第293話 疫喰い桜 7

文字数 2,138文字

ニヤリ。伯父さんの笑顔が、こわ……。

「な、なんでそんなところに、来たんです、か」

問い質そうとするも、声に力が入らない。

「なにね、頼まれてさ」

「……」

誰に、とか聞かない。聞きたくない。

「こんなふうになってからは、地獄の極卒も配置されていないらしいんだが──、代わりというかなんというか、外部から“鬼”が来るようになったらしいんだよ。極卒は職務で幼子の積み石を崩していただけなんだが、外部の“鬼”はそうじゃない」

「外部の、鬼……?」

たしか、賽の河原に現れる鬼って、親の嘆きなんざ死んだ子供の責め苦の種にしかならないし、君らもいつまでも拘ってないで、とっとと成仏しなさい! って促しにくる役割だよな。スパルタな感じなんで嫌われてしまってるけど、追い立てられなきゃわからない相手には、それしかないというか、なんというか……。

慈悲の心によるものなのだとは、小野のお婆ちゃんに教えてもらったから理解はできる。できるけど、父のため母のためと幼子が一所懸命積んだ石を、わざわざ崩すばかりか、金棒振り立ててその子たちを追っ払おうとする鬼は──、まあ、立派なヒール(悪役)だよなぁ。

「極卒が幼い子供に無体を働くのは、思いやりだよ、慈悲の心によるものだ。しかしながら鬼でしかない彼らには追い払うしかできず、内心は忸怩たる思いだったらしい。けれど、自分たちの追い立てた幼子らを地蔵菩薩が引き受けて、冥途の旅へと連れていってくれる。お蔭で安心して地獄の罪人(大人たち)を責める仕事に戻れると、地蔵菩薩の徳に感謝」

「……」

なんとなく、虎のぱんつを穿いた二本角の鬼が、角と角のあいだで伸びすぎたようなパンチパーマの頭を下げ、膝をつき、両手を合わせて地蔵菩薩の後ろ姿を伏し拝む姿が眼に浮かんでしまった。

「死せる我が子を地蔵菩薩がお助けくださると知り、ようよう納得した親がその恩に感謝。地蔵菩薩が冥途の親となり、虚しい苦しい繰り返しの日々と恐ろしい鬼から助け出してくれたことに、幼子が感謝。三者の感謝の心がいつしか慈雨となり、石ころだらけの河原を潤した。地蔵菩薩の徳と恩に報いんとする心が合わさり、種となった。それが芽吹いて根を張り育ち、桜樹となって花を咲かせた。──それがここに広がる桜の森の正体さ」

「えっと、つまり……お地蔵様への、献花、ですか……?」

「そういうことだねぇ。とても美しいものでできている。純粋な感謝の気持ちで」

「……」

ああ、だから見ていて幸せな気持ちになったのか。うららかな春の日の微睡みの合い間に浮かぶ、遠い日のやさしい思い出のような──。

「けれどもねぇ、これほど美しく純粋なものとなると、それがうらやましく、欲しがるモノが現れるのさ。ほら、いるだろう、貴重な高山植物なんかを根こそぎ盗っていくような輩が」

育てられず、結局枯らしてしまうのに、と伯父さんは続ける。

「何故そこに、その場所に生えているのか考えも思いやりもせず。ただ気を惹かれたからと、自分のものにしたがる。それだけで満足し、後のことなど考えもしない。元生えていた場所が荒れようと、盗った花が枯れようと。ただ、欲しい、欲しい、欲しい──」

単調に繰り返されるその言葉に、妙に背中が寒くなる。欲しい、と、言葉が出るたび宙に溶け、薄黒い靄となって周囲に散るみたいに──。

「あ……」

  ほしい 欲しい

頭の中に聞こえてきた。伯父さんの声じゃない、誰かの声でもない。


   欲しい 欲しい ほしいよう
 ほしい 欲しい ほしい
    欲しい 欲しい ほしい
                欲しい ほしい


固まった血を、水で溶かすように、じわりじわりと滲み出してくる。これは一体何だろう? 気持ち悪さに救いを求めて桜の森に眼を遣れば。

「……!」

砂糖にたかる蟻のように見えていた影たちが、いつの間にか小さな鬼の姿になっていた。動くたびに黒い靄をまとい、桜の花を喰い尽くさんとしている。

「真久部さん! あれ、あれは──」

「だから“鬼”だと言ったじゃないか」

にったりと笑いながら、伯父さんは言う。

「賽の河原に、石の代わりに積み重ねられた報恩謝徳の念、そこから生まれた桜。その桜を、報恩謝徳の念を崩しに、外部から来たモノたちだ。まあ、害虫みたいなものだがね」

「……」

「恩も知らず、徳も知らず。子を亡くした親の嘆きも悲しみも知らず。突然命を失い、幼さ故に三途の川を渡ることも叶わず、親恋しさに泣く子のいたましさも知らず。──ここに来てしまった子たちの成仏を願う鬼、つまり地獄の極卒たちとは違うのはそこさ。ただただ欲しがり、欲しがることしかできない外道どもだ」

しかし、こんなきれいなものだからこそ、そういう“鬼”たちのものになることはない、と続ける。

「報恩謝徳の意味も知らず、知ろうとする心もない。だから、ここの桜には触れることすらできない。それが悔しくて許せなくて壊しにくるんだ。自分のものにならないならば、いっそ枯らしてしまえと」

身勝手だねぇ、とこともなさそうに。

「だけどまあ、そろそろ頃合いだ。あの“鬼”どもを退治するとしようか。──せっかく何でも屋さんを特等席にご招待したんだし、お前も活躍するところを見てもらわないとねぇ?」

そう言って、伯父さんは鯉のループタイを外した。
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