第211話 長持の中にあったモノ
文字数 2,113文字
「……」
一瞬、ゾッとしたけれど──。
「ボロボロだったから……」
気づいたら、そう口にしていた。
「きっと、いつ取れちゃってもおかしくないくらいだったんですよ」
何でもかんでもそういうの に結びつける必要、ないよな。うん。
「……そうじゃな」
水無瀬さんもうなずいてくれた。ゆっくり溜息を吐くようにしている。
「儂が子供の頃親父が蔵を閉めて、何十年もそのまま放置していて……、久しぶりに風を通したのがほんの三日前。今日もそこの扉から外の空気が流れ込んでくるし……ちょっとした環境の変化で、紙に限界が来たんじゃろうな」
「そうですね……」
話しているあいだにも、ひゅる~ん、と外から風が吹き込んできて、まだ一部くっついてる部分を剥がそうとでもするかのように、朽ちた御札の端をかさかさとはためかせている。──その乾いた音が、どこか非現実的……。
「……」
「……」
そのまま何となく眺めていると、そんなにきつい風とも思わなかったのに、御札がひときわ大きくめくれ上がった。その途端、まるでそれに引っ張り上げられたかのように、長持の被せ蓋がほんの少し上がる。
キシッ……
静かな蔵の中に、かすかな軋み音が響く。二人、金縛りにでもあったように、その場から動けない。
「……なあ、何でも屋さん」
そちらのほうから目を離さないまま、水無瀬さんが言った。
「はい……」
俺の目も、上がった蓋に釘付けだ。
「気が進まないとは思うが、一緒にあれを開けてみてくれんかな」
「……」
「これから月に一度とはいえ、あんたにはここで独りで作業してもらうことになってる。気味の悪いのは嫌じゃろう、こんな曰くつきの蔵でなぁ……。無理してもらうのは、儂も申しわけがない。なに、幽霊だって正体は枯れ尾花だ。しっかり見て確認すれば、なんてことないはずだ。正体がはっきりしないのが一番怖い」
「……」
そういうのはもう慈恩堂の店番で慣れてるんだけど、とか、枯れ尾花に見せかけて幽霊とかたまにありますよ? とか、喉元まで出掛かった。だけどそれを口に出しちゃうと、『見ない見えない聞こえない。全ては気のせい気の迷い』の呪文が効力を失ってしまう、俺の中で。
だから。
「そうですね」
そう言って、にこっっと微笑んでおいた。きっと頬とか引き攣ってただろうけど、今の立ち位置だと水無瀬さんからは微妙に逆光になるから、大丈夫だろう。
「お気遣い、ありがとうございます。確かに、ああいうの開けるなら、二人揃ってる今ですよね。一人だったら、やっぱり嫌かもなー。あはは」
「普段開けない扉を開けたままだからな。内と外の湿度や気温の差で、材料の木の地の微妙な反りがこういう形で顕れたのかもしれん」
木造家屋にありがちな家鳴りというものが怖くて、子供の頃調べたんじゃよ、と水無瀬さんが苦笑するから、俺も本当の笑顔になった。うん、俺も子供の頃、家族旅行で泊まった古い木造旅館が、家では考えられないくらい家鳴りしてたんで、夜中に目を覚まして無性に怖かったことがある。正体不明の音は怖いけど、理由がわかれば一応怖さも薄れるもんな。
ま、ある程度大人になるまでは、やっぱり夜中のミシパシは怖かったけど、と思いながら、水無瀬さんと一緒に長持の蓋に手を掛ける。御札はもう完全に剥がれてしまい、カサリと下に落ちた。
「じゃあ、せーので行こうか」
「はい」
「せーの!」
持ち上げた蓋は、そう重くはなかった。二人で持ち上げたまま、中をのぞき込む。影になってよくわからないが、何かずんぐりした像のようなものがごろんと転がっているようだ。目を合わせて合図をし合い、蓋をいったん下に置くことにした。持っていた懐中電灯で照らす。
そこに浮かび上がったものは──。
「……」
「……」
両の耳は立っていて、その内側は首輪と同じ赤。団栗のように丸い大きな目は金地に黒、両耳のあいだと白い体には、薄い茶色を楕円に広げた内側に焦げ茶色を丸く塗ったものを散らして三毛の柄を示し、右手が上がって招くようにくいっと曲げられている。左手には小判ではなく、鯉のような鮒のような金魚のような、でも鯛ではなさそうな形の赤い魚を抱えていた。
「招き猫……?」
俺は呟いた。
「招き猫だな」
水無瀬さんも同意する。
互いに顔を見合わせ、笑いあう。何だ、自分たちはこんなものを怖がっていたのか、それにしてもずいぶん仰々しく仕舞いこんだものだ、などとと話し合っていたのは覚えている。
目の前で、蔵がミシミシパシパシ鳴っている。
「え?」
ここ庭? いつの間に外へ。出た覚えないのに。
「え?」
隣で、水無瀬さんも間の抜けた声を出している。
「えっ?」
今度はお互いの声がハモった。だって──。
「水無瀬さん、それ……」
「何でも屋さん、それ……」
二人とも、蔵から持ち出したと思しき箱を、大事に抱え込んでいたんだよ。
「……俺たち、さっきまで中にいましたよね?
「ああ……」
蔵はギシギシ、ミシミシ鳴っている。あれ? 何これ俺これ泥棒、これ? この蔵、やっぱり“泥棒製造機”? でも、水無瀬さんまで、何で?
「煩い! 儂は当主じゃ! この人も泥棒ではないわ!」
水無瀬さんが蔵に向かって叫ぶ。とたんに静かになった庭で、二人途方に暮れてただ見つめ合うだけだった。
一瞬、ゾッとしたけれど──。
「ボロボロだったから……」
気づいたら、そう口にしていた。
「きっと、いつ取れちゃってもおかしくないくらいだったんですよ」
何でもかんでも
「……そうじゃな」
水無瀬さんもうなずいてくれた。ゆっくり溜息を吐くようにしている。
「儂が子供の頃親父が蔵を閉めて、何十年もそのまま放置していて……、久しぶりに風を通したのがほんの三日前。今日もそこの扉から外の空気が流れ込んでくるし……ちょっとした環境の変化で、紙に限界が来たんじゃろうな」
「そうですね……」
話しているあいだにも、ひゅる~ん、と外から風が吹き込んできて、まだ一部くっついてる部分を剥がそうとでもするかのように、朽ちた御札の端をかさかさとはためかせている。──その乾いた音が、どこか非現実的……。
「……」
「……」
そのまま何となく眺めていると、そんなにきつい風とも思わなかったのに、御札がひときわ大きくめくれ上がった。その途端、まるでそれに引っ張り上げられたかのように、長持の被せ蓋がほんの少し上がる。
キシッ……
静かな蔵の中に、かすかな軋み音が響く。二人、金縛りにでもあったように、その場から動けない。
「……なあ、何でも屋さん」
そちらのほうから目を離さないまま、水無瀬さんが言った。
「はい……」
俺の目も、上がった蓋に釘付けだ。
「気が進まないとは思うが、一緒にあれを開けてみてくれんかな」
「……」
「これから月に一度とはいえ、あんたにはここで独りで作業してもらうことになってる。気味の悪いのは嫌じゃろう、こんな曰くつきの蔵でなぁ……。無理してもらうのは、儂も申しわけがない。なに、幽霊だって正体は枯れ尾花だ。しっかり見て確認すれば、なんてことないはずだ。正体がはっきりしないのが一番怖い」
「……」
そういうのはもう慈恩堂の店番で慣れてるんだけど、とか、枯れ尾花に見せかけて幽霊とかたまにありますよ? とか、喉元まで出掛かった。だけどそれを口に出しちゃうと、『見ない見えない聞こえない。全ては気のせい気の迷い』の呪文が効力を失ってしまう、俺の中で。
だから。
「そうですね」
そう言って、にこっっと微笑んでおいた。きっと頬とか引き攣ってただろうけど、今の立ち位置だと水無瀬さんからは微妙に逆光になるから、大丈夫だろう。
「お気遣い、ありがとうございます。確かに、ああいうの開けるなら、二人揃ってる今ですよね。一人だったら、やっぱり嫌かもなー。あはは」
「普段開けない扉を開けたままだからな。内と外の湿度や気温の差で、材料の木の地の微妙な反りがこういう形で顕れたのかもしれん」
木造家屋にありがちな家鳴りというものが怖くて、子供の頃調べたんじゃよ、と水無瀬さんが苦笑するから、俺も本当の笑顔になった。うん、俺も子供の頃、家族旅行で泊まった古い木造旅館が、家では考えられないくらい家鳴りしてたんで、夜中に目を覚まして無性に怖かったことがある。正体不明の音は怖いけど、理由がわかれば一応怖さも薄れるもんな。
ま、ある程度大人になるまでは、やっぱり夜中のミシパシは怖かったけど、と思いながら、水無瀬さんと一緒に長持の蓋に手を掛ける。御札はもう完全に剥がれてしまい、カサリと下に落ちた。
「じゃあ、せーので行こうか」
「はい」
「せーの!」
持ち上げた蓋は、そう重くはなかった。二人で持ち上げたまま、中をのぞき込む。影になってよくわからないが、何かずんぐりした像のようなものがごろんと転がっているようだ。目を合わせて合図をし合い、蓋をいったん下に置くことにした。持っていた懐中電灯で照らす。
そこに浮かび上がったものは──。
「……」
「……」
両の耳は立っていて、その内側は首輪と同じ赤。団栗のように丸い大きな目は金地に黒、両耳のあいだと白い体には、薄い茶色を楕円に広げた内側に焦げ茶色を丸く塗ったものを散らして三毛の柄を示し、右手が上がって招くようにくいっと曲げられている。左手には小判ではなく、鯉のような鮒のような金魚のような、でも鯛ではなさそうな形の赤い魚を抱えていた。
「招き猫……?」
俺は呟いた。
「招き猫だな」
水無瀬さんも同意する。
互いに顔を見合わせ、笑いあう。何だ、自分たちはこんなものを怖がっていたのか、それにしてもずいぶん仰々しく仕舞いこんだものだ、などとと話し合っていたのは覚えている。
目の前で、蔵がミシミシパシパシ鳴っている。
「え?」
ここ庭? いつの間に外へ。出た覚えないのに。
「え?」
隣で、水無瀬さんも間の抜けた声を出している。
「えっ?」
今度はお互いの声がハモった。だって──。
「水無瀬さん、それ……」
「何でも屋さん、それ……」
二人とも、蔵から持ち出したと思しき箱を、大事に抱え込んでいたんだよ。
「……俺たち、さっきまで中にいましたよね?
「ああ……」
蔵はギシギシ、ミシミシ鳴っている。あれ? 何これ俺これ泥棒、これ? この蔵、やっぱり“泥棒製造機”? でも、水無瀬さんまで、何で?
「煩い! 儂は当主じゃ! この人も泥棒ではないわ!」
水無瀬さんが蔵に向かって叫ぶ。とたんに静かになった庭で、二人途方に暮れてただ見つめ合うだけだった。