第50話 仏像の夏 1

文字数 2,018文字

その日。

お寺の裏の山、というかぽこっとした丘の道を通ったのは、数日雨が続いていて、伝さんもたまにはハードなオフロード(?)を歩きたいだろうなぁ、と思ったからだ。伝さん、超大型犬のグレートデンだし。

そんなわけで、早朝、誰もいない道を一人と一匹で歩いてる。開発から外れたのか、わざと開発しないのか、両側は草ぼうぼう。ここを逸れてもう少し登って奥に入ると、無人の小さな神社があるらしい。行ったことないけど。

実は、この道ってさ……、たいがいはどうってことないんだけど、たまに、そう、ごくたまになんだけど、歩いてるとどうしてか妙に怖くなることがある。特別な何かがあるわけでもないから、単なる気のせいなんだろうけど。

気のせいでもなんでも、怖いときは本当に怖くて不気味なので、いつもはあまりここを通らない。住宅街からホームセンター側へ抜けるのにすごい近道なんだけど、まあ、普段から通る人も滅多にいないしな。

でも、今日は伝さんと一緒だしな~、なんて考えながら歩いていたら。


ざあっ……!


うわ、凄い風。どうしたんだ、いきなり。道の両側の草叢も、その奥の林も、竜巻に巻き込まれたみたいに激しく揺れている。

とっさに伝さんの太い首を引き寄せて、じっとその場に佇んで周囲を見回す。と、何事も無かったかのように、いきなり風が止んだ。

「……びっくりしたなぁ、伝さん」

「おん」

話しかけると、じっと俺の目を見つめ、伝さんが俺のほっぺたをべろりと舐める。まるで安心させるかのようなその仕草に、俺は思わず苦笑した。

「大丈夫だよ」

「うぉん?」

「さっきのは、天狗が飛んでったのかもしれないな。ヤツデの団扇で起こした風でさ」

あはは、と自分で言った冗談に笑った時だった。伝さんが急にリードを引っ張って歩き出そうとしたのは。

「おい、どこ行くんだ、伝さん!」

訓練の行き届いた伝さんは、普段滅多にこんなことはしない。ぐんぐん引っ張りながらも、俺がちゃんとリードを握ってるのを確認するためか、振り返り、振り返り、とっとこ、とっとこ早足で歩いていく。

はっ!
もしや伝さん、またどっかに埋められた大麻でも嗅ぎつけたのか? 

今年の年明け、北風の吹きすさぶとても寒い日に、俺と伝さんは公園奥のちょっとした斜面に埋められていた乾燥大麻と大麻樹脂を見つけてしまったんだ。あの日も今日と同じように散歩中だったんだけど、あの時は大変だった……。

そんな記憶に項垂れる俺の心も知らぬげに、伝さんが立ち止まったのは、大きな椎の木の下だった。

「何だ? 本当にまた乾燥大麻が埋まってるのか?」

一度嗅ぎ当てた実績があるだけに、なおさらそうじゃないかと思ってしまう。だけど、はっはっはっは、と大きな舌を出して呼吸する伝さんは、うぉんん、と不満そうな声を上げた。まるで、「違う」と言ってるみたいだ。

「根元、掘るのか?」

一日で乾いた地面は、その辺に落ちてる棒切れなんかで掘るには固そうだ。戻ってスコップでも持ってくるべきか、と思案しかけた時、伝さんが木の根元の向こう側に鼻を向けているのに気づいた。

「そっちに何かあるのか?」

そう話しかけながら伝さんの鼻先を覗き込むと、そこには──。

仏像が落ちていた。

せいぜい俺の拳くらいの大きさしかない、小さな仏像だ。張り出した椎の太い根っ子に、引っかかるようになっている。

「何でこんなとこに仏像が……」

近くに寺はあるけど、まさかそこから歩いて来たわけじゃないだろうし、こんな木の根元にぽつんと落ちてる理由が分からない。誰かが落として行ったんだろうか?

……
……

疑問は残るが、こんなところに放っておくのも忍びない。俺はその仏像に手を伸ばした。とりあえず、見事な藤棚のあるあのお寺にでも持って行こう。それがいい。

と。

突然、伝さんが唸りだした。威嚇とか警戒とかじゃない、獲物に飛びかかる三秒前みたいな、マジ獰猛な唸り声。普段滅多にそんな態度を見せない伝さんに、どうした、と訊ねようとしたその瞬間、唐突に嫌な感じがして、俺は反射的に後ろを振り返った。

「……あんた、誰?」

自分でも、ボケたことを口にしたと思う。だって、そこに立っていた男は、警官の持つような特殊警棒(死んだ弟は警察官だったから、俺にもそれが何なのかすぐ分かった)を振りかぶって、今にも俺の頭かどこかを打ち据えようとしているところだったんだ。

止める間もなく、伝さんが男の武器を持った方の手に噛み付き、全体重を掛けて引き倒していた。同時に、男の情けない悲鳴があたりに響き渡る。

「その特殊警棒、早く手放して、大人しくしてた方がいいよ? でないと、今度はその喉笛、噛み破られても俺は知らない。そんなもの持って襲ってきたの、あんたの方だからな」

俺の脅しに、蒼白な顔で男は何度も頷いた。
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