第311話 藤花の季節 6 終

文字数 3,156文字

「……」

ラーメン屋の亭主云々は聞き流すことにした。だって、迷い家の主だし。善い人(?)なのに伯父さんと親しいのが謎だし、前に賽の河原に連れて行かれたのも、そこの店を経由してだったし。だからその藤の花の咲いてる場所にだって、簡単に行けるのかと──。

「なら、それを、どうやって手に入れたんです……?」

ただ俺をびびらせて楽しむためだけに、そこらの公園から毟ってきたとか……? それなら、いま聞かされてる怖い話はフィクションなんだ! そう思いたかったのに。

「だから、物々交換なんだよ」

「──誰と?」

俺の問いに伯父さんニヤリと笑い、自分の居るちゃぶ台の後ろ、つまり、端に俺の座る帳場(レジ)のある畳エリアの、その床の間の掛け軸を指さした。

「……?」

今日ここに来たとき見たから知ってるけど、それって葉桜の影に女人が一人で佇んでいる絵柄のものだったはずだ。彼女は片手に藤の花を持っていて、ちょっと変わってるな、と思ったのを覚えている。

藤の花は、八重桜が葉桜になる頃から咲き始める。だから、花の時季としてはそうなんだろうけど、絵として、どうして<葉桜に藤>なんだろう、何か判じ物的な意味でもあるのかな? と不思議だった──そう、彼女は片手から藤の花房を垂らしていたんだ。藤の……。

この世ならぬ場所にあるという、藤の森の怖い話をさんざん聞かされたあとだから、背筋が凍りかけたけど。

「あれ?」

今見ると、女人は何故か藤の代わりに新巻鮭を手に持っていた。え? 伯父さんたら、勝手に掛け軸を掛け変えた? っていうか、どっかの大衆的イタリアンレストランの、暇つぶしに用意されてる間違い探しくらいそっくりな絵なんだけど──そのわりに、すんごいわかりやすい間違いなんだけど……。

わけがわからなくて混乱している俺に、伯父さんがニヤニヤしながら種明かし(?)をしてきた。

「この前交渉したとき、彼女が新巻鮭となら交換してやるっていうから。知り合いの魚屋に頼んで、最高級のものを用意してもらったんだ。そしたらとても喜んでくれてねぇ。手に持ってるやつだけじゃなくて、もっとたくさん花を取ってきてやろうかと言ってくれたんだが、必要以上にもらっても、ねぇ?」

始末に困るし、売るわけにもいかないし、と伯父さん同意を求めてくるけれど。

「そ、そんなもの、持ち込まないでくださいよ! この世に!」

俺は、叫んだ。この店の中だけで収まる程度には我慢した。頑張った……。

「おや? 褒めてくれないのかな?」

意外そうな顔を装って、伯父さん。

「褒められませんよ! どこかわからないけど、そっちの世界のものを、何でこっちに持ってくるんですか! この世に存在しないものって、この世に存在しちゃいけないから存在しないんじゃないんですか!?」

俺、いい事言った、と思ったのに。

「うーん、でも、この世に存在しなくても、似たようなものを作る奴はいるよ?」

何でも屋さんも、それで嫌な目に遭ったことがあるよね。あの子から聞いたことがあるよ、と言われると、いつかの水無月の不可思議な体験を思い出し、言葉に詰まってしまう。

「この世でだって、似たようなものが自然発生することはあるしね。だいたいさぁ、呪物と、古道具たちに育つ**は性質が違うけど、ある意味似ているといえば似ているんだよねぇ」

「……」

古い道具たちに育つ、()、だろう? やっぱり聞き取れない言葉、きっと聞き取れなくてもいい言葉。だけど、存在するのであろう言葉──。呪物も、そんなようなものなんだろうか。見ることも聞くこともできないくせに、ただ空気を震わせてその存在を主張するものに似た、禍々しい……。

「呪物なんてもの、作るのは割に合わないよ、手間もかかるし。()()を集めるのはもっと大変だしね。その点、この世ならぬ場所に、ごく自然に発生した天然ものの()()ならば、新巻鮭一本で交換してもらえるし、使用しても()()()()も吹かないし、」

それとも、何でも屋さんは私に、この世で自分で呪物を作れっていうのかな? と伯父さんは嫌な感じに笑んでみせる。

「そんなことは、ありませんよ……」

「だよねぇ。常識人の何でも屋さんが、たくさんの動物たちを犠牲にしないと作れないような呪物を作れなんて、言うわけないよね。私だってそんなものを作りたいとは思わない。生き物を虐めるなんて趣味じゃないし」

だから、この世ならぬ世界の、この藤の花なんだよ、と結ぶ。

「雅じゃないか、花の呪物なんて。いい匂いもするし……使い方は簡単。花の房から小さい花をひとつ取って、枕の下に置いておくだけ。それだけで、眠る相手に悪夢を見せてくれる。この世ならぬ藤の森に捕らわれて死んだ動物たちの、その苦しみを夢の中で追体験させてくれるんだ。房から花がなくなれば、それでおしまい。この世に呪物が残ることはない」

彼女の夫も、しばらくは浮気どころじゃないんじゃないかな、と伯父さんは含み笑うけど。

「……」

なんか俺、そんなような夢をここで見てたような……。

「そう、この花の香りがね。起きてるときならなんてことはないんだよ? だけど、眠ってるときに嗅いでしまうとねぇ。ただの夢だからさ、魘される以外、身体に害はないんだけども──ねぇ、何でも屋さんもさ、さっき私が彼女と世間話してたとき、花の香りがしてただろう? ()()()()()からねぇ。眠っていても話の内容が聞こえていただろうから、ちょうど夢に見たと思うんだ、きみは魘されてたし」

あの牡鹿は、苦しんでいただろう? そう言って、無邪気な邪気全開で意地悪仙人がニッタリ笑って……。

「……」

俺は、無言で目の前にある店の電話に手を伸ばした。骨董古道具屋にふさわしい、とてもレトロな黒電話。ダイヤル式で、その数字を回すたび、ジーコジーコと行って戻って時間がかかる。

──はい。

「あ、真久部さん?」

──店番お疲れさまです、何でも屋さん。何かありましたか?

電話の向こうはざわざわしてる。きっとまだ骨董市にいるんだろう。何も知らずにいるであろう店主の、その落ち着いた声が、今はちょっとだけ恨めしい。

「あの、今、」

お店に伯父さんが、と言おうとしたとき、プツッと電話が切れた。ぐるぐる螺旋の受話器のカールコードごし、本体のほうを見ると、いつの間にこちらに来たのか、人差し指をフックに乗せ、通話を切ってる伯父さんの姿が。

「何するんですか!」

思わず抗議。当然の抗議。なのに、酷いなぁ、と責められる。

「酷いなぁ、何でも屋さん。私がここに来たことがバレたら、あの子に叱られてしまうじゃないか」

だから、眠って忘れてください、そう言って伯父さんは、黒褐色と榛色のオッドアイを悪戯っぽくきらめかせ、今日一番の胡散臭い笑みを見せると、俺の額にデコピンを──。

すうっ、と瞼が重くなる。

「もう掛け軸の向こうとは繋がってないし、藤の香りは漏れてこないから。怖い夢は見ないはずだよ」

ただそれだけが耳に聞こえて、俺は安心したのだと思う。眠気に抗う気もおきず、そのまま素直に眼を閉じた。



ふわふわ、ふわふわ、頭がふわふわ。

影のない、不思議に明るい世界。たくさんの何かの姿があって、あれは……蝶や、蜻蛉、蛙を背中に乗せた牛に、花の上で顔を洗う金色の猫、犬なのか狐なのかわからない象より大きないきもの、鮎、鯛、金魚に鯉……鯉はいらん、鯉は……。

……青い蜥蜴や、白い蝙蝠、ところどころ虹色の鱗を光らせる小さな蛇に、輪郭だけの馬、それから──。


 おじちゃん、あそぼ!


いつものあの子たち。


 お花つもう!
  おりがみしようよ!
   お歌うたって!


子供たちの期待に満ちた瞳に、俺は我知らず微笑んでいた。


ああ、そうだね、小父さんと遊ぼう。
お菓子もあるよ。金平糖に、せんべい、クッキー、お饅頭。

ほら、慌てない。たくさんたくさんあるからね……。
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