第72話 秋の夜長のお月さま 10

文字数 2,266文字

そう言う店主は、すごく不味いものを、嫌々ながら味わわなければならない人みたいに唇を歪めてる……。こんな顔、見たことある。絶望を味わったみたいな表情。あれを口に入れた者みんな、こんな顔してた。たぶん俺も……。なんだっけ、あれ、あの飴。旅行が趣味だった前の会社の同僚がノリで買ってきた、北欧土産。味覚を破壊するというより、地ならしして更地にして無効にしてしまうような、暴力的なまでに存在感のある──。

「サルミアッキ……?」

「え?」

驚いたように目を瞠る店主。しょーもないことを言った自覚のある俺、バツが悪い。

「いえ、何でもないです……」

相手が何やら苦悩している様子なのに、明後日の方向にダッシュした連想をつい口にしてしまい、どうやって誤魔化そうかとおろおろしていると、店主は呟いた。

「サルミアッキか……」

「それはですね、その」

まあまあ、という仕草をしながら、店主は言った。

「まあ、確かにサルミアッキみたいな人ですよ、あれは。食べ物を名乗っちゃいけない味なのに、歴とした食品だというところとか……」

「はあ」

何の話だろう? 俺もズレてるけど、店主もズレてると思う。

「その老人、髭を生やしてなかったですか? 真っ白な髭」

言われて、何とか思い出してみた。

「そういえば……」

「髪も真っ白で、少し長め」

きれいに手入れされて艶のある髪と髭。どちらも惚れ惚れするほど真っ白で──。

「ああ! そうそう。お洒落な仙人みたいだと思ったんです、第一印象」

ぶっ、と店主が吹き出した。め、珍しい。

「お洒落な仙人……それはなかなか」

言い得て妙、とひとしきり笑う。

「本当に、何でも屋さんにかかると形無しだなぁ。でもまあ、最終確認。──その人の眼、こんな感じじゃなかったですか」

店主は自分の眼を示した。

「え?」

「瞳の色。よく見てみてください」

瞳の色? 言われて注意深く見つめて……思い出した。

「そ、うだ、片目の色。こんな色だった、デコピンしてきた時……ちょっと薄い茶色に緑がかってて……え? 今まで気づかなかったけど、真久部さんオッドアイだったんですね。あの老人も……」

さらにじーっと見つめて……。

「真久部さん、あの老人と似てる……」

うん。パッと見の印象が違うから気づかないけど、良く見ると似てる。眼の色もそうだけど、鼻とか口元とか……。

それを聞いた店主は、今日一番大きな溜息をついた。

「やっぱりね。──それ、多分僕の伯父です」

「えっ!」

驚いたけど、驚きは無い、って変な言い方だけど。いや、ホント似てるし。

「真久部さんの伯父さん? 何であんなところに──お住まいがあの近くなんですか?」

「いいえ。全然違うところに住んでますよ。ただ、萱野さんの近くに友達がいると聞いたことがあります。昨日はそこを訪ねる予定になってたんでしょうね。例の<悪いモノ>に引っ張られる気満々で……」

まだあれ飼ってたのか、とか、餌はやるなと言ったのに、とかなんとか、ぶつぶつ呟いている。

「あ、あの、真久部さん?」

「あの人は悪趣味なんですよ……」

重い重い吐息とともに、店主は吐き出した。

「僕にはさんざん『骨董の声は聞くな、聞こえても知らないふりをしておけ』と言ってたくせに、自分は……だいたいね、竜になりたいとか、子供が将来『サッカー選手になりたい』って言ってるのと同じじゃないですか。普通はなれるものじゃない。さりげなくあやして寝かせておけば、眠ったままそのうち(しょう)も薄れてくるのに……」

中には『人間になりたい』っていうのもあるんですよ、という言葉を聞いて、俺は怖くなった。

「その、骨董の声、ですか? この店で棚卸しのお手伝いしたことありますけど、俺、何も聞こえませんでした、よ……?」

「ああ……便宜上<声>と言ってますけど、声とはまた違います。人に長く使われた道具は、夢を見ることがあって、って、あまり聞かないほうがいいですよ、何でも屋さん。忘れてください」

「はあ……」

ちょっと背中がぞわっとするような気がするから、忘れられるなら忘れたい。

「えっと。深く聞きたいわけじゃないんですけど──」

本当に聞きたくはないんだけど。でも……

「今の話からすると、竜になりたいっていう何かの願いを、伯父さんが叶えてやろうとしてるってことですか? それは昨夜俺が見た竜のイリュージョンと関係ありますか?」

そこ、はっきりしておかないと落ち着かないっていうか、まあ。竜が現れたって聞いたときの店主の驚き方も普通じゃなかったし。

「関係、ありますね。肯定したくは無いんですが」

「その、どんなふうに……?」

「まず、きみが見たのはイリュージョンじゃありません」

「え……?」

嘘。そこ、否定して欲しくなかったよ。

「昨日、萱野さんのお宅まで運んでもらった荷物は、鯉の置物だったんです。本物そっくりに動かせる、自在置物」

──知ってますか? 鯉は竜になることが出来るんですよ。

脳裏に蘇る、老人の声。

「もしかして……その鯉の置物が竜になったってことですか?」

──鯉の滝登りという言葉があるでしょう? 垂直の滝を登り切るほどの力ある鯉は、竜になることが出来るんです。

ただのお話、というか、何かの例え話だと思ってたのに。

「その通りです」

まさかのリアル・トークだったのか、店主の伯父さん!
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