第230話 怪しい蔵は妖怪めいて
文字数 2,111文字
「ええ、その通りです」
真久部さんはうなずいた。
「だけど水無瀬さんのご父君のほうは、たぶんそれをご存知なかった。だから不思議に思ってらしたんじゃないかと思うんです、うちで預かる人間は、どうしてこうたびたび窃盗の罪を犯し、あの蔵に騒がれるのかと……」
その頃はしょっちゅう蔵が家鳴りをしていたはずです、と続ける。
「それは……気味が悪かっただろうなぁ──」
思わず嫌な顔をしてしまう。一回しか聞いていない俺でも、もう二度と聞きたくないっていうのに。
「でしょうね。考えていくうちに、原因は蔵にあるんじゃないかと、ご父君はそう結論づけたんじゃないかと僕は考えています。普通でないあの蔵のせいで、人間がおかしくなるんじゃないかと──まさか、手癖の悪いのをわざと受け入れているとは思わず」
「あ、そうか……人助けの意味を知らず、蔵の特性を、片方しか知らなかったら……」
中のものを、無断で持ち出すと蔵が騒ぐ。
持ち出す前に、ひと言「何々を持ち出す」と断れば、蔵は大人しい。
「水無瀬さんのお父さんのように、無意識にでも呟かないかぎり、中のものを勝手に持って行くものは蔵にとっては<無礼者>ではあるけど、イコール<泥棒>ではない──」
「そうそう」
にっこり微笑んで先を促す真久部さんに励まされ、俺は続ける。
「だから、たとえば扉が開いてるのを見つけた人が、庭の枯葉でも掃こうと、軽い気持ちで入り口のすぐ近くに置いてあるような箒を持ち出したみたいな場合でも騒がれるけど、それは<泥棒>とはいえない。でも、水無瀬さんのお父さんは<泥棒>が入ると蔵が騒ぐと思っているから──」
「実際、普通の、というのも変ですけど、普通の泥棒が入ったこともあるそうですからね」
「そうなんですか……。それならよけい、蔵が騒ぐ、イコール泥棒が入った、と普段から思っていたんでしょうね。善意の人は気の毒だけど……」
「当時、蔵の鍵を握っていたご父君の御父上──水無瀬さんのお祖父様は、<白浪>付きを預かったら、蔵の鍵をわざと開けたままにしておいたりしたと思いますよ、誘い込むために」
「……」
「まあ、開いていようと、まともな人は勝手の分からないよそのお宅の、しかも蔵に黙って入ったりしないわけでね。それでも入って中の物をくすねてしまうのが、<白浪>付きの<白浪>付きたる由縁でしょう。──それまで散々小さな盗みを重ね、怒られ叱られて、その挙句に遠くの、知らない家に預けられることになったというのにね。泥棒気質はそう簡単には直らないということです」
そこまで聞いて、俺はハッとした。
「だから、お父さんは蔵を“泥棒製造機”と名付けた……?」
「──意思疎通が、上手く行ってなかったんでしょうね。ご自分の御父上との」
真久部さんは微妙な笑みを浮かべてみせる。
「ご父君はたぶん、御父上による書付の存在を知ってはいても、<白浪>の文字を見過ごしていたか……あるいは、気づいていたとしても、後から書き足されたものだと思っていたんじゃないでしょうか」
蔵が騒いで、その誰かの窃盗が発覚した後にね、とつけ加える。
「あー……」
俺みたいに端っから<白浪>の意味を知らなかったり……なんてことは、ないんだろうな……。
「水無瀬さんのお話によると、ご父君はそれはそれは蔵を忌み嫌ってらっしゃったそうです。特に事件──つまり、水無瀬さんの叔父さんのことがあってからは、少しでも蔵に近寄るときつく叱られたそうで……。あれに近寄ると魅入られる、誰でも泥棒になってしまう、と」
「……泥棒の気があるから蔵に忍び込むんじゃなくて、蔵に引き寄せられた結果、まともな人間がおかしくなって盗みをしてしまう、という解釈をされていたんですね──」
実際、異常なことだもんな。普通はさ、世話になってる家の物を盗むなんて考えられないと思う。行きずりならともかく、身元だってはっきりしてるわけだし。顔見たって、教えられなきゃそいつが盗癖を持ってるなんてわかるわけない。
預かっていた、気の弱そうな、大人しそうな、無口な、愛想の良い、ごく普通に見える人々。その中の誰が常習の犯罪衝動を抱えてるなんて思うだろう。……水無瀬さんのお父さんにしてみたら、まともな人間だったのが、何かが原因でおかしくなったと考えるのが、ごく自然な成り行きだったのかもしれない。──だって、自邸には怪しい蔵があるんだ。不気味なそれ を負い目に感じていれば……。
「蔵まるごと、何か妖怪めいた存在だと考えてらっしゃったようでねぇ」
そう言って、真久部さんは猫のように目を細める。
「いや、じゅうぶん妖怪っぽいと……」
中のものを無断で 持ち出されたからって、あんな物言い 付ける蔵は他にないんじゃ……?
「だけど、悪いものではないですよ? ──水無瀬さんのご父君は、邪悪な存在だと考えてらしたようですが、どちらかというとあれは有益な性質なんじゃないかなぁ」
解除の方法を知られさえしなければ、とても優秀な警報機ですよ、なんて言うけど。
「そうかもしれないけど、でも……やっぱり気味が悪いです」
何だか得体が知れなくて、と本音をこぼすと、真久部さんは読めない表情で首を傾げてみせた。
「そういうものですか……」
真久部さんはうなずいた。
「だけど水無瀬さんのご父君のほうは、たぶんそれをご存知なかった。だから不思議に思ってらしたんじゃないかと思うんです、うちで預かる人間は、どうしてこうたびたび窃盗の罪を犯し、あの蔵に騒がれるのかと……」
その頃はしょっちゅう蔵が家鳴りをしていたはずです、と続ける。
「それは……気味が悪かっただろうなぁ──」
思わず嫌な顔をしてしまう。一回しか聞いていない俺でも、もう二度と聞きたくないっていうのに。
「でしょうね。考えていくうちに、原因は蔵にあるんじゃないかと、ご父君はそう結論づけたんじゃないかと僕は考えています。普通でないあの蔵のせいで、人間がおかしくなるんじゃないかと──まさか、手癖の悪いのをわざと受け入れているとは思わず」
「あ、そうか……人助けの意味を知らず、蔵の特性を、片方しか知らなかったら……」
中のものを、無断で持ち出すと蔵が騒ぐ。
持ち出す前に、ひと言「何々を持ち出す」と断れば、蔵は大人しい。
「水無瀬さんのお父さんのように、無意識にでも呟かないかぎり、中のものを勝手に持って行くものは蔵にとっては<無礼者>ではあるけど、イコール<泥棒>ではない──」
「そうそう」
にっこり微笑んで先を促す真久部さんに励まされ、俺は続ける。
「だから、たとえば扉が開いてるのを見つけた人が、庭の枯葉でも掃こうと、軽い気持ちで入り口のすぐ近くに置いてあるような箒を持ち出したみたいな場合でも騒がれるけど、それは<泥棒>とはいえない。でも、水無瀬さんのお父さんは<泥棒>が入ると蔵が騒ぐと思っているから──」
「実際、普通の、というのも変ですけど、普通の泥棒が入ったこともあるそうですからね」
「そうなんですか……。それならよけい、蔵が騒ぐ、イコール泥棒が入った、と普段から思っていたんでしょうね。善意の人は気の毒だけど……」
「当時、蔵の鍵を握っていたご父君の御父上──水無瀬さんのお祖父様は、<白浪>付きを預かったら、蔵の鍵をわざと開けたままにしておいたりしたと思いますよ、誘い込むために」
「……」
「まあ、開いていようと、まともな人は勝手の分からないよそのお宅の、しかも蔵に黙って入ったりしないわけでね。それでも入って中の物をくすねてしまうのが、<白浪>付きの<白浪>付きたる由縁でしょう。──それまで散々小さな盗みを重ね、怒られ叱られて、その挙句に遠くの、知らない家に預けられることになったというのにね。泥棒気質はそう簡単には直らないということです」
そこまで聞いて、俺はハッとした。
「だから、お父さんは蔵を“泥棒製造機”と名付けた……?」
「──意思疎通が、上手く行ってなかったんでしょうね。ご自分の御父上との」
真久部さんは微妙な笑みを浮かべてみせる。
「ご父君はたぶん、御父上による書付の存在を知ってはいても、<白浪>の文字を見過ごしていたか……あるいは、気づいていたとしても、後から書き足されたものだと思っていたんじゃないでしょうか」
蔵が騒いで、その誰かの窃盗が発覚した後にね、とつけ加える。
「あー……」
俺みたいに端っから<白浪>の意味を知らなかったり……なんてことは、ないんだろうな……。
「水無瀬さんのお話によると、ご父君はそれはそれは蔵を忌み嫌ってらっしゃったそうです。特に事件──つまり、水無瀬さんの叔父さんのことがあってからは、少しでも蔵に近寄るときつく叱られたそうで……。あれに近寄ると魅入られる、誰でも泥棒になってしまう、と」
「……泥棒の気があるから蔵に忍び込むんじゃなくて、蔵に引き寄せられた結果、まともな人間がおかしくなって盗みをしてしまう、という解釈をされていたんですね──」
実際、異常なことだもんな。普通はさ、世話になってる家の物を盗むなんて考えられないと思う。行きずりならともかく、身元だってはっきりしてるわけだし。顔見たって、教えられなきゃそいつが盗癖を持ってるなんてわかるわけない。
預かっていた、気の弱そうな、大人しそうな、無口な、愛想の良い、ごく普通に見える人々。その中の誰が常習の犯罪衝動を抱えてるなんて思うだろう。……水無瀬さんのお父さんにしてみたら、まともな人間だったのが、何かが原因でおかしくなったと考えるのが、ごく自然な成り行きだったのかもしれない。──だって、自邸には怪しい蔵があるんだ。不気味な
「蔵まるごと、何か妖怪めいた存在だと考えてらっしゃったようでねぇ」
そう言って、真久部さんは猫のように目を細める。
「いや、じゅうぶん妖怪っぽいと……」
中のものを
「だけど、悪いものではないですよ? ──水無瀬さんのご父君は、邪悪な存在だと考えてらしたようですが、どちらかというとあれは有益な性質なんじゃないかなぁ」
解除の方法を知られさえしなければ、とても優秀な警報機ですよ、なんて言うけど。
「そうかもしれないけど、でも……やっぱり気味が悪いです」
何だか得体が知れなくて、と本音をこぼすと、真久部さんは読めない表情で首を傾げてみせた。
「そういうものですか……」