第16話 後日談 5 終
文字数 3,119文字
「でも……弟さん、ご自分で抜け出されたとか、そういうことじゃないんですか?」
金持ちボンボンな生活をしていたようだから、実家に内緒の隠れ家のひとつやふたつ、持ってそうな気がするけど。
「座敷牢の鍵はしっかり閉まっておりましたから、その可能性はありません」
「ざ、座敷牢ですか……」
またまたさらっと恐ろしい単語が。まさか! と笑って済ませたいけど、旧家当主の威厳バリバリ漂う百日紅氏を見ていると、そんな気持ちも萎える。……本当にあるんだな、そういう部屋(?)が。
「ああ、座敷牢とは言っても、昔ほど不便なものではありませんよ。私の代になってから改装して、ユニットバスも完備しています。ただ、格子だけは昔のままにしてあります。あれこそが座敷牢の座敷牢たる所以ですからね。とても頑丈に出来ている上、中も見やすいですし」
「はぁ……」
そうですか。あなたの代になってから座敷牢のままで改装……普通の部屋に改装なさるおつもりはなかったのですね。
怖っ! と慄く俺の内心も知らず(そりゃ知らないわな)、百日紅氏は続ける。
「まあ、そのような部屋から姿が消えたもので、私どもはすぐ弟の子供の頃を思い出し、これは当家の狛犬の力だな、と考えたわけです」
「そうなんですか……」
としか言いようがない。
「で、狛犬様が(思わず、様付けしちゃったよ)、弟さんのことを『怒ってはいるけれども見捨ててはいない』というのは、どういったところから……?」
「そこです」
どこですか? なんてベタな相槌は心の中だけにして。俺は百日紅氏の言葉を待った。
「姿を消して一週間後、弟が現れた場所。そこから、私どもはそのように判断したのです」
「現れた場所、ですか……?」
てか、密室(っても、普通なら壁である部分が牢格子になってるんだから、厳密にいうと違うのかもしれんが)から人ひとり消えて一週間て、どんな完全犯罪だよ! と思ったが、怖いので黙っておく。
「そうです。なんと、弟は、当家に縁のある神社に姿を現したのですよ。ここからはかなり遠く離れた、山の中の神社です。境内の御神木の根方に、放心したようにもたれていたそうです」
「あの……ご無事で?」
「無事、といっていいのでしょうね。それから高熱が出て、三日三晩寝込んだようですが、四日めには回復したと聞いていますから」
「はぁ……」
「熱にうなされながら、狛犬が、とか、子供が、とか、あーちゃんごめんなさいうーちゃんごめんなさいもうしません、とか、色々うわ言を言っていたそうです」
本当に不肖の弟で、と百日紅氏は、泣き笑いとはまた違う、苦笑とも違う、何ともいえない複雑な表情をしてみせた。
「弟は、そのまま神職になるための修行をすることになりそうです」
三日三晩もうなされるって、どんな怖い目みせたんだよ、狛犬! と一人慄いていた俺は、百日紅氏のその言葉にびっくりして、思わず聞き返した。
「修行? 神職って……そこの神社のですか?」
「そうです」
「でも、お話を聞いていると、その、失礼ながら、あまりそういった職に向いていらっしゃらないような」
俗塵にまみれてるというか、娑婆っ気(っていうのも変かな)たっぷりっていうか、罰当たりで、とても神社だの寺だので大人しくしてそうに思えないんだが。
「向いていなくても、弟はそこで頑張るしかないんですよ」
百日紅氏は、何かを諦めるように深い息を漏らした。
「先ほど、当家の狛犬は弟のことを『怒ってはいるが、見捨ててはいない』と申し上げましたが、今後、もし弟が勝手にその神社から出て元の生活に戻ろうとすれば、確実に見捨てられ、命を取られるでしょう。それだけのことを弟はしてしまいました」
「う……」
この百日紅家に代々伝わる、家宝のような狛犬を売り飛ばそうとしたんだもんなぁ。子供の頃、遊んでもらった(?)恩も忘れて。
「狛犬は、弟を座敷牢から連れ出し、縁の神社に置き去りにしました。つまり、そこで心を入れ替え修行をして、生涯御祭神に仕えよ、という意味です。狛犬のくれた、それが最後のチャンスだということでしょう」
「そうですか……」
何て言ったらいいのか分からない。だけど──。
「赤の他人の、おれ、いえ、私が言うのもおかしなことだとは思いますが、狛犬は弟さんのこと、本当に気に入ってるんでしょうね。そうでなければ、見捨てるも何も、まず許してはくれないような気がします。更正する機会を与えてくれるなんて、破格の扱いのような……」
一週間ものあいだ、彼らの領域(?)に閉じ込めて、こちらの世界に戻してからは三日も高熱で苦しめて。怖い考えだけど、殺そうと思えば、いつでも殺せた、はず。それをしなかったというのは、狛犬兄弟は百日紅氏の末弟のこと、そうとう気に入ってるってことだと思うんだ。
そこまで考えた時、突然耳鳴りがして、俺は座ったまま頭を抱えこんだ。
──この子は、このまま俗世間に置いておくと、身を持ち崩してしまうから。
──自分で命を縮めてしまうから。
──僕たちが保護することにするよ。
──そのためには、死ぬほど怖がらせておかないとね。
くすくす、くすくす。
子供の、ひそひそと耳をくすぐるような笑い声が、ぼうっとした頭の奥でこだまする。
「どう……しました、 大丈夫ですか? また狛犬にからかわれましたか?」
少し焦ったような百日紅氏の声が、どこか遠くから聞こえる。すぐ近くにいるはずなのに、広い洞窟の中で反響する木霊のように、ぼわん、ぼわんと捉えどころがない。
変なの。と暢気に考えながらも、俺は無意識に呟いていた。
「計略どおり──」
「は? 今、何と?」
今度の声は、普通に聞こえた。心配そうに俺の顔をのぞき込んでいる百日紅氏。えっと、俺、今何て言ったっけ?
一瞬の夢の間に、二頭の狛犬が踊っていたのだけは覚えてる。
それから、えっと……。
「もしかしたら弟さんは、最初からその神社で修行する運命だったのかもしれません。でなければ、何年か先、享楽的な生活のために身を持ち崩すことになっていたのかも」
──狛犬たちは、それを防ぎたかったのかもしれません。
そんなふうに、俺は答えていた。何でそんなことが言えるのか、自分でも分からなかったが、今回の一連の事件、もしかしたら、狛犬の計略だったのかもしれない、という思いが唐突に湧いてきたんだ。
狛犬兄弟の、掌で転がされる百日紅氏の末弟。
……肉球でお手玉されたのかもしれないな、うなされていたという夢の中で。
もう一度、阿吽の狛犬をしっかり撫でて、百日紅家の屋敷神様に改めて挨拶の拍手打って。
例のスゴイ車でお抱え運転手さんに駅まで送ってもらい、今は電車の中。鈍行から急行に乗り換え、あと少しで大きな駅に着く。そこから私鉄に乗り換えれば、ほんの数駅で俺の住む街だ。
ほうっ、と大きく溜息が漏れる。
疲れたような、気の抜けたような、そんな感じ。安心した、ってのもあるかな。いろいろ怖かったよ、百日紅家。今度またあの家に届け物を頼まれたらどうしよう……。
慈恩堂店主の、ほんわり人が良さそうに見えて、そのくせ、どこか食えない笑顔が脳裡をよぎる。
どうしよう、じゃないだろ、俺。次は断ろう、断固として! いくら依頼料を弾まれても──通常の倍、いや、三倍くらい積まれても、二度と行かない! 多分行かないと思う……行かないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ、って誰に言ってるんだ、俺。
金持ちボンボンな生活をしていたようだから、実家に内緒の隠れ家のひとつやふたつ、持ってそうな気がするけど。
「座敷牢の鍵はしっかり閉まっておりましたから、その可能性はありません」
「ざ、座敷牢ですか……」
またまたさらっと恐ろしい単語が。まさか! と笑って済ませたいけど、旧家当主の威厳バリバリ漂う百日紅氏を見ていると、そんな気持ちも萎える。……本当にあるんだな、そういう部屋(?)が。
「ああ、座敷牢とは言っても、昔ほど不便なものではありませんよ。私の代になってから改装して、ユニットバスも完備しています。ただ、格子だけは昔のままにしてあります。あれこそが座敷牢の座敷牢たる所以ですからね。とても頑丈に出来ている上、中も見やすいですし」
「はぁ……」
そうですか。あなたの代になってから座敷牢のままで改装……普通の部屋に改装なさるおつもりはなかったのですね。
怖っ! と慄く俺の内心も知らず(そりゃ知らないわな)、百日紅氏は続ける。
「まあ、そのような部屋から姿が消えたもので、私どもはすぐ弟の子供の頃を思い出し、これは当家の狛犬の力だな、と考えたわけです」
「そうなんですか……」
としか言いようがない。
「で、狛犬様が(思わず、様付けしちゃったよ)、弟さんのことを『怒ってはいるけれども見捨ててはいない』というのは、どういったところから……?」
「そこです」
どこですか? なんてベタな相槌は心の中だけにして。俺は百日紅氏の言葉を待った。
「姿を消して一週間後、弟が現れた場所。そこから、私どもはそのように判断したのです」
「現れた場所、ですか……?」
てか、密室(っても、普通なら壁である部分が牢格子になってるんだから、厳密にいうと違うのかもしれんが)から人ひとり消えて一週間て、どんな完全犯罪だよ! と思ったが、怖いので黙っておく。
「そうです。なんと、弟は、当家に縁のある神社に姿を現したのですよ。ここからはかなり遠く離れた、山の中の神社です。境内の御神木の根方に、放心したようにもたれていたそうです」
「あの……ご無事で?」
「無事、といっていいのでしょうね。それから高熱が出て、三日三晩寝込んだようですが、四日めには回復したと聞いていますから」
「はぁ……」
「熱にうなされながら、狛犬が、とか、子供が、とか、あーちゃんごめんなさいうーちゃんごめんなさいもうしません、とか、色々うわ言を言っていたそうです」
本当に不肖の弟で、と百日紅氏は、泣き笑いとはまた違う、苦笑とも違う、何ともいえない複雑な表情をしてみせた。
「弟は、そのまま神職になるための修行をすることになりそうです」
三日三晩もうなされるって、どんな怖い目みせたんだよ、狛犬! と一人慄いていた俺は、百日紅氏のその言葉にびっくりして、思わず聞き返した。
「修行? 神職って……そこの神社のですか?」
「そうです」
「でも、お話を聞いていると、その、失礼ながら、あまりそういった職に向いていらっしゃらないような」
俗塵にまみれてるというか、娑婆っ気(っていうのも変かな)たっぷりっていうか、罰当たりで、とても神社だの寺だので大人しくしてそうに思えないんだが。
「向いていなくても、弟はそこで頑張るしかないんですよ」
百日紅氏は、何かを諦めるように深い息を漏らした。
「先ほど、当家の狛犬は弟のことを『怒ってはいるが、見捨ててはいない』と申し上げましたが、今後、もし弟が勝手にその神社から出て元の生活に戻ろうとすれば、確実に見捨てられ、命を取られるでしょう。それだけのことを弟はしてしまいました」
「う……」
この百日紅家に代々伝わる、家宝のような狛犬を売り飛ばそうとしたんだもんなぁ。子供の頃、遊んでもらった(?)恩も忘れて。
「狛犬は、弟を座敷牢から連れ出し、縁の神社に置き去りにしました。つまり、そこで心を入れ替え修行をして、生涯御祭神に仕えよ、という意味です。狛犬のくれた、それが最後のチャンスだということでしょう」
「そうですか……」
何て言ったらいいのか分からない。だけど──。
「赤の他人の、おれ、いえ、私が言うのもおかしなことだとは思いますが、狛犬は弟さんのこと、本当に気に入ってるんでしょうね。そうでなければ、見捨てるも何も、まず許してはくれないような気がします。更正する機会を与えてくれるなんて、破格の扱いのような……」
一週間ものあいだ、彼らの領域(?)に閉じ込めて、こちらの世界に戻してからは三日も高熱で苦しめて。怖い考えだけど、殺そうと思えば、いつでも殺せた、はず。それをしなかったというのは、狛犬兄弟は百日紅氏の末弟のこと、そうとう気に入ってるってことだと思うんだ。
そこまで考えた時、突然耳鳴りがして、俺は座ったまま頭を抱えこんだ。
──この子は、このまま俗世間に置いておくと、身を持ち崩してしまうから。
──自分で命を縮めてしまうから。
──僕たちが保護することにするよ。
──そのためには、死ぬほど怖がらせておかないとね。
くすくす、くすくす。
子供の、ひそひそと耳をくすぐるような笑い声が、ぼうっとした頭の奥でこだまする。
「どう……しました、 大丈夫ですか? また狛犬にからかわれましたか?」
少し焦ったような百日紅氏の声が、どこか遠くから聞こえる。すぐ近くにいるはずなのに、広い洞窟の中で反響する木霊のように、ぼわん、ぼわんと捉えどころがない。
変なの。と暢気に考えながらも、俺は無意識に呟いていた。
「計略どおり──」
「は? 今、何と?」
今度の声は、普通に聞こえた。心配そうに俺の顔をのぞき込んでいる百日紅氏。えっと、俺、今何て言ったっけ?
一瞬の夢の間に、二頭の狛犬が踊っていたのだけは覚えてる。
それから、えっと……。
「もしかしたら弟さんは、最初からその神社で修行する運命だったのかもしれません。でなければ、何年か先、享楽的な生活のために身を持ち崩すことになっていたのかも」
──狛犬たちは、それを防ぎたかったのかもしれません。
そんなふうに、俺は答えていた。何でそんなことが言えるのか、自分でも分からなかったが、今回の一連の事件、もしかしたら、狛犬の計略だったのかもしれない、という思いが唐突に湧いてきたんだ。
狛犬兄弟の、掌で転がされる百日紅氏の末弟。
……肉球でお手玉されたのかもしれないな、うなされていたという夢の中で。
もう一度、阿吽の狛犬をしっかり撫でて、百日紅家の屋敷神様に改めて挨拶の拍手打って。
例のスゴイ車でお抱え運転手さんに駅まで送ってもらい、今は電車の中。鈍行から急行に乗り換え、あと少しで大きな駅に着く。そこから私鉄に乗り換えれば、ほんの数駅で俺の住む街だ。
ほうっ、と大きく溜息が漏れる。
疲れたような、気の抜けたような、そんな感じ。安心した、ってのもあるかな。いろいろ怖かったよ、百日紅家。今度またあの家に届け物を頼まれたらどうしよう……。
慈恩堂店主の、ほんわり人が良さそうに見えて、そのくせ、どこか食えない笑顔が脳裡をよぎる。
どうしよう、じゃないだろ、俺。次は断ろう、断固として! いくら依頼料を弾まれても──通常の倍、いや、三倍くらい積まれても、二度と行かない! 多分行かないと思う……行かないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ、って誰に言ってるんだ、俺。