第71話 秋の夜長のお月さま 9
文字数 2,257文字
──呼ばれたのはあなたの方でしたか。てっきり私だと思ったんだが。
老人は、確かそんなふうに言っていた。
「何でも屋さん?」
「え?」
ハッとして店主を見やると、心配そうな顔をしている。
「いえ、ぼんやりしているようなので……もしかして、何かされました?」
「何かって?」
何かって、何だろう? きょとんとしていると、店主はふう、と息をついた。
「──まあ、いいです。その老人と何を話したんですか?」
「えーっと。呼ばれたのは自分だと思ってたのに、あなたの方だったんですか、みたいなことを。いきなり変なこと言うなぁ、って思って……ん? これって……」
例の<悪いモノ>に呼ばれたのが、っていう話──?
思わず答を求めて店主を見たら、頷かれた。
「そうでしょうね。その人も流れに乗ってたんでしょう、途中まで」
「途中って、そういうことあるんですか?」
「ありますよ。電車の乗り継ぎみたいなものです。急行列車から普通列車に乗り換えるはずが、そのまま乗って行ってしまったり、逆に引き返したり。何故か特急に乗ったり、あるいは急に尿意を催して次の駅で降りてトイレに行ったりということもありますね。どれを選んでも、目的の駅に到着する時間は違ってきます。つまり、到着の時空座標がズレる──まあ、それを裏返しにすると、妖しのモノが使う引き寄せの流れになるんですけどね」
最後のほうは呟くようになったんで聞き取れなかったけど、終着駅に到着する電車は時間厳守してもらわないと、一分でも一秒でも、それこそナノセカンドでもズレると迎えに行けないんだな、と理解した。もしくは幸運の女神様の前髪的な? ちょっと違うか。
それはともかく、あの老人と会ったのは同じ列車の同じ車両だったし、特にトイレに行きたそうでもなかったけど──。
「あ、そういえば、俺に声掛ける直前までスマホの画面見てたかも」
かなりのお年のようなのに、デキる老人、て感じに使いこなしてるみたいだったから、わー、カッコイイ爺さん、って思って見てたんだ。俺なんか、未だにガラケーなのにさ。
「もしかして、メールか何かが来て、その内容によってあの老人の予定が変わったってことなのかな? 俺と同じ流れに乗ってたのに、途中で逸れるっていうのはそういうこと、ですよね?」
「そうでしょうね。でも、わざわざあなたに話しかけてきたっていうのが──」
──もしかしたらあの老人は、自分と同じように 俺も<悪いモノ>に引っ張られてるって、知ってた?
店主も俺も同じ結論に達したようで、お互いに黙って目を見合わせてしまった。
「あの……見ただけでその人が何かに、この場合は例の<悪いモノ>ですけど、そういうのに引っ張られてるって、分かったりするもんなんですか?」
「普通は分かりませんよ」
考えながら、店主は言った。
「僕だって、予測出来たのは事前知識、予備知識の賜物ですから……」
うーん、と店主は唸る。
「もしかして、真久部さんの同業者だったのかなぁ?」
「……」
考え込む店主。──変わった人、という点では同じくくりかも。なんて、どっちに対しても失礼なことを考えつつ、記憶を手繰る。
「そういえば、変わったループタイしてたな。古い木彫りの……鯛? いや、鯉だったかな。すごくリアルなの。同業者じゃなくても、骨董愛好家なのかも……」
──知ってますか? 鯉は竜になることが出来るんですよ。
ふいに、老人の声が耳に蘇った。
──鯉の滝登りという言葉があるでしょう? 垂直の滝を登り切るほどの力ある鯉は、竜になることが出来るんです。
「鯉の、滝登り……?」
──数多の**を喰ってきたこいつも、そろそろ竜になれるかと思って連れてきたんだが、どうやら私では連れて行ってやれないようだ。今夜呼ばれたのは私ではなく、あなたなのだから仕方がない。だが、せっかくの機会だ。あなたの連れているソレに喰わせてやりなさい。
「喰わせる……」
──どれ……。眠っているか。滅多にない御馳走を食べそこねるのは可哀想だ。私が起こしてやろう。……よし。──これ、そのように不満を言うな。主 を**のところに連れて行ってくれる御仁だ、必ず護れ。**を逃すなよ。昔より弱ってはいるが、古くからいるぶん、そんじょそこらのモノとは比べ物にならないほどの力がある。見事喰らえたなら、主は竜になれるだろう。……ああ、そうだ。手妻地蔵様も手伝ってくださる。
「あの老人、手妻地蔵のこと知ってた──」
あああああ、俺、何で忘れてたんだろう。
「そうだ、俺が肩掛けにしてた鞄に手を当てて。おかしな指の形をして何か唱えたんだ。それから誰かとしゃべり始めて……」
こんな元気でお洒落でスマホ使いこなしてるような人が実は恍惚の人? そう思って呆気に取られてたんだ。そしたら──。
「今のこと、覚えてないほうが安全だから、とか言って、にっこり笑ってデコピンかましてきて……」
「今まで、忘れてたんですね」
はあ、と店主は大きな溜息をついた。
「すみません……」
情けなくて、我ながら蚊の泣くような声になってしまった。はあ……あの老人より俺のほうがよっぽどボケてるじゃないか。うう、まだそんなトシじゃないのに……。
「いや、きみは悪くないよ、何でも屋さん。実はね、そういう悪戯 をする人間に、僕は心当たりがあるんです」
老人は、確かそんなふうに言っていた。
「何でも屋さん?」
「え?」
ハッとして店主を見やると、心配そうな顔をしている。
「いえ、ぼんやりしているようなので……もしかして、何かされました?」
「何かって?」
何かって、何だろう? きょとんとしていると、店主はふう、と息をついた。
「──まあ、いいです。その老人と何を話したんですか?」
「えーっと。呼ばれたのは自分だと思ってたのに、あなたの方だったんですか、みたいなことを。いきなり変なこと言うなぁ、って思って……ん? これって……」
例の<悪いモノ>に呼ばれたのが、っていう話──?
思わず答を求めて店主を見たら、頷かれた。
「そうでしょうね。その人も流れに乗ってたんでしょう、途中まで」
「途中って、そういうことあるんですか?」
「ありますよ。電車の乗り継ぎみたいなものです。急行列車から普通列車に乗り換えるはずが、そのまま乗って行ってしまったり、逆に引き返したり。何故か特急に乗ったり、あるいは急に尿意を催して次の駅で降りてトイレに行ったりということもありますね。どれを選んでも、目的の駅に到着する時間は違ってきます。つまり、到着の時空座標がズレる──まあ、それを裏返しにすると、妖しのモノが使う引き寄せの流れになるんですけどね」
最後のほうは呟くようになったんで聞き取れなかったけど、終着駅に到着する電車は時間厳守してもらわないと、一分でも一秒でも、それこそナノセカンドでもズレると迎えに行けないんだな、と理解した。もしくは幸運の女神様の前髪的な? ちょっと違うか。
それはともかく、あの老人と会ったのは同じ列車の同じ車両だったし、特にトイレに行きたそうでもなかったけど──。
「あ、そういえば、俺に声掛ける直前までスマホの画面見てたかも」
かなりのお年のようなのに、デキる老人、て感じに使いこなしてるみたいだったから、わー、カッコイイ爺さん、って思って見てたんだ。俺なんか、未だにガラケーなのにさ。
「もしかして、メールか何かが来て、その内容によってあの老人の予定が変わったってことなのかな? 俺と同じ流れに乗ってたのに、途中で逸れるっていうのはそういうこと、ですよね?」
「そうでしょうね。でも、わざわざあなたに話しかけてきたっていうのが──」
──もしかしたらあの老人は、
店主も俺も同じ結論に達したようで、お互いに黙って目を見合わせてしまった。
「あの……見ただけでその人が何かに、この場合は例の<悪いモノ>ですけど、そういうのに引っ張られてるって、分かったりするもんなんですか?」
「普通は分かりませんよ」
考えながら、店主は言った。
「僕だって、予測出来たのは事前知識、予備知識の賜物ですから……」
うーん、と店主は唸る。
「もしかして、真久部さんの同業者だったのかなぁ?」
「……」
考え込む店主。──変わった人、という点では同じくくりかも。なんて、どっちに対しても失礼なことを考えつつ、記憶を手繰る。
「そういえば、変わったループタイしてたな。古い木彫りの……鯛? いや、鯉だったかな。すごくリアルなの。同業者じゃなくても、骨董愛好家なのかも……」
──知ってますか? 鯉は竜になることが出来るんですよ。
ふいに、老人の声が耳に蘇った。
──鯉の滝登りという言葉があるでしょう? 垂直の滝を登り切るほどの力ある鯉は、竜になることが出来るんです。
「鯉の、滝登り……?」
──数多の**を喰ってきたこいつも、そろそろ竜になれるかと思って連れてきたんだが、どうやら私では連れて行ってやれないようだ。今夜呼ばれたのは私ではなく、あなたなのだから仕方がない。だが、せっかくの機会だ。あなたの連れているソレに喰わせてやりなさい。
「喰わせる……」
──どれ……。眠っているか。滅多にない御馳走を食べそこねるのは可哀想だ。私が起こしてやろう。……よし。──これ、そのように不満を言うな。
「あの老人、手妻地蔵のこと知ってた──」
あああああ、俺、何で忘れてたんだろう。
「そうだ、俺が肩掛けにしてた鞄に手を当てて。おかしな指の形をして何か唱えたんだ。それから誰かとしゃべり始めて……」
こんな元気でお洒落でスマホ使いこなしてるような人が実は恍惚の人? そう思って呆気に取られてたんだ。そしたら──。
「今のこと、覚えてないほうが安全だから、とか言って、にっこり笑ってデコピンかましてきて……」
「今まで、忘れてたんですね」
はあ、と店主は大きな溜息をついた。
「すみません……」
情けなくて、我ながら蚊の泣くような声になってしまった。はあ……あの老人より俺のほうがよっぽどボケてるじゃないか。うう、まだそんなトシじゃないのに……。
「いや、きみは悪くないよ、何でも屋さん。実はね、そういう