第143話 たくさん遊べば 2

文字数 2,267文字

ホッとしながら黒電話の受話器を取ってみると、真久部さん。

「古美術雑貨の慈恩堂です、って、真久部さんどうしたんですか?」

──すっかりうちの店番が板についてるねぇ、何でも屋さん

笑い混じりの声。電話の向こうの遠い喧騒。骨董市は盛況のようだ。

「いやあ、ははは……」

──お疲れさまです。メモを置いて行くのを忘れたのでね、それで電話を。

「はい」

──何でも屋さんのお昼用に、富貴亭から弁当の出前をお願いしてあるので、正午になったら店の前まで受け取りに出てあげてください。

うちの店、怖いらしくて。そう続け、困ったように軽く笑う声が受話器から聞こえる。

「わかりました、ありがとうございます。それにしても富貴亭? あそこ、出前なんてしてくれるんですか?」

──ご近所の誼でね。

たしかに直線距離ではご近所だけど、なかなかけっこうな今風料亭。普通は出前なんてしてくれないと思う。そんなところのお弁当なんて高そうだ……。

──そうそう。もうひとつ。

「あ、はい」

おっと、ちゃんと聞かなくちゃ。

──今日は自分でドアを開けられないお客は、店の中に入れなくてもいいですから。

「え?」

──頼みましたよ。

「え? 真久部さん?」

……切れてしまった。ツーツーと虚しく鳴る受話器をゆっくり元に戻す。
今の、どういう意味だろう?

「……ま、いいか」

真久部さんがそう言うなら、きっと意味がある。わからなくてもそれでいいんだ、ここ慈恩堂では。

俺は独りうなずいて、店の道具たちに軽くハタキでも掛けることにした。






正午の時計の音に急かされて、慈恩堂の店の前、半地下の階段を上ると、ちょうどやってきたのは富貴亭の若い衆。ホッとした顔で俺に弁当を渡すと、逃げるように帰って行った。

……そんなに怖いかな、慈恩堂。

「……」

俺、すっかり毒されてるのかもしれない。でも、店番してるあいだはそのほうがいいと思うので、毒されておこう、うん。

富貴亭のお弁当は、思った以上に豪勢だった。

つやつやの白いご飯に、海老と蓮根とイカのてんぷら、柿なます、神々しいまでに新鮮としか言いようのない刺身盛り合わせ、緑のきぬさやを従えたうずら卵のスコッチエッグ、野菜の焚きものは飾り切りが美しく、白身魚の焼き物には味噌タレと銀杏の松葉串焼きを添えて、形の良い栗の渋皮煮が黒い宝石のよう。漬物はあえての浅漬けか、合間に摘めばぽりぽりと口の中が爽やかになる。

だけど、俺が一番感じ入ったのは玉子焼きだ。一流の料理人が作った玉子焼きは余人には真似ができないというけど、しみじみそうだと思う。まず、色がきれいだ。輝くような黄色だ黄金色。やわらかいのに心地よい歯ごたえがあって、適度な汁気に甘過ぎずしょっぱ過ぎずの深い味わい。

この玉子焼きだけで一食いける、と思いつつ、白いご飯になだめられ、次々と他の料理に誘導される。別の保温容器に入れられたお吸い物は、添えられていた塗りのお椀にたっぷりと。全てはさすが料亭の味、最後まで飽きさせない。

ほへー、と満足の息を洩らして、しばし放心。──真久部さん、太っ腹だなぁ。これってホントいくらするんだろう。つい考えてしまうけど、それで釣りたいほど、この慈恩堂の店番要員確保が大変、ってことなのかもしれない。別にこんなに気を遣ってもらわなくても、ちゃんとお仕事料払ってくれるんだからいいのになぁ。

──今のところ、うちの店番は何でも屋さんにしか任せられないですから。そうですね、他にできるとしたら……、伯父くらいしかいないでしょうねぇ、なんて、前に真久部さん言ってたな。あの、甥より何倍も胡散臭く、怪しさ全開の真久部の伯父さんと比べられるなんて……。

ぶるぶる。俺、古道具の怪しい気(?)を好んで食べるような、悪食鯉の木彫りループタイなんて飼ってないですから!

うをを、何件もの丑の刻参りを呼び寄せまくった桜の木、ついに伐り倒されたその材で伯父さんが作らせたという、あの性質の悪い鯉を思い出すと寒気がする。せっかく美味しい弁当を食べたばかりだというのに、いかんいかん、忘れよう。店の中の鯉モチーフたちを気にしちゃいけない、真久部の伯父さんの鯉とは何の関係もないんだから。

さてと、富貴亭の弁当箱たちを洗うとしよう。料理だけじゃなくて入れ物も豪華だったんだ。

もし客が来たらすぐわかるように、台所と店の間の戸を開けたままにして、手早く洗い物を済ませる。俺が店番してても滅多に客は来ないけど、ごくたまに来ることもあるんだ。ふー、台所に立ってる間は来なかったな。さて帳場に座り直して。

「……」

あー、腹くちくなって足元掘りごたつであったかくて。眠くなるけど我慢。うっかり転寝するとまた変な夢を──。

ちりん、とドアベルが鳴った。お、客か? 珍しい。

「いらっしゃいませ」

声を掛けると、びっくりしたような顔の若い女の人。

「いえ、あの……」

何でこの店に入っちゃったのか、自分でもわからないって呆然としてる感じ。──道具に呼ばれたかな。彼女と縁がある品があるのかも。

「何かお探しですか?」

「え、ええ……」

客は困惑したように店の中を見回している。

「いろいろ面白いものもあるので、どうぞ見て行ってくださいね」

接客用の笑顔を向けておく。──俺の笑顔は、決して真久部さんのように胡散臭くない、はず。なのに、何故客は引き気味なんだろう。解せない。
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