第299話 疫喰い桜 13
文字数 2,077文字
疫病──蔓延する、悪疫。
「つまり、いま流行ってる新型コロナみたいな……」
「そう。質 の悪い流行病だよねぇ?」
「本当に……」
娘に会えない寂しさを思い出し、しょんぼりしつつげんなりと俺がうなずくと、伯父さんは軽く含み笑った。
「天然痘、ペスト、結核、コレラ、インフルエンザ──。古来、人を脅かした疫病は数えきれない。薬やワクチンで抑えられるようになっても、無くなったわけではない。流行の危険はいつでもあるし、そうなれば犠牲者が出る」
現代ではほとんどの人が意識もしない結核なんかも、どこからどう感染したのか本人もわからないのに、発病してしまうことがある、と続ける。
「投薬と療養で良くなるがねぇ。早期に隔離すれば、他人に感染させることもないし。そういう古 い つ き あ い の 疫病ならば対策もできるし、治療もできるが、新しい、未知の疫病もあまた出てくる。たとえばエボラ、HIV、SARS、新型インフルエンザ、そして新型コロナ」
後から後から出て来て、怖いよねぇ、と薄い笑みで。
「宿主と病原体、人と病のイタチごっこは、昨日今日始まったものではないし、この先もなくなることはないだろう。“鬼”も同じさ。人がいるかぎり“鬼”も滅びることはない。人がいて、“鬼”がいて、“きれいなもの”がいて──そうやって世の中、上手くバランスが取れているんだが……ほんのちょっとしたことで、どれかに傾いては戻り、また傾いて、完全に平衡することはない。不安定なんだよ」
「……それってなんだか、ヤジロベエみたいですね」
昔、夏休みに弟と一緒に作ったことがある。人の親になってから公園で拾った松かさで作ったヤジロベエは、娘のののかのお気に入りだった。
ああ、と伯父さんは面白そうに目を細める。
「ああ、そうだねぇ、腕が三つのヤジロベエだ。人と“鬼”と“きれいなもの”が、根を同じくしながら危なっかしく揺れている。疫病は、平衡を崩すファクターのひとつと考えればいい。現れると、似た性質を持つ“鬼”がそれに手を伸ばし、取り込もうとする。取り込めばそのぶん重くなる。するとヤジロベエは大きく傾き、危うい足場から落ちそうになる──“鬼”の側に」
そしてこ こ に攻め入る、なんて、わざとらしく明るい声で言うから、俺はぞぞっとした。
「怖いじゃないですか!」
そんな俺を満足そうに眺め、伯父さんは機嫌の良い猫又みたいな顔でうなずいてみせる。──猫又なんか見たことないけどさ。
「そう感じるのが普通で、疫病なんか遠ざけたいと思うのが大半なんだがねぇ。どうかすると、自分の持つ欲に引っ張られ、自らそれに近づいてしまう者がいる。取り込むのか、取り込まれるのか……」
“鬼”に。そう言って、薄ら笑う。
「報恩謝徳の桜を狙う“鬼”どもは人を乗り物にすると、さっき言っただろう?」
「──ええ」
ハリガネムシに意識を乗っ取られたカマキリみたいに、操られて……。
「疫病 を得て、疫病に動かされ、次々移動する。動き回る。人から人にうつすために。──アクティブ馬鹿と呼ばれる者たちの中には、高い確率でそういうのが混じっているのさ。独善と、自己中心的思考とは相性がいいからねぇ、“鬼”は」
花が咲いたから花見がしたいだの、旅行に行きたいだの、カラオケに行きたいだの、このご時勢に娯楽を我慢できないやつらがいるだろう? と続ける。
「熱や咳、風邪の症状があっても、それこそ熱に浮かされたように外に出掛けたがる。元々アクティブなのか、疫病のせいでアクティブになるのか……。ああ、もちろんアクティブが悪いわけではないよ? 自分の欲に振り回されるまま行動していると、“鬼”に付け入られやすいというだけのことさ」
自制できないのは、利己的な自分のせいなのか、それとも“鬼”のせいなのか。知る術が無いから始末に悪い、と伯父さんは補足した。
「でも……あんまり閉じこもってると、誰だって出掛けたくなると思いますよ」
俺は仕事だからほぼ連日外を出歩いてるけど、温和しく閉じこもってる顧客様の中には、自粛疲れしている人も多い。
「それでも、ほとんどの人は我慢しているだろう? 出掛けるときにはちゃんとマスクをし、できるだけ人混みを避け、用を済ませればすぐに家に帰る。手洗いをする。せっかくの良い陽気に、誘われたって庭先か、近所を散歩するくらいでなんとか耐えてる」
「……」
みんな、我慢してるよなぁ。通勤の人たちも、店やってる人も。それぞれの立場で、誰もがどこかをジリジリと擦り減らしながら耐えてる。
「そんなときに、出掛けたくて出掛けたくて仕方ない気持ち、何かに追い立てられるように遠くへ行きたくてたまらない、そういう衝動を抑えられない者は、“鬼”の乗り物にされている可能性が高いよ」
そして、さらに遠くへ疫病を撒き散らす──。その言葉に、俺はまた背中が寒くなった。
「まあ、“鬼”は疫病に乗ずる疫病みたいなものだからねぇ。その時々の流行り病を目晦ましに人の心に忍び入るんだ。誰も、本人すら気づかぬうちにそいつのエゴを喰らい、乗っ取ってしまう。そうして操るのさ、もっと欲しがれ、己の欲に逆らうな、とね」
「つまり、いま流行ってる新型コロナみたいな……」
「そう。
「本当に……」
娘に会えない寂しさを思い出し、しょんぼりしつつげんなりと俺がうなずくと、伯父さんは軽く含み笑った。
「天然痘、ペスト、結核、コレラ、インフルエンザ──。古来、人を脅かした疫病は数えきれない。薬やワクチンで抑えられるようになっても、無くなったわけではない。流行の危険はいつでもあるし、そうなれば犠牲者が出る」
現代ではほとんどの人が意識もしない結核なんかも、どこからどう感染したのか本人もわからないのに、発病してしまうことがある、と続ける。
「投薬と療養で良くなるがねぇ。早期に隔離すれば、他人に感染させることもないし。そういう
後から後から出て来て、怖いよねぇ、と薄い笑みで。
「宿主と病原体、人と病のイタチごっこは、昨日今日始まったものではないし、この先もなくなることはないだろう。“鬼”も同じさ。人がいるかぎり“鬼”も滅びることはない。人がいて、“鬼”がいて、“きれいなもの”がいて──そうやって世の中、上手くバランスが取れているんだが……ほんのちょっとしたことで、どれかに傾いては戻り、また傾いて、完全に平衡することはない。不安定なんだよ」
「……それってなんだか、ヤジロベエみたいですね」
昔、夏休みに弟と一緒に作ったことがある。人の親になってから公園で拾った松かさで作ったヤジロベエは、娘のののかのお気に入りだった。
ああ、と伯父さんは面白そうに目を細める。
「ああ、そうだねぇ、腕が三つのヤジロベエだ。人と“鬼”と“きれいなもの”が、根を同じくしながら危なっかしく揺れている。疫病は、平衡を崩すファクターのひとつと考えればいい。現れると、似た性質を持つ“鬼”がそれに手を伸ばし、取り込もうとする。取り込めばそのぶん重くなる。するとヤジロベエは大きく傾き、危うい足場から落ちそうになる──“鬼”の側に」
そして
「怖いじゃないですか!」
そんな俺を満足そうに眺め、伯父さんは機嫌の良い猫又みたいな顔でうなずいてみせる。──猫又なんか見たことないけどさ。
「そう感じるのが普通で、疫病なんか遠ざけたいと思うのが大半なんだがねぇ。どうかすると、自分の持つ欲に引っ張られ、自らそれに近づいてしまう者がいる。取り込むのか、取り込まれるのか……」
“鬼”に。そう言って、薄ら笑う。
「報恩謝徳の桜を狙う“鬼”どもは人を乗り物にすると、さっき言っただろう?」
「──ええ」
ハリガネムシに意識を乗っ取られたカマキリみたいに、操られて……。
「
花が咲いたから花見がしたいだの、旅行に行きたいだの、カラオケに行きたいだの、このご時勢に娯楽を我慢できないやつらがいるだろう? と続ける。
「熱や咳、風邪の症状があっても、それこそ熱に浮かされたように外に出掛けたがる。元々アクティブなのか、疫病のせいでアクティブになるのか……。ああ、もちろんアクティブが悪いわけではないよ? 自分の欲に振り回されるまま行動していると、“鬼”に付け入られやすいというだけのことさ」
自制できないのは、利己的な自分のせいなのか、それとも“鬼”のせいなのか。知る術が無いから始末に悪い、と伯父さんは補足した。
「でも……あんまり閉じこもってると、誰だって出掛けたくなると思いますよ」
俺は仕事だからほぼ連日外を出歩いてるけど、温和しく閉じこもってる顧客様の中には、自粛疲れしている人も多い。
「それでも、ほとんどの人は我慢しているだろう? 出掛けるときにはちゃんとマスクをし、できるだけ人混みを避け、用を済ませればすぐに家に帰る。手洗いをする。せっかくの良い陽気に、誘われたって庭先か、近所を散歩するくらいでなんとか耐えてる」
「……」
みんな、我慢してるよなぁ。通勤の人たちも、店やってる人も。それぞれの立場で、誰もがどこかをジリジリと擦り減らしながら耐えてる。
「そんなときに、出掛けたくて出掛けたくて仕方ない気持ち、何かに追い立てられるように遠くへ行きたくてたまらない、そういう衝動を抑えられない者は、“鬼”の乗り物にされている可能性が高いよ」
そして、さらに遠くへ疫病を撒き散らす──。その言葉に、俺はまた背中が寒くなった。
「まあ、“鬼”は疫病に乗ずる疫病みたいなものだからねぇ。その時々の流行り病を目晦ましに人の心に忍び入るんだ。誰も、本人すら気づかぬうちにそいつのエゴを喰らい、乗っ取ってしまう。そうして操るのさ、もっと欲しがれ、己の欲に逆らうな、とね」