第108話 お地蔵様もたまには怒る 27
文字数 2,098文字
マジですか? 今この眼でしっかり見てるけど、あんまり信じたくない。
昨日まで、一度も開いてるところを見たことが無かったのに。何で、今日も? ──誘うように揺れる暖簾が、お地蔵様の赤い涎掛けに見えてしょうがない。
「……」
「……」
無言で顔を見合わせる俺と真久部さん。
今この瞬間、言葉にしなくても通じるものが確かにあった。
「──行こうか、何でも屋さん」
こほん、と咳払いをして、真久部さんが言う。無表情だ。俺はこくこく頷いた。暖簾から顔ごと視線を逸らし、通り過ぎる。
迷い家の主のお地蔵様、友達は選んだほうがいいと思いますよ──。そう心の中で語りかけると、あの保育園の保父さんのようにやさしげな顔で、にっこり微笑まれたような気がした。
──いや、ラーメンは美味しいんです、もう一回と言わず、何度でも食べたい味です。娘のののかや元妻、元義弟の智晴、は憎たらしいとこあるけど、出来れば俺の大切な人たちにも食べさせてやりたいくらいです。でも、真久部の伯父さんがね──。
心の中でぶつぶつ言い訳していると、聞き覚えのある明るい声が。
「あれぇ、何でも屋さん?」
「シンジ? と、るりちゃん」
元チンピラ、今はたこ焼き屋のおにーさんをやってるシンジと、その恋人のるりちゃん。るりちゃんはシンジの隣で俺たちに小さく会釈してくれた。高級クラブでNo.1を張ってる彼女だけど、普段着はいつもつつましく、目立たない。
「こんにちは。真久部さんも。お仕事すか?」
「ええ。ちょっとね」
自然にいつもの笑みを浮かべて、真久部さん。お? 真久部さん、シンジのパカッとした笑顔で元気出たか?
俺もなんかホッとする、シンジの笑顔。チャラい見かけしててもシンジってば常識人だから、伯父さんの連れてきた<あなたの知らない世界>的なものも、こいつの前では影が薄まっていくような気がする。
「今日はたこ焼き、休みですか?」
真久部さんが訊ねると、シンジはへにょっと眉を下げた。
「るりちゃん、昨夜から風邪ぎみで……大丈夫っていうけど、いっつも無理しちゃうから、今日はお店 の前にと思って、無理やりそこの丸波内科に連れてったとこなんす」
るりちゃんは困った笑顔だ。大袈裟ねぇ、なんてこと言ってるけど、風邪は舐めたらダメなんだぞ! ホステスだって身体が資本!
ん? そういえば。
「シンジ、前に言ってたラーメン屋のチンとんシャン、今日は開いてるぞ! お前、るりちゃんにも食べさせたかったって、よく残念がってただろ。ラーメン食べて身体温めたら、るりちゃんの風邪もすぐ治るよ!」
真久部さん言ってたよな。ご利益あるって。<あまりりす>と<チンとんシャン>、入り口は違うけど、入れば同じ店なんだから、食べたらご利益があるはずだ。中で伯父さんに会っても、シンジとるりちゃんは偶然入ってきただけのごく普通の善男善女だ。あの人の興味を引くことはないだろう。
「え?」
シンジは俺たちが来たほうに眼をやった。訝しそうに首を傾げてる。あ……、もしかして、今日は俺と真久部さん以外に見えないようになってる?
これじゃ俺、嘘吐きじゃん。どうしよう。いや、俺が一緒ならシンジもるりちゃんも店に入れるかな、と焦っていると。
「ほら」
真久部さんがシンジとゆりちゃんの目の前で、パチンと指を鳴らした。
「そこに赤い暖簾が見えるでしょう?」
「あ! ホントだ! 開いてるとこ一回しか見たことないから、気づかなかった」
シンジの顔が、パァッと明るくなる。るりちゃんも、あのラーメン屋さん、本当に営業してたのね、と驚き顔だ。
「行っておいでなさい、二人で。美味しいラーメンを食べれば、何でも屋さんの言うとおり風邪なんか吹っ飛んじゃいますよ」
眼を輝かせてるりちゃんの手を取ったシンジは、今にも駆け出しそうになりながら、俺たちに礼を言う。
「教えてくれてありがとうっす! 行こう、るりちゃん。あそこのラーメン、本当に美味いんだ。俺、ずっとるりちゃん連れて行きたかったんだよ!」
ゴールデン・レトリーバーの若犬のように落ち着きのなくなったシンジに引っ張られながら、るりちゃんも笑顔で俺たちに会釈する。仲の良い恋人たちを見送っていると、二人は無事チンとんシャンの暖簾を潜り、引き戸を開けて店の中に入って行った。
「……」
「……」
何となく顔を見合わせて、お互い、プッと吹き出す。
「彼ら、幸運ですね」
「シンジってば二回目なんですよ。あいつ、いいやつだからなぁ」
そんなことを話しながら、また二人、肩を並べて駅を目指す。あと十分ほどで電車が来るだろう。
ぽっかり空いた半日休み。真久部さんと何をして遊ぼうか。
──ボーリング。
うん、真久部さん、一回だけストライク出したよ!
──バッティングセンター。
俺、たまに草野球に混じったりするし……。
──カラオケ。
真久部さん、声はいいと思うよ。うん。
「落ち込まないでくださいよ……」
「落ち込んでません!」
昨日まで、一度も開いてるところを見たことが無かったのに。何で、今日も? ──誘うように揺れる暖簾が、お地蔵様の赤い涎掛けに見えてしょうがない。
「……」
「……」
無言で顔を見合わせる俺と真久部さん。
今この瞬間、言葉にしなくても通じるものが確かにあった。
「──行こうか、何でも屋さん」
こほん、と咳払いをして、真久部さんが言う。無表情だ。俺はこくこく頷いた。暖簾から顔ごと視線を逸らし、通り過ぎる。
迷い家の主のお地蔵様、友達は選んだほうがいいと思いますよ──。そう心の中で語りかけると、あの保育園の保父さんのようにやさしげな顔で、にっこり微笑まれたような気がした。
──いや、ラーメンは美味しいんです、もう一回と言わず、何度でも食べたい味です。娘のののかや元妻、元義弟の智晴、は憎たらしいとこあるけど、出来れば俺の大切な人たちにも食べさせてやりたいくらいです。でも、真久部の伯父さんがね──。
心の中でぶつぶつ言い訳していると、聞き覚えのある明るい声が。
「あれぇ、何でも屋さん?」
「シンジ? と、るりちゃん」
元チンピラ、今はたこ焼き屋のおにーさんをやってるシンジと、その恋人のるりちゃん。るりちゃんはシンジの隣で俺たちに小さく会釈してくれた。高級クラブでNo.1を張ってる彼女だけど、普段着はいつもつつましく、目立たない。
「こんにちは。真久部さんも。お仕事すか?」
「ええ。ちょっとね」
自然にいつもの笑みを浮かべて、真久部さん。お? 真久部さん、シンジのパカッとした笑顔で元気出たか?
俺もなんかホッとする、シンジの笑顔。チャラい見かけしててもシンジってば常識人だから、伯父さんの連れてきた<あなたの知らない世界>的なものも、こいつの前では影が薄まっていくような気がする。
「今日はたこ焼き、休みですか?」
真久部さんが訊ねると、シンジはへにょっと眉を下げた。
「るりちゃん、昨夜から風邪ぎみで……大丈夫っていうけど、いっつも無理しちゃうから、今日は
るりちゃんは困った笑顔だ。大袈裟ねぇ、なんてこと言ってるけど、風邪は舐めたらダメなんだぞ! ホステスだって身体が資本!
ん? そういえば。
「シンジ、前に言ってたラーメン屋のチンとんシャン、今日は開いてるぞ! お前、るりちゃんにも食べさせたかったって、よく残念がってただろ。ラーメン食べて身体温めたら、るりちゃんの風邪もすぐ治るよ!」
真久部さん言ってたよな。ご利益あるって。<あまりりす>と<チンとんシャン>、入り口は違うけど、入れば同じ店なんだから、食べたらご利益があるはずだ。中で伯父さんに会っても、シンジとるりちゃんは偶然入ってきただけのごく普通の善男善女だ。あの人の興味を引くことはないだろう。
「え?」
シンジは俺たちが来たほうに眼をやった。訝しそうに首を傾げてる。あ……、もしかして、今日は俺と真久部さん以外に見えないようになってる?
これじゃ俺、嘘吐きじゃん。どうしよう。いや、俺が一緒ならシンジもるりちゃんも店に入れるかな、と焦っていると。
「ほら」
真久部さんがシンジとゆりちゃんの目の前で、パチンと指を鳴らした。
「そこに赤い暖簾が見えるでしょう?」
「あ! ホントだ! 開いてるとこ一回しか見たことないから、気づかなかった」
シンジの顔が、パァッと明るくなる。るりちゃんも、あのラーメン屋さん、本当に営業してたのね、と驚き顔だ。
「行っておいでなさい、二人で。美味しいラーメンを食べれば、何でも屋さんの言うとおり風邪なんか吹っ飛んじゃいますよ」
眼を輝かせてるりちゃんの手を取ったシンジは、今にも駆け出しそうになりながら、俺たちに礼を言う。
「教えてくれてありがとうっす! 行こう、るりちゃん。あそこのラーメン、本当に美味いんだ。俺、ずっとるりちゃん連れて行きたかったんだよ!」
ゴールデン・レトリーバーの若犬のように落ち着きのなくなったシンジに引っ張られながら、るりちゃんも笑顔で俺たちに会釈する。仲の良い恋人たちを見送っていると、二人は無事チンとんシャンの暖簾を潜り、引き戸を開けて店の中に入って行った。
「……」
「……」
何となく顔を見合わせて、お互い、プッと吹き出す。
「彼ら、幸運ですね」
「シンジってば二回目なんですよ。あいつ、いいやつだからなぁ」
そんなことを話しながら、また二人、肩を並べて駅を目指す。あと十分ほどで電車が来るだろう。
ぽっかり空いた半日休み。真久部さんと何をして遊ぼうか。
──ボーリング。
うん、真久部さん、一回だけストライク出したよ!
──バッティングセンター。
俺、たまに草野球に混じったりするし……。
──カラオケ。
真久部さん、声はいいと思うよ。うん。
「落ち込まないでくださいよ……」
「落ち込んでません!」