第223話 竈と猫 10 化け猫ならばケモ耳老婆
文字数 2,062文字
「ひ……!」
思わず喉の奥が詰まる。真久部さん、なんてことのない顔でそんなこと言うけど。
「ば、化け猫……」
俺は昔観た半世紀ほども前に作られた古い化け猫映画を思い出してしまった。化け猫は最後に首をザシュッ! と刎ねらるんだけど、その首がぽーんと飛んで一番憎い相手の首をガブゥッ! と噛み千切り……。
「化け猫じゃないです。生きてない竈猫」
とぼけた顔で訂正してくれたって、どっちだって変わらないよパラノーマル・アクティビ ティ。
「似たようなもんですよ! っていうか、化けてても生きてなくてもいいけど──、ホラーは嫌です……!」
俺のトラウマを、特撮チープな古い映画と侮るなかれ。あのおどろおどろしさはその時代にしか出せない味だ。今の特撮ホラーも怖いけど、あの化け猫映画はモノクロが総天然色に思えるほど怖かった。ケモ耳老婆は誰得とか言ってはいけない。そんなやつは猫手でクィックィッと操られてバク転させられちゃうぞ。ご主人殺されて、仇討ちのために一所懸命頑張ってるんだもの。猫は人間の四倍の早さでトシ取るんだからな、苦労してるんだよ。
……化け猫老婆がお庭の池の鯉を獲って、生きたまま丸齧りしているシーンを思い出し、実際にがっつり齧っていたという女優さんの、人外を演出するためなら生きた鯉すら美味そうに齧ってくれるわという、その一種あやかしの執念にも似た女優魂に震えていると、少しだけ驚いたように真久部さんが目を見開いた。
「──化けてても生きてなくても、なんて……何でも屋さんも馴染んできましたねぇ」
「……」
そんな、子供の成長を見守る近所の小父さんのような目はやめて。違うから。どっちも怖いから。見えない何かが人の首に噛み付くとか、そんなわかりやすい害があったら、もう知らないふりはできないってだけ。そこに見えちゃった明白な危機からは、目を逸らすだけじゃ済まされない。逃げなくちゃ──!
「だけどねぇ、ホラーというほどのことにはならなかったと思いますよ。びっくりするのはオーナーだけだったでしょうし」
「そ、そうなんですか……?」
この話、最後まで聞かずに逃げなくて、いいのかな……? そう思って真久部さんを窺った。少々疑いの眼 になってしまったのは否めない。ご本人はどこ吹く風だけど。
「ほら、猫って怒り心頭に発する状態になったとき、下手に刺激を与えると却って飛びかかってきませんか? そうなったら危ないので、現状維持の意味でね」
だから抱っこしたままでいるように、オーナーに注意していたんだという。──まあ、猫にもよるけど、興奮すると前足でホールドし、後足のごつい爪を繰り出して猫キック、噛み技のコンボで来るヤツいるわな。威嚇してくる猫には触らないのが吉。
「かまどの怒りに同調して、オーナーに飛びかかった竈猫だけど、居心地のいいからだを与えられたことで、少し落ち着いたんだよ。ただ、それだけでは当然怒りが収まるわけもなく、抱えてるオーナーに向けて凄んでいたようです。──そのためにかなり存在を主張していたようで、抱えてた本人はだいぶ怖かったようですねぇ」
冷たいはずの陶器の招き猫ボディが、抱えているうちに温かくなってきた以外にも、妙にくねくねしたり、耳元でフーシャー聞こえたりと、それはそれは不気味だったそうだ。ちょっと温かくなるくらい、大したことないと思った俺は、やっぱり毒されているのか……。
「オーナーがかまどの据え付け直しの手配を終えたら、フーシャーは聞こえなくなったというので、その時点でだいぶマシになったようですね。かまどが板場に落ち着いてからは、微妙に生き物めいた感触もなくなって、ただ温かいだけになったとか」
かまども竈猫も、なんとか怒りを収めてくれたようで、よかったですよ、と真久部さんは唇の端を上げ、猫のように目を細めた。
「もっと落ち着いてもらうために、サンプルであった一人鍋用の固形燃料をかまどの焚き口の中に入れて、火を焚いてもらいました。薪は後日用意するので、今はこれで勘弁してください、と言ってね。そうしたら少しだけ猫が喉を鳴らす音が聞こえたというので、ひとまず招き猫はかまどの天板の上に置いてもらうことにしたんです。──ようやっと手離せてホッとしたのか、オーナー、その場に崩れ落ちてました」
あの人はきっと、うちの店での店番は務まらないでしょうね、と怪しく微笑む。何でも屋さんはさすがですよ、とかつけ加えてくれたけど、何がさすがなのかは聞かない。気のせいで済むなら、それで済ませるのが一番なんだ。思考停止と言わば言え、そんなこと俺は気にしない。怪しいこと、不気味なことは無視。それが慈恩堂の仕事において平静を保つコツ。
「据え直しがその日のうちに終わって、オーナーにとっては本当に良かったと思うよ。でなければ、竈猫入り招き猫を自宅に持って帰ってもらわないといけなかったので。かまどの待遇向上を見届けるまで、あれは許してくれなかったでしょう」
持って帰ったなら、竈猫の御座所としてコタツを設置してもらわないといけませんでした、と言う。
思わず喉の奥が詰まる。真久部さん、なんてことのない顔でそんなこと言うけど。
「ば、化け猫……」
俺は昔観た半世紀ほども前に作られた古い化け猫映画を思い出してしまった。化け猫は最後に首をザシュッ! と刎ねらるんだけど、その首がぽーんと飛んで一番憎い相手の首をガブゥッ! と噛み千切り……。
「化け猫じゃないです。生きてない竈猫」
とぼけた顔で訂正してくれたって、どっちだって変わらないよパラ
「似たようなもんですよ! っていうか、化けてても生きてなくてもいいけど──、ホラーは嫌です……!」
俺のトラウマを、特撮チープな古い映画と侮るなかれ。あのおどろおどろしさはその時代にしか出せない味だ。今の特撮ホラーも怖いけど、あの化け猫映画はモノクロが総天然色に思えるほど怖かった。ケモ耳老婆は誰得とか言ってはいけない。そんなやつは猫手でクィックィッと操られてバク転させられちゃうぞ。ご主人殺されて、仇討ちのために一所懸命頑張ってるんだもの。猫は人間の四倍の早さでトシ取るんだからな、苦労してるんだよ。
……化け猫老婆がお庭の池の鯉を獲って、生きたまま丸齧りしているシーンを思い出し、実際にがっつり齧っていたという女優さんの、人外を演出するためなら生きた鯉すら美味そうに齧ってくれるわという、その一種あやかしの執念にも似た女優魂に震えていると、少しだけ驚いたように真久部さんが目を見開いた。
「──化けてても生きてなくても、なんて……何でも屋さんも馴染んできましたねぇ」
「……」
そんな、子供の成長を見守る近所の小父さんのような目はやめて。違うから。どっちも怖いから。見えない何かが人の首に噛み付くとか、そんなわかりやすい害があったら、もう知らないふりはできないってだけ。そこに見えちゃった明白な危機からは、目を逸らすだけじゃ済まされない。逃げなくちゃ──!
「だけどねぇ、ホラーというほどのことにはならなかったと思いますよ。びっくりするのはオーナーだけだったでしょうし」
「そ、そうなんですか……?」
この話、最後まで聞かずに逃げなくて、いいのかな……? そう思って真久部さんを窺った。少々疑いの
「ほら、猫って怒り心頭に発する状態になったとき、下手に刺激を与えると却って飛びかかってきませんか? そうなったら危ないので、現状維持の意味でね」
だから抱っこしたままでいるように、オーナーに注意していたんだという。──まあ、猫にもよるけど、興奮すると前足でホールドし、後足のごつい爪を繰り出して猫キック、噛み技のコンボで来るヤツいるわな。威嚇してくる猫には触らないのが吉。
「かまどの怒りに同調して、オーナーに飛びかかった竈猫だけど、居心地のいいからだを与えられたことで、少し落ち着いたんだよ。ただ、それだけでは当然怒りが収まるわけもなく、抱えてるオーナーに向けて凄んでいたようです。──そのためにかなり存在を主張していたようで、抱えてた本人はだいぶ怖かったようですねぇ」
冷たいはずの陶器の招き猫ボディが、抱えているうちに温かくなってきた以外にも、妙にくねくねしたり、耳元でフーシャー聞こえたりと、それはそれは不気味だったそうだ。ちょっと温かくなるくらい、大したことないと思った俺は、やっぱり毒されているのか……。
「オーナーがかまどの据え付け直しの手配を終えたら、フーシャーは聞こえなくなったというので、その時点でだいぶマシになったようですね。かまどが板場に落ち着いてからは、微妙に生き物めいた感触もなくなって、ただ温かいだけになったとか」
かまども竈猫も、なんとか怒りを収めてくれたようで、よかったですよ、と真久部さんは唇の端を上げ、猫のように目を細めた。
「もっと落ち着いてもらうために、サンプルであった一人鍋用の固形燃料をかまどの焚き口の中に入れて、火を焚いてもらいました。薪は後日用意するので、今はこれで勘弁してください、と言ってね。そうしたら少しだけ猫が喉を鳴らす音が聞こえたというので、ひとまず招き猫はかまどの天板の上に置いてもらうことにしたんです。──ようやっと手離せてホッとしたのか、オーナー、その場に崩れ落ちてました」
あの人はきっと、うちの店での店番は務まらないでしょうね、と怪しく微笑む。何でも屋さんはさすがですよ、とかつけ加えてくれたけど、何がさすがなのかは聞かない。気のせいで済むなら、それで済ませるのが一番なんだ。思考停止と言わば言え、そんなこと俺は気にしない。怪しいこと、不気味なことは無視。それが慈恩堂の仕事において平静を保つコツ。
「据え直しがその日のうちに終わって、オーナーにとっては本当に良かったと思うよ。でなければ、竈猫入り招き猫を自宅に持って帰ってもらわないといけなかったので。かまどの待遇向上を見届けるまで、あれは許してくれなかったでしょう」
持って帰ったなら、竈猫の御座所としてコタツを設置してもらわないといけませんでした、と言う。