第246話 呪物は、自分が置いた石ころ

文字数 2,026文字

最初は小さく、だけど、どんどん大きくなっていく。雪だるまみたいに。

「それは蔵の中で起こっていたことで、誰も──水無瀬の叔父さんも知らなかった。呪物を一目見ればわかったでしょうが……蔵に入れるのは家長と跡取りだけ、という決まりがあったか、あるいは、水族館状態であることが視えてしまうせいで、敬遠していたか……いずれにせよ、叔父さんはふだん蔵に近寄らず、そのため気づかなかったんだろうと想像します」

「全部食べられてしまったんでしょうか? 中の……」

魚たち。たずねてみると、どうでしょうね、と真久部さんは首を傾げた。

「そのまま放っておかれたらどうだったかわかりませんが……、無事なのもあったようですよ。家宝のものほど強くはなくても、それなりに力の強いものもひとつ、ふたつはあったので……ただ、防戦一方だったとは思います」

「……」

「呪物を仕掛けた()は、そこまでの効果があるとはわからなかったでしょう。気に入らない家の身体の弱い子供、その子がもっと弱って死ねばいい、親が嘆けばいい気味だ、とか思うだけでね。とはいえ、本人が呪物というものを、本当に信じていたかどうかというと、それは半々だと僕は感じてるんだよねぇ。──完全に自分の中だけの、当てつけと嫌がらせ、かな」

「自分の中だけの?」

なんか、よくわからない。当てつけとか嫌がらせとか、普通は相手にわかるようにするもんじゃないのかな。

「うーん、そうだねぇ。たとえば……」

真久部さんは考えるように空を見つめた。……何もないはずなのに、その視線が何かを追っているように見えるのは何故だろう──。

俺の視線に気づいたのか、微かに寄せられていた眉がするっとゆるみ、「どうしました?」なんて意味ありげに微笑んでくる。何でもないです、と俺はぶんぶん首を振った。もしかしたら、店主には何か見えてるのかもしれない。でも、俺の目には見えないんだから何もない。ないったらない!

「ふーん? まあいいですけど」

やめて。その何もかもわかってるみたいな笑みはやめて。怖いから。
くっ。話題を戻さなければ。

「ええっと。その、たとえば、っていうのはどんな?」

「たとえば、気に入らない人の背中に『アホ』と書いた紙を貼る妄想をしてほくそ笑むとか」

「……」

「嫌いな上司のお茶やコーヒーに雑巾水を入れ、相手がそれとは知らずに飲むのを見て陰で笑い、鬱憤を晴らす、なんて話もありましたね」

それ、地味に怖い。女子社員にお茶汲みさせてた時代の話か?

「つまり、自分が相手を害してやった、嫌がらせをしてやったのに、相手は全然気づかない。気づいてない。アイツはなんて馬鹿なんだろう間抜けだろうと考えて、自己満足の自己完結をする気持ち──といえばわかりやすいかな?」

「……なんとなく」

大学の時、背中に『ヤリ○ン』と書いた紙を貼られたまま、全然気づかずにキャンパスを歩いてたヤツがいたっけな……。

「妄想するくらいなら、実害はないから許されると思いますよ、もちろん。でも行動に起こすのはちょっと。雑巾水はグレーかな。もしそれで相手がお腹を壊したら『未必の故意』というものに引っかかるかもしれないし」

「そ、そうですね」

雑巾に、かのО-157みたいな菌がくっついてたら大変なことになるかもしれないよな。

「たまに台所洗剤を混入したり、もっとストレートに毒薬を仕込んだりするケースもありますけど、それは完全に犯罪であり、犯人捜しをされてしまいます。せっかく陰に隠れて鬱憤晴らしをしてるつもりが、そんなことになったら台無しなので、どれほど恨んでいるにしろ、普通は妄想で済ませるわけですが──」

「コイツ殴ってやろうか、とか俺だって思ったことありますけど、実際はやらないですね」

普通に傷害罪になるし。それ以前に、殴ったらどうなるかとか考えたらやらないよなぁ。いくら嫌な奴でも怪我させたいとまでは思わないし。それに、そんな相手にそこまでの価値、っていうのも変だけど、自分が犯罪者になってまで害するほどの価値があるとは思わない。

「でも、嫌な奴が何にもないところで転んだりしたら、いい気味だとか思ったりしませんか?」

誘うように、真久部さん。

「鴨居に頭をぶっつけたり、カラスに糞を引っかけられたり?」

「ま、まあ……」

誘われて、うなずいてしまった。それくらいなら、ざまぁ! とか思っちゃうな。指さして笑うまでしないにしろ、心の中で快哉を叫んでしまうかも。

「その転んだ場所に、実は自分が石を置いてたんだ、とか想像して楽しむタイプもいるわけです。鴨居に頭をぶつけたのは、そいつを部屋の内側から呼ぶように、自分がそいつの友人を誘導したんだとか、カラスを操ってやったんだとか」

「想像とか、妄想で気が済むなら、まあ……誰に心の中を見られるわけでもないし」

それで気が済むなら、いくらでも妄想すればいいと思う。

「<白波>の彼にとって、呪物は自分が置いた石ころ。そういう位置づけだったんじゃないかと、僕は考えています」
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