第321話 彼岸花の向こうに おまけ 3 終

文字数 1,833文字

「普段は食べるどころか、見向きもされないものだからねぇ。慣れていないから、場合によっては毒抜きが不十分だったりもするわけですよ。それをわからず食べてしまって、生死の境を越えたり越えなかったりして危うい目に遭う人が多数。──そういう人たちが()を作ってしまった結果だと、僕は思うんですよね」

「……」

「戦中、戦後の食糧不足のときは知らず、近年では食べる人もいないから命を養うこともないし、うっかり彷徨う人もいなくなりました。それで力が弱くなり、今ではもう、亡くなった人に会える人も少なくなった、ということなんじゃないかなぁ」

「でも……執着云々は、どういうことですか──? 強く願えば、それだけ伝わりそうに思うんですが」

彼岸花の特異性──霊性? はわかったけど、そこがやっぱりよくわからない。老婦人はとても会いたかったようなのに。

「……たぶん、あの世はふわふわしてるんですよ、シャボン玉みたいに」

少し困ったような、曖昧な笑み。

「シャボン玉、ですか?」

「そう。追いかけると逃げるし、割れる。空気の流れでね、そうなるでしょう? 勢いがあればあるほど、正面からそれて横に流れたり」

執着は、それと同じだと真久部さんは言う。

「遠いようで近い、近いようで遠い。場所により、意識により、定まらない。ふわふわと不確かで、だけど、この世と同じくらい、絶対の存在で──同じくらいに頼りないもの同士だと、互いに何となく近づいたりするけれど、強い執着はそれ自体が圧を持つ、強い風のようなものだから、シャボン玉のようなあの世の界の端っこは、その風に押されて遠ざかってしまう」

薄く伸びたシャボン玉は、弾けることもなく淡く消える──そんなふうに呟いて、店主は目を伏せ、どこか遠いところを見ているようだった。

「……」

なんとなく、真久部さんにも何か似たような体験があるのかな、と思ったりもしたけれど……、俺は何も言わなかった。ただ、憂う姿は地味でもやっぱり男前だなぁ、なんてぼんやり考えたりしながら──納得、はできたように思う。当たれ当たれと願うほど、宝くじって当たらないけど、それと同じようなことなのかな、って。──今、この場では似合わない喩えな気がしたから、口に出したりはしなかったけど。

「だけどねぇ、今回、僕はそんなつもりで(・・・・・・・)何でも屋さんを紹介したわけじゃなかったんですよ」

その男前面が、珍しくほろ苦い笑みを見せる。

「え……?」

思わず声がでる。いつも、何らかの思惑とか、企みとか、期待があると思っていたのに。

「阿加井さん、困ってらしたんです。昔に庭の世話を頼んでいた人は、そういうことはなかったらしいんだけど、最近の人は、花の季節になるとちょくちょくおかしなことになったらしくて。何かに取りつかれたみたいに、せっかくの花を箒の柄で折ってしまったり、彼岸花の向こうを見たまま突っ立って、その間の記憶を失っていたり」

かといって、お年だし、四阿の周囲だけとはいえ、ご自分で草取りをするのもキツかったそうで、と続ける。

約束事(・・・)を守れる何でも屋さんなら大丈夫と思っただけで。でも──いい寄坐(よりまし)になったみたいだねぇ……」

ここではないどこかを見るような目でそう言い、ふと息を吐いてから、気分を変えるように、「やっぱり、兄は兄どうしで馴染みやすかったのかな?」なんて、わざとらしく小首を傾げて俺を見る、黒褐色と榛色のオッドアイ。さっきと違って悪戯っぽい光を宿すそれに、なんとなく安心した。だけど。

「……」

そこ、せっかく考えないようにしてたのに。でも、いいんだ。俺の心身の安全には、万全の注意を払ってくれてるらしい真久部さんがこんなふうだということは、今回の仕事、本当に危険がなかったってことだから。

いつもの胡散臭い笑みに戻り、冷めちゃいましたね、とお茶を熱いのに淹れ換えてくれるのを見やりながら、俺はリーフパイの包装を破り、豪快に齧りついた。サクッとしてるのにこの濃厚なバターの風味……美味い! 残りのパイも、すぐに胃の中に消える。


  ボーン ボーン ボーン……
   ……ボン……ボン……ボン
   ン……ボー……ン……ボ―……
   
 ポポポン……ポ……
 

古時計たちが控えめに時を打つ。正時になったらしい。店主がすっ、とそちらに目をくれると、ズレた音を刻もうとしていたやつが、急に静かになった。

いつもの、慈恩堂の風景だ。







来年のお彼岸には、きっと彼女にも彼の姿が見えるんじゃないかな──。
恥ずかしそうに手を振る、彼のその姿が。
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