第191話 寄木細工のオルゴール 29

文字数 2,131文字

やめなさい! と、怒った先代が声を荒げたらしい。──それはもう三十年ほども前に手放したもので、今の持ち主は彼だ。三十年前も私の物ではあったが、お前のものではなかった。そこの心得違いで怖い目にあったのを忘れたのか、と。

「そんなのただの偶然だと言いながら、渋々手は引いてくれましたけど……八つ当たりなのか何なのか、じゃあその箱開けてみせてよ、と」

「──開けたんですか?」

最後の手前まで開けたって、そのときのこと?

「まさか」

真久部さんは首を振る。

「もう試してみた後のことでしたし。当然お断りしましたよ。これは開けられない箱ですから、と。お父様と同じことを言うのね、って責められましたけど、僕だって悪夢は見たくないし」

真久部さんはそれで済んでも、無茶を言う娘に、先代は怒ったらしい。

「ですが、何でも屋さんもご存知のとおり、無茶といっても、分かる人にしか分からない無茶なのでね。分からない人にはただの方便にしか思えないようで」

開けられる箱なのに、何故開けないのか、そう言ってるだけじゃないのか、と清美さんはしつこかったという。

──お父様もあなたも、一体何を隠してるのよ!
──何も隠してなどいない。ただ開けないだけだ。
──信じられない!

「まあ、あの時清美さんがコレに拘ったのは、要求の通らないことへの腹いせみたいなものだったと思いますが……。わざわざ実家に帰ってまでご父君にした願い事と、簡単に叶えられるはずの軽い注文、両方とも拒否されたんですから」

「……」

いやー、簡単に見えてもさ、その実、悪夢を見せられるか、下手したら恐ろしい運命を告げられるかもしれないんだから、そんな注文に応えられるわけないよね……。

──これは、彼のように分を知る人間にしか扱えない道具だ。
──私ではダメだというの?
──お前、懲りなかったのか、あの時。清美、お前はコレには相応しくない。
──何よ! こんな他人に!
──他人でも、コレは彼のほうに相応しいし、今は彼のものなんだ。
──……!
──慈恩堂さん、もし娘がコレを欲しがっても、絶対に売らないでください。仮に娘がどれだけ金を積もうと、絶対に!

「先代の言葉に、僕は請け合いましたよ、売りませんから心配しないでくださいと」

だから、今回何かの拍子にコレのことを思い出したにしても、真正面から僕に聞くという選択肢は彼女の中にはなかったでしょう、と結んだ。

「でも……それって、危ないから娘に近寄らせないでくれっていうことですよね?」

親娘ゲンカで怒ってはいたんだろうけど、親心だよね?
 
「もちろん。僕はそう受け止めてましたよ……。あのとき清美さん、実の娘より骨董屋のほうが大事なのね、なんてふくれっ面して帰っていきましたけど、彼女分かってない、というか、まったく理解してなかったんでしょうね。父親の心配を。コレに関して、彼女には次はないということを。──分かってはいましたが」

先代も言葉足らずだったかもしれないけれど、彼女のような人は、どれだけ言葉を尽くしてもどうせ信じないだろうから、結果は同じことだったかもしれませんね、と気だるげに呟く。

「何を探してるのかはわかりませんけど、真久部さんに目を付けた理由はわかりましたよ。先代が──お父さんが真久部さんを信頼していたからでしょう」

「だからって何も預かっていないし、遺産とか相続とかは関係ありませんよ……」

弁護士とかじゃないんですから、と疲れたように言う。

「お世話になったし、親しくもさせていただきましたが、ただの骨董古道具屋店主とその顧客の域を出ていません。──骨董仲間と言わせていただくくらいがせいぜいです」

「そうなんだろうと俺だって思いますけど、あちらは今、揉めてるんでしょう? 相続関係で」

「……ええ。そのようですね」

「だから、疑心暗鬼の一種じゃないですか? もしかしたら、父の信頼してたあの骨董屋が何か知ってるのかも……みたいな。先代のご遺言通りなら、コレクションの整理にも真久部さんが全面的に関わることになってたわけでしょう? そこで八年前のこと思い出して、あの箱に何か鍵が──とか考えちゃったりするの、悪魔の証明を求める人の心理的に、とってもありそうじゃないですか」

開かずの箱があることを思い出したら、開けて確かめずにはいられない。そういうことなんじゃないかなぁ。

「……」

「え? 何ですか……?」

地味な男前面に、じーっと見つめられるの怖い。もしや後ろに何かいるのか? 的な意味で。──いないよね?

「いいえ……。ただ、何でも屋さんは本質を見抜くのが上手いなぁ、と思って」

えええ……本質もなにも、真久部さんが自分で言ってたことばかりじゃん。

「当事者になってみると、そうやって整理してもらわないと気づきにくいものですね……はぁ……。北京ダックの証明に悩んでいた人とは思えない」

顎に手を当てて感心するポーズ。──微妙に貶されてるみたいな気もするけど、これって褒めてるんだろうな、真久部さん的に。まあ、いいや。表情が明るくなったから。

自然な笑いを引き出して、じゃあ俺はそろそろこの辺で、と暇乞いしようとしたとき、乱暴に店のドアが開けられた。ドアベルがジリンジリンと耳障りなほどに音を立てている。

「清美さん?」
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