何か感じるところがあったのかもしれないね……」
とすると、私も無意識に引っ張られたのかな? と店主は何てこともなさそうに言った。
「あの品はね、同業者の店に行ったとき、廃棄処分にするっていうのを聞いて、なんとなく買い取ってしまったんだよ。まだ、
うっ。また何か怖い言い回しを。っていうことは、他にも
この店にいるときは、怖いような気がするけど考えないようにしておこうという、ある意味「無」の境地でいるように撤しているはずの俺の意識が、揺らぐ! と内心汗を掻いていると、救いのドアベルの音。
「すみません、葛原です。置かせていただいてたギター、受け取りに来ました」