第150話 たくさん遊べば 9
文字数 2,180文字
「そ、そうなんですか。月日は百代の過客というのに、律儀なことですね」
なんとかそんな言葉をひねり出す。
「おや、なかなか物知りだ」
面白そうな顔をされたので、高校の古文で習いましたよ、と返しておいた。話し相手をしたお年寄りが教えてくれたりもするから、忘れてないよ、奥の細道。
「そうかね。覚えておくのはいいことだ。そう、禍に遭わないためにはね。それがいつ訪れるのか、ちゃあんと知っておかなくちゃ」
「……」
お茶、やっぱり美味しいね、と伯父さんは怪しい笑みで俺を縛りつけたまま、ゆっくりと茶碗を傾けている。立ち上る湯気。店の通路の暗がりで、何かが走り回るような気配がする。楽しげに、パタパタと追いかけっこでもしてるみたいに。
遠くの公園から風が運んできたような、そんな子供の歓声が、一瞬だけ聞こえたような気がした。
「──ああ、この店に来たのはよく遊んでもらっているようだねぇ」
ちらっと、そちらに眼をやった伯父さんが言う。
「ん? ……ふうん、そうか。今日は折り紙で遊んでくれたのか」
折り紙。その言葉に、一瞬心臓が飛び跳ねる思いがした。俺が無意識に折っていたらしいあの折り紙たち。そんなこと、伯父さんは知らないはずなのに。
「やっとお迎えが来たあの子に、お別れのしるしにみんなで持たせてやった──ふむふむ」
独り呟く伯父さん、怖いよ。──怖いのは、伯父さんの視線の先に、小さな子供の影が見えるような気がするからだ。いや、それは気のせい気の迷い。きっとそうに決まってる。俺、だいぶん疲れちゃってるみたいだなぁ。
つい小さく息を吐いていると、こちらを向いた伯父さんがまたにったりと笑った。
「何でも屋さんは折り紙が上手なんだってねぇ。何でも折ってくれるって言ってるよ」
「えーと。いやあ、ははは……」
何て言えばいい? 何て答えれば地雷を踏まずに済むんだろう? 今日あったことはそのままでいい。けど、それ以上の怖い話は聞きたくない!
「俺、話相手させてもらってるご老人方、折り紙得意な人多いんですよ。病気して入院したときなんか、教えてくれる人がいるとサークルみたいになっちゃうとか。そういうところで覚えたり、極めた人になると、より新しい折り紙作品に挑戦したり」
ウルトラ怪獣シリーズをライフワークにしてる人もいるし、ちんまりした印象の布留のお婆ちゃんが、新世紀な人型決戦兵器を折ってくれたときは仰天したよ。
「教えてもらっても、とても折れないくらい複雑なのもあるんです。そういうの、ここで店番するとき練習してみたりはするかなぁ」
帳場の抽斗の中に、折り紙入ってるし。
「今日もつい練習しちゃって。滅多にないお客様がうれしくて、その方に差し上げました。サービスで」
値引きとか勝手にできないけど、これくらいの範囲ならいいと思うんだよな。お客様サービス。
「ふぅん?」
面白そうに、伯父さん。
「今度は綾取りがしたいってさ」
「俺、ひとり綾取りだってできますよ!」
そう。俺一人で折り紙折って、俺一人で綾取りするんだ。だって、店番するときは俺一人だけだし。誰もいないよ、怪しい道具たちがあるだけさ。
「なかなか手強いね? 何でも屋さん」
また喉の奥で笑う。手強いって、何が? ──俺もにっこり笑っておいた。
「──魂は、人だけではなく物にも宿る」
飄々と、そんなことを伯父さんは語り出した。
「魂が生まれるのは、その生を遊ぶためだ」
生きることを楽しむ、それを遊び という、と続ける。
「生きる上での喜び苦しみは、ゲームの楽しみだ。遊びを全うしたとき、魂は満足して帰るべきところに還る……奥の細道を覚えているなら、梁塵秘抄のこの歌も知っているだろう」
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動 がるれ
不思議な抑揚を付けて、伯父さんは朗々と歌う。店の道具たちも聴き入っている気がした。
「生まれたにもかかわらず、その生を遊べなかったものは、行き場を失ってさまようんだよ」
「……」
「みんなが遊んでるのに、遊べない。そんな子は、どんなふうに感じると思う? ねえ、何でも屋さん」
さみしい 寂しい さびしい
寂しい 寂しい 寂しい
さびしい~ さみしいよ~
耳の奥より心の奥に残る、あの声ともいえない声。
知らず、俺は呟いていた。
「寂しい……」
「そう、寂しいんだ。生を遊べなくて、寄る辺なくさ迷い頼りなく流離 ううちに──いつしか良くないものになる」
ニタリ、と伯父さんは唇の両端を吊り上げた。
「寂しいものたちは、寂しいから風に紛れて寄り集まり、年に一度、年の終わりの頃、最大になって木枯らしとともに吹きつける。この頃の風がことさら冷たく感じられるのはそのためさ。何処といって目的地は無い。彼らはそんなものを知らない。寂しさに追い立てられ、ただただ吹いて、吹き荒れて──そして、この辺りに吹き溜まる」
「……」
「寂しい風の、ちょうど通り道に当たるんだよ、この店は。今日、来なかったかね、何でも屋さん? 寂しいものたちが、入り口を開けて中に入れてくれと」
なんとかそんな言葉をひねり出す。
「おや、なかなか物知りだ」
面白そうな顔をされたので、高校の古文で習いましたよ、と返しておいた。話し相手をしたお年寄りが教えてくれたりもするから、忘れてないよ、奥の細道。
「そうかね。覚えておくのはいいことだ。そう、禍に遭わないためにはね。それがいつ訪れるのか、ちゃあんと知っておかなくちゃ」
「……」
お茶、やっぱり美味しいね、と伯父さんは怪しい笑みで俺を縛りつけたまま、ゆっくりと茶碗を傾けている。立ち上る湯気。店の通路の暗がりで、何かが走り回るような気配がする。楽しげに、パタパタと追いかけっこでもしてるみたいに。
遠くの公園から風が運んできたような、そんな子供の歓声が、一瞬だけ聞こえたような気がした。
「──ああ、この店に来たのはよく遊んでもらっているようだねぇ」
ちらっと、そちらに眼をやった伯父さんが言う。
「ん? ……ふうん、そうか。今日は折り紙で遊んでくれたのか」
折り紙。その言葉に、一瞬心臓が飛び跳ねる思いがした。俺が無意識に折っていたらしいあの折り紙たち。そんなこと、伯父さんは知らないはずなのに。
「やっとお迎えが来たあの子に、お別れのしるしにみんなで持たせてやった──ふむふむ」
独り呟く伯父さん、怖いよ。──怖いのは、伯父さんの視線の先に、小さな子供の影が見えるような気がするからだ。いや、それは気のせい気の迷い。きっとそうに決まってる。俺、だいぶん疲れちゃってるみたいだなぁ。
つい小さく息を吐いていると、こちらを向いた伯父さんがまたにったりと笑った。
「何でも屋さんは折り紙が上手なんだってねぇ。何でも折ってくれるって言ってるよ」
「えーと。いやあ、ははは……」
何て言えばいい? 何て答えれば地雷を踏まずに済むんだろう? 今日あったことはそのままでいい。けど、それ以上の怖い話は聞きたくない!
「俺、話相手させてもらってるご老人方、折り紙得意な人多いんですよ。病気して入院したときなんか、教えてくれる人がいるとサークルみたいになっちゃうとか。そういうところで覚えたり、極めた人になると、より新しい折り紙作品に挑戦したり」
ウルトラ怪獣シリーズをライフワークにしてる人もいるし、ちんまりした印象の布留のお婆ちゃんが、新世紀な人型決戦兵器を折ってくれたときは仰天したよ。
「教えてもらっても、とても折れないくらい複雑なのもあるんです。そういうの、ここで店番するとき練習してみたりはするかなぁ」
帳場の抽斗の中に、折り紙入ってるし。
「今日もつい練習しちゃって。滅多にないお客様がうれしくて、その方に差し上げました。サービスで」
値引きとか勝手にできないけど、これくらいの範囲ならいいと思うんだよな。お客様サービス。
「ふぅん?」
面白そうに、伯父さん。
「今度は綾取りがしたいってさ」
「俺、ひとり綾取りだってできますよ!」
そう。俺一人で折り紙折って、俺一人で綾取りするんだ。だって、店番するときは俺一人だけだし。誰もいないよ、怪しい道具たちがあるだけさ。
「なかなか手強いね? 何でも屋さん」
また喉の奥で笑う。手強いって、何が? ──俺もにっこり笑っておいた。
「──魂は、人だけではなく物にも宿る」
飄々と、そんなことを伯父さんは語り出した。
「魂が生まれるのは、その生を遊ぶためだ」
生きることを楽しむ、それを
「生きる上での喜び苦しみは、ゲームの楽しみだ。遊びを全うしたとき、魂は満足して帰るべきところに還る……奥の細道を覚えているなら、梁塵秘抄のこの歌も知っているだろう」
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ
不思議な抑揚を付けて、伯父さんは朗々と歌う。店の道具たちも聴き入っている気がした。
「生まれたにもかかわらず、その生を遊べなかったものは、行き場を失ってさまようんだよ」
「……」
「みんなが遊んでるのに、遊べない。そんな子は、どんなふうに感じると思う? ねえ、何でも屋さん」
さみしい 寂しい さびしい
寂しい 寂しい 寂しい
さびしい~ さみしいよ~
耳の奥より心の奥に残る、あの声ともいえない声。
知らず、俺は呟いていた。
「寂しい……」
「そう、寂しいんだ。生を遊べなくて、寄る辺なくさ迷い頼りなく
ニタリ、と伯父さんは唇の両端を吊り上げた。
「寂しいものたちは、寂しいから風に紛れて寄り集まり、年に一度、年の終わりの頃、最大になって木枯らしとともに吹きつける。この頃の風がことさら冷たく感じられるのはそのためさ。何処といって目的地は無い。彼らはそんなものを知らない。寂しさに追い立てられ、ただただ吹いて、吹き荒れて──そして、この辺りに吹き溜まる」
「……」
「寂しい風の、ちょうど通り道に当たるんだよ、この店は。今日、来なかったかね、何でも屋さん? 寂しいものたちが、入り口を開けて中に入れてくれと」