第4話 慈恩堂でお留守番。完結編

文字数 2,400文字


ありゃ、慎一くん?

「どうしたんだい? 塾にはまだ早いんじゃ?」

「うん。ぼく、お使い。これ」

そう言って彼はコンビニ袋をかさかささせる。

あ、そうか。ここは慎一くんちの近く。コンビニまで徒歩三分、というか、すぐそこに後藤家の玄関が見える。

「醤油か。お使い、えらいね。今日は肉じゃがか何か?」

「ううん。カレーだよ」

かくし味に入れるんだって。と、慎一くんはにこにこ笑う。お母さんのカレー大好き! と、かなりうれしそうだ。

ふーん、カレーに醤油か。やっぱりカレーは味噌汁と同じで、その家独自のレシピがあるのだな。

などと感心しつつ、すぐそこだけど一応送って行くかと口を開きかけた俺に、慎一くんは思いがけないことを言った。

「ねえおじさん。その女の人、だれ?」

「女の、人?」

うん。と頷く慎一くんの指が示すのは、俺の肩の向こう。

「……」

背後に、人のいる気配は感じられないんだけど。でも、慎一くんの表情に嘘は無い。

俺は、頑張って後ろを向いてみた。かなりぎこちなく、多分、傍から見たら油の切れた首振り人形みたいだったと思う。

「?」

肩越しに振り返ったまま、俺は首を傾げた。そこには誰もいない。

「なあ慎一くん。女の人ってまだいる?」

「いるよ。きれいなおねえさん。着物きてる。おじさんの方見て、にっこり笑ってるよ」

……その言葉を聞いた瞬間、背中にカチ割り氷がぶつけられたような気がした。その上、氷に塩まで振られたような気がする。ああ、温度が下がっていく。

「おじさん、どうしたの? さむいの?」

慎一くんが心配そうに顔をのぞきこんでくるけど、俺は答えられない。背中が冷たくて。けど! 子供に心配させるわけにいかないから!

「さ、寒くなんかないよ。ちょっと背中が冷たいだけさ!」

震えそうになる唇を、必死に動かし、強張る頬を何とか動かして笑顔を作ろうと頑張ってみる。

「うん、おじさん大丈夫!」

「ほんと?」

「本当だとも! オヤジは風の子だからな!」

混乱するあまり、意味不明。

自分でも何言ってんのか分からない。得体の知れない恐怖と大人の矜持の狭間でアワアワ──ああ、情けない。んが! 慎一くんの不思議そうな声に、一気に我に返った。

「かぜのこ? って何?」

え? 今時の子供は、知らないのか? 

子供は風の子、元気な子。

そんな風には、もう言わないんだろうか。いや、娘のののかは知ってるぞ、って、俺が教えたんだっけか。

はぁ。なんか力ぬけた。

「風の子っていうのは、寒くても外で走り回る元気な子って意味だよ。ほら、おじさん、よく犬の散歩とかで走ってるだろう?」

ふーん、と慎一くんは首を傾げる。

「かぜひいた子かと思った」

「そ、そっか」

さらにガクっときたけど。

「でも、だったらぼくも風の子だ! コンビニまではしって来たもん!」

元気いっぱいの宣言に、俺はようやく無理に作ったのじゃない自然な笑みを浮かべることが出来た。

「じゃ、風の子どうし、競争しようか。ゴールは慎一くんちの前だよ」

「うん!」

よーい、ドン!

車や自転車に注意しつつ、慎一くんをリード。っても、すぐ着いたけど。一番、慎一くん、二番、おじさん。

「速いなぁ、慎一くん」

褒めると、照れたようなうれしそうな顔をした。あー、素直だなぁ。

「ぼく、風になったみたいだったよ。そっか、だから風の子っていうんだね」

そうだよ、と俺は笑って慎一くんの頭を撫でた。

「さ、お母さんが醤油を待ってるよ。お家に入りなさい。おじさん、またあとからお迎えに来るからね」

「うん! ……あれ?」

元気良く返事してくれたと思ったら、また俺の後ろを見つめている。
……俺、ちょっとの距離走っただけで、もうさっきこの子が言ったこと忘れてたよ。いるのか? まだ<着物の女の人>が、いるのか?

ぞぞぞぞぞっ!

慄く俺に、追い討ちを掛ける慎一くんの言葉。

「おじさんのうしろに、おじさんそっくりの人がいるよ。女の人のこと、にらんでる。こわい顔……」

「お、おじさんそっくりのおじさん?」

「うん」

「……」

俺は怖がる自分を叱咤しながら後ろを振り返ってみた。やっぱり誰もいない。

「あ、女の人、いなくなっちゃった。どこ行ったのかな?」

おじさんには分かりません。てか、分かりたくない。

「おじさんそっくりの人、もうこわい顔してない。にこにこしてるよ。おじさん、ふたごだったの?」

うん。おじさん、双子だよ、っていうか、双子だったよ。弟、死んじゃったけどね。

「え? おじさん、おじさん!」

慎一くんの声が、遠い……あれ、地面が近づいてくるよ……。
俺、気を失ったらしい。







気を失ったのはほんの短い間だったようだ。慎一くんがお母さんを呼んできてくれた時には、既に自力で半身を起こしていた。あのまま倒れてたら絶対頭を打ったと思うんだが、かすり傷のひとつも無い。

弟が、助けてくれたんだな、多分。俺には全然見えなかったけど。

慎一くんの言ってた<着物の女の人>を追い払って、意識を失った俺の身体が無防備に倒れて怪我しないよう、支えてくれて。

ま、全部俺と慎一くんの気のせいかもしれないけどさ。だけど、これを機会に、俺はひとつ心に決めたぜ。

──真久部堂の店番なんか、二度としない。

それから、弟よ! お前、帰って来るのはお盆だけじゃなかったのか? 普段からその辺うろついてるのか? ……兄ちゃん、それはそれで心配だよ。お前もこの頼りない兄が心配なのかもしれないけど。



一応書いておくとしよう。
その日ご馳走になった慎一くんちのカレーは、妻の作ったのの二番目くらいに美味しかった。



おわり。
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