第291話 疫喰い桜 5

文字数 2,300文字

間違っても、銀杏並木の通りにあった<走りぎんなん>出たとこじゃないよね? 駅前の、<チンとんシャン>でもないだろう。いくら店が迷い家で、家主の好きなところに入り口を作れるからって、ほんと、ここは何処なんだ? ──行ったことないけど、<あまりりす>でもないはずだ。そのあたりでだって桜は終わってるはずだから。

「……」

あるかなきかの風に、花びらがひとひら、ふわりとほどける。それについ見惚れていると、隣から低く謡うような声が聞こえてきた。

「これはこの世のことならず──」

ハッとそちらを見ると、声の主は妙に穏やかな表情をしている。いっそ気味が悪いほどの──。

「死出の山路の裾野なる 賽の河原のものがたり……、なあんてね。知りたいのかい? 何でも屋さん。ここが何処なのかを」

本当に──? そう問う顔は、一転、とびっきりの笑みを浮かべていて。それがまたとびっきり胡散臭くて──。

「え、えーと」

怖くなったから、俺は思わず日和ってしまった。

「どうしても、ってほどでも、ないかなぁ……あはは」

「ふうん? 成長したもんだと思ったら、やれやれ。そうでもなかったみたいだねぇ?」

にやにやと、揶揄うように言う。小首を傾げられても……それって甥の真久部さんと同じ仕草だけど、でも──。似てるようで似てない、似てないようで似てる伯父と甥、比べなくてもまだ甥っ子の真久部さんのほうが優しい、っていうか、常識人なんだろうなぁ……。

「あはは、ご期待に添えなくて……そうそう! 真久部さんが見せたい面白いものって、この桜の森のことだったんですね」

ありがとうございます、とてもきれいですね! と感謝だけしておく。ここがどこだとか──きっと、俺の住むあたりより、桜の開花が遅いところなんだよ。北海道の山奥とか……それはそれで、いつの間にそんなところまで連れて来られたんだって話になるけど、相手は真久部の伯父さんだし、迷い家なラーメン屋だし。……いらぬ疑問は封印するんだ。何でも屋版・慈恩堂店番心得<見ない見えない聞こえない。全ては気のせい気の迷い>に、<考えたら負け>をつけ加えよう、そうしよう。

「ああ、いい景色だろう? ()()()()()こんなんだから、見飽きてしまうんだけどねぇ」

いつ来ても? ……また思わせぶりなワードが出てきたけど、無視。──伯父さんは、俺の表情を観察しながら楽しそうだ。

「そうなんですか。お花見し放題ですねぇ」

眼をそらせ、桜に見惚れるふりをする。──頑張れ、俺。

「……手強いなぁ、何でも屋さんは。もっと素直に怖がってくれてもいいのになぁ、このあいだも、まあ上手いことはぐらかすものだから、後からあの子(甥っ子)にも笑われて──ああ……、来たようだ。そら、あれをごらん」

また俺をちりちり追い詰めようとしていた伯父さんが、ふと何かに気づいたように眼をすがめたかと思うと、すっと桜の木のひとつを指さした。

「ん?」

俺と伯父さんが立っているここは、ちょっと土手みたいになっていて、桜の木々が生えているところとは高低差がある。だから全体を見渡せるんだけど、その端っこのほうに何か動くものが──。

「あれ、は……鹿とかでしょうか? いや……人だ! 花見に来たんですね」

あー、良かった。もしかしたら今いるところはこの世の場所じゃないのかも、なんて怖い考えが心のどこかというか、けっこうド真ん中あたりに居座りかけてたんだけど……、だって、意地悪仙人が変なこと言うからさぁ……。俺たちの他にも花見客が来るようなところなら、ちゃんとこの世だ、現実だ。

「花見は花見でも、アクティブ馬鹿の花見だけどねぇ」

伯父さんが、また妙なことを言う。──まあ、確かに、いま流行中の新型コロナ対策のひとつとして叫ばれる<三つの密を避けよう>からは、外れた行動だものな、花見って。密集・密接・密閉──外だから大丈夫ってもんじゃないんだよ。三月の連休に、家でじっとしていられなかったたくさんの人たちが、桜の名所に繰り出したけど、その二週間後の感染者数が全てを物語っている……。

って。今こんなところでぼーっと花を見てる俺も、どうやってか連れてきた真久部の伯父さんも、他人のことは言えない、どっちも危険を省みないアクティブ馬鹿じゃないか。

「……」

俺は慌ててポケットに突っ込んであったマスクを取り出した。ラーメン食べるのに外したままだったんだ。ちゃんと装着。しっかりマスク。そうしながら、若干の非難の気持ちをこめて伯父さんのほうをじっと見ると、何故かちょっと楽しそうにしながらも、きっちりマスクを着けてくれた。

「手作りかい? そのマスクは」

「あ、はい。娘が作ってくれて」

つい顔をにやけさせてしまう。それをやたらに微笑ましげに眺められているのに気づいて、照れ隠しにひとつ咳払いをしてから、こちらもたずねてみた。

「真久部さんのも手作りですよね。それは、甥のほうの真久部さんが?」

「いやいや、まさか。自分で縫えるでしょ? とか冷たく言われて放置だよ。ま、縫えるんだけれどもね」

そう言う目元が、胡散臭く笑んでいる。

「よかったら、何でも屋さんにも縫ってあげるけど、どうだい?」

「い、いえいえ。まだまだたくさんあるので。娘も作ってくれるんですけど、顧客様の中にも自作のを下さる方がいて」

ウイルス付いてないと思うけど、心配だから使う前に一回洗ってね、と、久米のお爺さんやら、布留のお婆ちゃんが。他にも、ハンドタオルとゴム紐の自作キットをくれた人も。

「相変わらず愛されてるねぇ──ん? ああ、ほら見てごらん、何でも屋さん。増えたよ花見客が。まさかね、ここまで来るほどの者が、これほど居ようとは」

え……?
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