第261話 霊的な立場を交換
文字数 1,971文字
「……」
難しくてよくわからない。けど……。
「現実的? あるいは物質的な存在と、霊的? な存在は違う──?」
あやふやなりに言葉にしてみると、そうですねぇ、と真久部さんは少し考えるようだった。
「普通は違いません。同一のものですよ。だから、自分以外の運命を肩代わりする、あるいはしてもらうことはできない。──ほんの薄い表層みたいなものを形に移すというのはあるけれど、本当に表層だけで、本質と言うか本体をどうこうすることはできない……」
何でも屋さんは神社の大晦日や夏越の祓の時なんかに紙の人形 をもらったことはないですか? とたずねてくる。
「──ああ、息を吹きかけて、肩や身体の悪いところを撫でたりするんですよね」
和紙に、紙吹雪みたいなのと一緒に包んであるんだよな、人形に切った紙。井原のお婆ちゃんのリクエストで大晦日の行事にご一緒したとき、オマケでもらった。お婆ちゃんは膝とか腰を撫でてたけど、俺はお腹と、こっそり頭も撫でといた。
「そう。識らず識らずのうちに犯した罪や穢れ、禍を人形に移して後はそれを祝詞で浄めたり、焚き上げたりするんです。要するにその人形は身代わりというわけなんだけど、ただの紙を、どうして身代わりにできると思います?」
「……自分の名前を書くから?」
その通りです、と満足そうにうなずいた。
「ただの紙が人形 、つまり形代になるには、特に名前が重要です。書かなくてもある程度の災禍を移すことはできるけれど、留める力が弱い。確実に移すには、それがその人の身代わりであると明らかにしなければならない。だから名前を書く」
自分の名前を書いた上で、その本人が息を吹きかける──。それが形代に自分の悪いものを移すための一番簡単な方法だと真久部さんは言う。
「人形 は人形 、人の形を模したもの。形代とは依り代、人の代わりになり得るもの。誰の代わりになるのか? 書かれた名前の人の代わり。呪いのアイテムを作るにも、対象者の名前を書くものでしょう?」
実際、幼い頃の水無瀬さんを呪った呪物にはその名前が書かれてましたし、とさらっと続けられ、急に話が裏返ったみたいでゾッとした。
「……何だか、神社でお祓いしてもらうときの人形と、呪いの人形が同じものみたいに思えるんですけど」
「変わりはないですよ?」
あっさり肯定されて、背中がさらに寒くなる。
「そ、そうなんですか……?」
「ええ。呪 いは呪 い、良いほうに使えばお祓いになるし、悪い方に使えば呪いになる。紙の表と裏みたいなものです。紙は紙でしょう? 呪いもお祓いも元は呪術です」
裏返ったような感覚は間違ってなかったのか……。
「……」
思わず無言になる俺を宥めるように、真久部さんは続ける。
「ほら、薬も使いようによっては毒だし、毒も同じでしょ? 使いようによっては薬になる。呪術も同じです。まあ、何事もそう単純に区別というか、分類できるわけじゃないですけどね。薬か毒か、善か悪か、正しいか間違いかなんて……」
ああ、でも少し話がずれましたね、と困ったように笑う。──とりあえず、怖がらせるつもりはないようだから、それだけはありがたい。
「つまり、ただの人形 では、その人の禍の全てを負わせることはできない、ということです。しかし人形ではなく人 ならば、それも可能になる場合がある……もちろん、それは簡単にできることではない」
人と人、ただ名前を交換するだけでは自分の禍を移すことはできない、と言う。
「名前だけ交換して、立場はそのままなんて都合のいいことはできないということです」
たとえば、権力者が立場の弱い者と名前だけ交換して、自分の背負った禍を相手に移すなどということはできないらしい。
「相手の禍を被る危険もあるしねぇ……。だから普通は何もない真っ白な状態のものに自分の名前をつけて、自分の禍を移すことになるんです。紙でも土でも、人の形をしているけれど、何の気も禍も宿っていない、フラットな状態のものに。そうすれば禍の交換は起こらないから」
そのかわり、効果はそれなりなのだという。
「だけど、水無瀬さんの叔父さんは、紘二である自分が紘一になると宣言した。つまり、自分が兄の形代になると、なりきるのだと。──人が望んで人の形代になる、これはの効果は絶大です」
「……お兄さんと名前を交換することによって、霊的な立場を交換するってことですよね?」
「ええ」
「でも、普通はそんなに簡単に、都合よくいかないんでしょう? ──交換できたとしても、叔父さんは禁忌を侵した報いに長い寿命を失ったというし、あまり意味が無いように思えるんだけど……」
「もちろん、普通ではなかったんですよ」
読めない笑みのまま、真久部さん。──え? どういうこと?
「その時、その場には水無瀬家の家神様が同席していた。だから霊的な立場の交換が可能になったのだと僕は思っています」
難しくてよくわからない。けど……。
「現実的? あるいは物質的な存在と、霊的? な存在は違う──?」
あやふやなりに言葉にしてみると、そうですねぇ、と真久部さんは少し考えるようだった。
「普通は違いません。同一のものですよ。だから、自分以外の運命を肩代わりする、あるいはしてもらうことはできない。──ほんの薄い表層みたいなものを形に移すというのはあるけれど、本当に表層だけで、本質と言うか本体をどうこうすることはできない……」
何でも屋さんは神社の大晦日や夏越の祓の時なんかに紙の
「──ああ、息を吹きかけて、肩や身体の悪いところを撫でたりするんですよね」
和紙に、紙吹雪みたいなのと一緒に包んであるんだよな、人形に切った紙。井原のお婆ちゃんのリクエストで大晦日の行事にご一緒したとき、オマケでもらった。お婆ちゃんは膝とか腰を撫でてたけど、俺はお腹と、こっそり頭も撫でといた。
「そう。識らず識らずのうちに犯した罪や穢れ、禍を人形に移して後はそれを祝詞で浄めたり、焚き上げたりするんです。要するにその人形は身代わりというわけなんだけど、ただの紙を、どうして身代わりにできると思います?」
「……自分の名前を書くから?」
その通りです、と満足そうにうなずいた。
「ただの紙が
自分の名前を書いた上で、その本人が息を吹きかける──。それが形代に自分の悪いものを移すための一番簡単な方法だと真久部さんは言う。
「
実際、幼い頃の水無瀬さんを呪った呪物にはその名前が書かれてましたし、とさらっと続けられ、急に話が裏返ったみたいでゾッとした。
「……何だか、神社でお祓いしてもらうときの人形と、呪いの人形が同じものみたいに思えるんですけど」
「変わりはないですよ?」
あっさり肯定されて、背中がさらに寒くなる。
「そ、そうなんですか……?」
「ええ。
裏返ったような感覚は間違ってなかったのか……。
「……」
思わず無言になる俺を宥めるように、真久部さんは続ける。
「ほら、薬も使いようによっては毒だし、毒も同じでしょ? 使いようによっては薬になる。呪術も同じです。まあ、何事もそう単純に区別というか、分類できるわけじゃないですけどね。薬か毒か、善か悪か、正しいか間違いかなんて……」
ああ、でも少し話がずれましたね、と困ったように笑う。──とりあえず、怖がらせるつもりはないようだから、それだけはありがたい。
「つまり、ただの
人と人、ただ名前を交換するだけでは自分の禍を移すことはできない、と言う。
「名前だけ交換して、立場はそのままなんて都合のいいことはできないということです」
たとえば、権力者が立場の弱い者と名前だけ交換して、自分の背負った禍を相手に移すなどということはできないらしい。
「相手の禍を被る危険もあるしねぇ……。だから普通は何もない真っ白な状態のものに自分の名前をつけて、自分の禍を移すことになるんです。紙でも土でも、人の形をしているけれど、何の気も禍も宿っていない、フラットな状態のものに。そうすれば禍の交換は起こらないから」
そのかわり、効果はそれなりなのだという。
「だけど、水無瀬さんの叔父さんは、紘二である自分が紘一になると宣言した。つまり、自分が兄の形代になると、なりきるのだと。──人が望んで人の形代になる、これはの効果は絶大です」
「……お兄さんと名前を交換することによって、霊的な立場を交換するってことですよね?」
「ええ」
「でも、普通はそんなに簡単に、都合よくいかないんでしょう? ──交換できたとしても、叔父さんは禁忌を侵した報いに長い寿命を失ったというし、あまり意味が無いように思えるんだけど……」
「もちろん、普通ではなかったんですよ」
読めない笑みのまま、真久部さん。──え? どういうこと?
「その時、その場には水無瀬家の家神様が同席していた。だから霊的な立場の交換が可能になったのだと僕は思っています」