第279話 猫好きならば愛猫家
文字数 1,989文字
「猫の、血を、使ってあったんじゃなかったですか……?」
恐ろしいことを口にするのが嫌で、つい声を潜めてしまう。
幼い水無瀬さんを呪うため、その名前を書いた人形 を招き猫の台座裏に縫い留めていたのは、猫の血に浸して真っ黒になっていたという木釘ではなかったか。
「そんなことする人が……俺、信じられないです」
俺の知っている猫好きさんたちの顔が頭に浮かぶ。猫好きがそんなことするわけない──できるわけがない。そんなん認められない。
「──僕も同じだよ、何でも屋さん。呪物を作った人間が、猫を好きだったとは思いません。もちろん、他のどんな動物であれ」
唇がへの字になってるに違いない俺をなだめるように、真久部さんはしっかりそこのところを肯定してくれる。
「己の欲望のため、ただそれだけのために小さな命を犠牲にするような人間に、生き物を慈しむ気持ちはない──。だからね、この招き猫を作成した人と、呪物に変えた人間は別人なんだよ」
「そうなんですか……?」
つい疑いの眼で見てしまう俺に、困ったようにわずかに首を傾げて微笑む。
「ええ。ただの招き猫が後から細工をされ、呪物にされていたというのが本当のところなんです」
「……」
何てことするんだよ! とは思うものの……道具は道具。所有者がどう使おうと勝手だけど──。
「もちろん、作製者はそんな目的で注文されたとは知りませんよ。彼はどうやら色んなタイプの招き猫を作っていたようで、ほら、あの小判を持っているのも同じ作者によるものです」
「え?」
驚いて、俺は思わずそっちを見てしまった。いつも持ってる小判をきらりと光らせて、見せつけてくるアイツも……? ──自分が話題になったのがわかったのか、黄金の輝きがいつもより眩し……。
「あれもね、水無瀬家にあった招き猫と同じく、ごく普通に 作られたものだったはずです。──途中の持ち主のせいで、少し個性的 になったようだけど」
「そ、そうなんですか……」
個性的すぎると思うよ、真久部さん。でも、この慈恩堂では普通程度だよなぁ……って。俺、やっぱり毒されてる。いかんいかん。
「作った人は猫八といい、当時招き猫上手と言われた職人で、この人の作った招き猫を置いておくと、店が繁盛すると評判になったといいます。猫八は子供のころから猫が大好きで、親方から独り立ちしてすぐの、まだ売れないときから一匹飼っていたとか。その猫に食べさせるため、わずかな収入をやりくりし、当の自分は飢え死にしかけた、なんていうエピソードも伝わっています」
「本当の猫好きですね……。でも、そんな時代なら、猫は勝手に鼠とか獲って食べてそうですけど」
俺、このあいだ、でっかい鼠をくわえて悠々と歩いている猫を見た……そいつが入って行ったお家から、飼い主らしき女性の、すごい悲鳴が聞こえた──。
「ちょっとトロい猫だと、それも難しいようだねぇ」
真久部さんは苦笑いする。
「ウメという名前をつけて可愛がっていたそうだけど、このウメは小鳥を見てもぼーっとしていて、鼠を見つけても首を傾げるだけだったとか。ほら、たまにいるでしょう、自力だと、絶対獲物を獲れなさそうな猫が」
「──いますね」
俺も苦笑してしまう。
「猫母さんが人間に預けにくるような仔猫って、そういう子が多いみたいです。この子はどんくさくて、とても野良で生きていけないだろうって判断したら、そうすることがあるみたい。澤乃井さんちのドンボくんも、野良母さんが玄関前に連れてきて、置いて行った子だって聞きました」
うん、ドンボくん、おっとりしてるっていうか、猫タワーの上の段に登ろうとしたはずが、隣のソファにぼとんと落っこちて、ただきょとん、としてるらしい。何故、そこで頭をぶつけるのか、みたいなところで頭を打ったり、入った隙間から出られなくなって、にゃーにゃー鳴いて澤乃井さんに助けを求めることがあるんだそうだ。
「ウメもきっと、そういう猫だったんでしょう。色を付ける前に乾かしている招き猫を、うっかり落として壊したり、足型をつけたりということもあったようです」
「あー、商売ものにそれは」
材料費とかかかるんだし、台無しになったらたまらないなぁ。
「でもね、いつからかウメの足型の付いた招き猫は縁起が良いと言われるようになって。猫八の招き猫が、今でいうブレイクするきっかけなったようです」
それで猫八は生活に困らないようになったそうです、と真久部さんは言う。
「だからますますウメを可愛がって……人より短い猫の寿命が来たときは、たいそう落ち込んだといいます。招き猫を作ることすら、止めてしまったとか」
ペットロス、ってやつかぁ……。飼っていたペットを喪って、悲しすぎて、辛すぎて、鬱になっちゃう人もいるもんな──。
「じゃあ、今に残ってる猫八の作品は、ウメのいた頃のものなんですね」
「そう、思いますか?」
真久部さんが、にいっと唇の端を吊り上げた。
恐ろしいことを口にするのが嫌で、つい声を潜めてしまう。
幼い水無瀬さんを呪うため、その名前を書いた
「そんなことする人が……俺、信じられないです」
俺の知っている猫好きさんたちの顔が頭に浮かぶ。猫好きがそんなことするわけない──できるわけがない。そんなん認められない。
「──僕も同じだよ、何でも屋さん。呪物を作った人間が、猫を好きだったとは思いません。もちろん、他のどんな動物であれ」
唇がへの字になってるに違いない俺をなだめるように、真久部さんはしっかりそこのところを肯定してくれる。
「己の欲望のため、ただそれだけのために小さな命を犠牲にするような人間に、生き物を慈しむ気持ちはない──。だからね、この招き猫を作成した人と、呪物に変えた人間は別人なんだよ」
「そうなんですか……?」
つい疑いの眼で見てしまう俺に、困ったようにわずかに首を傾げて微笑む。
「ええ。ただの招き猫が後から細工をされ、呪物にされていたというのが本当のところなんです」
「……」
何てことするんだよ! とは思うものの……道具は道具。所有者がどう使おうと勝手だけど──。
「もちろん、作製者はそんな目的で注文されたとは知りませんよ。彼はどうやら色んなタイプの招き猫を作っていたようで、ほら、あの小判を持っているのも同じ作者によるものです」
「え?」
驚いて、俺は思わずそっちを見てしまった。いつも持ってる小判をきらりと光らせて、見せつけてくるアイツも……? ──自分が話題になったのがわかったのか、黄金の輝きがいつもより眩し……。
「あれもね、水無瀬家にあった招き猫と同じく、ごく
「そ、そうなんですか……」
個性的すぎると思うよ、真久部さん。でも、この慈恩堂では普通程度だよなぁ……って。俺、やっぱり毒されてる。いかんいかん。
「作った人は猫八といい、当時招き猫上手と言われた職人で、この人の作った招き猫を置いておくと、店が繁盛すると評判になったといいます。猫八は子供のころから猫が大好きで、親方から独り立ちしてすぐの、まだ売れないときから一匹飼っていたとか。その猫に食べさせるため、わずかな収入をやりくりし、当の自分は飢え死にしかけた、なんていうエピソードも伝わっています」
「本当の猫好きですね……。でも、そんな時代なら、猫は勝手に鼠とか獲って食べてそうですけど」
俺、このあいだ、でっかい鼠をくわえて悠々と歩いている猫を見た……そいつが入って行ったお家から、飼い主らしき女性の、すごい悲鳴が聞こえた──。
「ちょっとトロい猫だと、それも難しいようだねぇ」
真久部さんは苦笑いする。
「ウメという名前をつけて可愛がっていたそうだけど、このウメは小鳥を見てもぼーっとしていて、鼠を見つけても首を傾げるだけだったとか。ほら、たまにいるでしょう、自力だと、絶対獲物を獲れなさそうな猫が」
「──いますね」
俺も苦笑してしまう。
「猫母さんが人間に預けにくるような仔猫って、そういう子が多いみたいです。この子はどんくさくて、とても野良で生きていけないだろうって判断したら、そうすることがあるみたい。澤乃井さんちのドンボくんも、野良母さんが玄関前に連れてきて、置いて行った子だって聞きました」
うん、ドンボくん、おっとりしてるっていうか、猫タワーの上の段に登ろうとしたはずが、隣のソファにぼとんと落っこちて、ただきょとん、としてるらしい。何故、そこで頭をぶつけるのか、みたいなところで頭を打ったり、入った隙間から出られなくなって、にゃーにゃー鳴いて澤乃井さんに助けを求めることがあるんだそうだ。
「ウメもきっと、そういう猫だったんでしょう。色を付ける前に乾かしている招き猫を、うっかり落として壊したり、足型をつけたりということもあったようです」
「あー、商売ものにそれは」
材料費とかかかるんだし、台無しになったらたまらないなぁ。
「でもね、いつからかウメの足型の付いた招き猫は縁起が良いと言われるようになって。猫八の招き猫が、今でいうブレイクするきっかけなったようです」
それで猫八は生活に困らないようになったそうです、と真久部さんは言う。
「だからますますウメを可愛がって……人より短い猫の寿命が来たときは、たいそう落ち込んだといいます。招き猫を作ることすら、止めてしまったとか」
ペットロス、ってやつかぁ……。飼っていたペットを喪って、悲しすぎて、辛すぎて、鬱になっちゃう人もいるもんな──。
「じゃあ、今に残ってる猫八の作品は、ウメのいた頃のものなんですね」
「そう、思いますか?」
真久部さんが、にいっと唇の端を吊り上げた。