第330話 芒の神様 9
文字数 2,039文字
「僕が攫われてから、見つかるまで、三日経っていたそうです。目を覚ますまでも三日」
どこか複雑な色を帯びた笑みで、真久部さんは続ける。──今でも男前というか整った顔をしているので、子供の頃可愛かったと言われれば、そうだったろうな、と思う。ちっちゃい子が、男の子か女の子か見ただけではわからない、っていうのはあるあるだけど……。
「なんかそれって、もろに神隠しのような」
「ですよね」
うなずいて、真久部さんはお茶でひと口、喉を湿す。
「僕は子供だったし、歩いて行ける距離に住んでいなかったのもあって知らなかったんだけど、その辺り……つまり、あの茅場は昔、“不知の茅場”と呼ばれていたんだそうです」
「しらずのかやば?」
「ほら、“八幡の藪知らず”って聞いたことないですか? その“藪知らず”と同じで、そこに足を踏み入れると二度と外に出られなくなる、と恐れられている土地だったんだよ」
「……」
薄の海に、目の前のこの人が呑まれて、消えてしまったように見えたあの日を思い出す。
「シャレになりませんよ、それ……」
唇を「へ」の字に結んでいる俺に、少しだけ困ったような、申しわけなさそうな笑みを向け、なだめるように真久部さんは言う。
「実際は、ただの戒めだったんじゃないかな? 薄の下に隠れて見えないけど、あそこはかなり複雑な地形になっていてね」
周囲の山の、その裾が互いに大きく入り組むようになっていて、大小の丘陵が溶け合い絡み合うような、そんな形になっているという。
「毎年、二月ごろに山焼きをするんですが、茅場を覆っていた薄が燃やされて地面が露わになると、その起伏の激しさに驚きますよ。おまけに、中心地がすり鉢のように窪んでいてねぇ。そのすり鉢がまたけっこう大きい。そんな土地だから、薄の季節には下手をすると、慣れた人でも方向を失うことがあるというよ。だから、“不知の茅場”と呼んで、気を引き締めるようにしてたんだと思います」
「まあたしかに、あんな場所でパニックしたら、どこがどこやらどっちやら、わからなくなるかも……」
本人のコンディション次第で、何でもないところでも迷路のようになってしまうことってあるよな。精神状態や、体調や……。
「薄ってかなり背が高いし、あそこの道は踏み固められたぶん低くなってるから、本当に向こうが見えなくなるし。狐や狸がいなくても、セルフでぐるぐる堂々巡りしてもおかしくないかもしれませんね」
セルフで堂々巡り、と呟いて、真久部さんは表情を和ませた。
「何でも屋さんの喩えは、なかなか的確で面白いですね……そう、感覚はときに人を裏切ることがある。ちょっとした勘違いくらいで済めばそれも笑い話だけれど、取り返しのつかないことになることも、残念ながらやっぱりあるのでね」
僕もあの日は、そんなふうでした、と笑えないことを言う。
「ですから、観光地としてからは、順路というか、歩いても差し支えない
薄と人を、と続ける。
「立ち入って良い場所、立ち入ってはいけない、人。──別けておかなければ、
立ち入ってはいけない人って? と疑問には思うも、真久部さんもいつものツッコミ待ちなふうではないから、俺も深読みするのは止めておいた。だけど……。
「真久部さんの歩いていた道って、鎖ガードがなかったような……」
うん。あの小島みたいな丘から伸びてた、踏み固められただけの細い道。全部は知らないけど、真久部さんが通っていった道には、そんなものは見当たらなかった。
「あそこは、観光客立ち入り禁止エリアだからね」
「そうなんですか?」
俺たち、入ってよかったのかな?
「あのベンチのある丘の登り口は、普段は鎖を渡して閉ざしてあるんですよ。あの丘より向こうは、昔から
それは、ほぼ九割があの丘を越えてのことだったという。
「封鎖を無視して登っても、周囲の景色を見るだけで満足していればいいのに、その先にまで分け入って迷う人は毎年ちらほらいるようだよ。だけどね、人工物があると戻ってきやすいらしい。だからベンチを置いてあるんだよ」
自然の中の人工物は異物だから、とこともなげに言う。だから人の意識が向きやすいのだと。
「
闇夜の灯台的な。
「あれって、休憩用に置いてあるんだと思ってましたよ……」
普通に、公園のベンチ的な意味で。
「道惑いからからくも逃れた人は、疲れ果ててるらしいからねぇ。休憩用といえば、休憩用かな」
僕も、あの日はかなりよれよれでした、と答える声音に、またも自嘲の色が混じる。
「そういえば、帰りの乗り物ではずっと眠ってましたね、真久部さん……」