第207話 家鳴り
文字数 2,032文字
「新規顧客のご紹介……ありがとうございます」
あらためて礼を言うと、どういたしまして、とにっこり笑顔が返ってくる。やっぱり胡散臭い。
「まあ、仮に何かの影響があったとしても、何でも屋さんならね。護りが強いから大丈夫だと思ってました」
にーっこり。
「……」
何かの影響って何だ? と思ったけど、聞かないでおこ……。
「……えーと。掃除にかかる前に、掃除用具を全部並べて手順を説明してあげてくださいね、っていうのは、そういう事情があったからなんですね」
水無瀬さんのお宅、駅からは遠いからそのほうが楽ですよと真久部さんに言われて、昨日は自転車で出掛けた。穂先の長い箒は車体にくくり付け、マイクロファイバー加工の雑巾十枚パック二つとワイパーとハタキ、補助の折り畳み箒、分解できるモップ、塵取りなんかをバケツに入れて荷台に固定し、駅三つ先の隣の隣の町まで。
俺には車という機動力が無いので、これは軽く遠方出張ということになる。例外はあるけど、普通はこういう依頼は請けないし、来ない。何故ならば、掃除道具を抱えての移動が大変だからだ。今回も、他ならぬ真久部さんの紹介だから請けたってだけで……そういえば、稀にある例外もほとんどが真久部さんか慈恩堂絡みだな──。
っと。それはあんまり思い出しちゃいけないから、置いておくとして。
清掃依頼で公共交通手段利用の場合は、道具類をバックパックに詰め込んでいく。バケツを道具入れ代わりにできるのは、ご近所だけだ。でも今回は自転車だったから、道具も何もそんなふうで全部丸出しだった。冬だけど、走ると暑いから服装だって作業用の軽装で、何かを隠し持てるような格好じゃない。
脱いだジャケットは蔵の外に置いてたし……。そりゃ根付みたいな小さなものなら、ズボンのポケットにだって入れられるだろうけど、きっと蔵の中にはそういうものは無かったんだろうなぁ。
「黙っててすみません」
ひとりうなずいて納得していると、真久部さんが頭を下げてきた。
「こうやって後から事情を聞くならまだしも、行く前から、あそこの蔵に入ると誰でも泥棒になると信じてらっしゃるけど、気にしないでくださいね、なんて言われたら、何でも屋さんだって気持ち良く作業できないでしょうから……」
「いえ、それは真久部さんのおっしゃる通りです──」
俺は苦笑いする。“俺という人間”じゃなく、“蔵に入った人”を疑ってしまうんだってことにしろ……先に聞かされてなくてよかったと思う。気持ちがぎくしゃくしてしまうだろうから。
「だから、あんなに喜んでくれたんですね。普通に仕事しただけなのに……」
──まず天井を箒で掃いて埃を落とした後、ワイパーに取り付けた、こういう雑巾で拭きます。その次はこのハタキで棚の上や箱などを丁寧に叩 いて、平らな部分にはざっと雑巾をかけ、さらに埃を取り除きます。最後は床に落ちた埃が舞い上がらないよう気をつけながら、モップと雑巾ワイパー、適宜箒も使って、塵取りに集めた埃をゴミ袋に入れて始末します。まずは二階から始めますね!
作業前、持ってきた道具を広げて説明してるあいだ、水無瀬さんは困ったような、寂しそうな、諦めたような、なんともいえない表情をしていた。何か悩み事でもあるのかな、と思ってたけど──、曰くのあるらしいあの蔵に、入ったらこの人も……とか、考えてたんだろうな。
それを俺が、いい意味で裏切ったてことなんだろう──。
でもさ、やっぱり三倍は多いよ、水無瀬さん。今回、俺は怖い思い もしてないし。
樋掃除はさせてもらったけど、庭掃除を付けても……いや、そこまでやってたら次の予定が……。うーん、移動時間がネックだなぁ……などと考えていると、新しいお茶を淹れてくれながら真久部さんが言う。
「本当は、そうやって目の前でわざわざ確認しなくても、いいらしいんですけどね」
「え?」
思わず顔を見ると、そこにはいつもの読めない笑み。
「持ち込むもの、持ち出したものの収支を見て確認してもしなくても、蔵から何かを盗み出したらすぐにわかる、という話です」
「……どうやって? 監視カメラが付いてるとかですか?」
何十年も開けてなかったっていうし、水無瀬さんのお父さんの頃に、そんなものを民間で気軽に付けられたものだろうか。首を傾げていると、真久部さんは怪しい方向に笑みを深めた。
「蔵がね、家鳴りするんだそうです」
「家鳴り?」
「そうです。しかも、母屋まで響くくらい鳴るんだそうですよ」
「……気のせいじゃなくて?」
「ええ。水無瀬さんがおっしゃるには」
にっこり。
「……」
アッチ 方面じゃないと思ってたのに、やっぱりか、真久部さん……! いや、でも、真久部さんは蔵を見ても、別におかしなものを感じなかったっていうし、これはただの言い伝えの話か。
「……まあ、確かに、静かなものでしたよ」
木造建築のごく自然なミシパシ音はあったかもしれないが、俺は中で動き回ってたからなぁ。なんにせよ、不自然な家鳴りは聞こえなかった。中でも、外でも。
あらためて礼を言うと、どういたしまして、とにっこり笑顔が返ってくる。やっぱり胡散臭い。
「まあ、仮に何かの影響があったとしても、何でも屋さんならね。護りが強いから大丈夫だと思ってました」
にーっこり。
「……」
何かの影響って何だ? と思ったけど、聞かないでおこ……。
「……えーと。掃除にかかる前に、掃除用具を全部並べて手順を説明してあげてくださいね、っていうのは、そういう事情があったからなんですね」
水無瀬さんのお宅、駅からは遠いからそのほうが楽ですよと真久部さんに言われて、昨日は自転車で出掛けた。穂先の長い箒は車体にくくり付け、マイクロファイバー加工の雑巾十枚パック二つとワイパーとハタキ、補助の折り畳み箒、分解できるモップ、塵取りなんかをバケツに入れて荷台に固定し、駅三つ先の隣の隣の町まで。
俺には車という機動力が無いので、これは軽く遠方出張ということになる。例外はあるけど、普通はこういう依頼は請けないし、来ない。何故ならば、掃除道具を抱えての移動が大変だからだ。今回も、他ならぬ真久部さんの紹介だから請けたってだけで……そういえば、稀にある例外もほとんどが真久部さんか慈恩堂絡みだな──。
っと。それはあんまり思い出しちゃいけないから、置いておくとして。
清掃依頼で公共交通手段利用の場合は、道具類をバックパックに詰め込んでいく。バケツを道具入れ代わりにできるのは、ご近所だけだ。でも今回は自転車だったから、道具も何もそんなふうで全部丸出しだった。冬だけど、走ると暑いから服装だって作業用の軽装で、何かを隠し持てるような格好じゃない。
脱いだジャケットは蔵の外に置いてたし……。そりゃ根付みたいな小さなものなら、ズボンのポケットにだって入れられるだろうけど、きっと蔵の中にはそういうものは無かったんだろうなぁ。
「黙っててすみません」
ひとりうなずいて納得していると、真久部さんが頭を下げてきた。
「こうやって後から事情を聞くならまだしも、行く前から、あそこの蔵に入ると誰でも泥棒になると信じてらっしゃるけど、気にしないでくださいね、なんて言われたら、何でも屋さんだって気持ち良く作業できないでしょうから……」
「いえ、それは真久部さんのおっしゃる通りです──」
俺は苦笑いする。“俺という人間”じゃなく、“蔵に入った人”を疑ってしまうんだってことにしろ……先に聞かされてなくてよかったと思う。気持ちがぎくしゃくしてしまうだろうから。
「だから、あんなに喜んでくれたんですね。普通に仕事しただけなのに……」
──まず天井を箒で掃いて埃を落とした後、ワイパーに取り付けた、こういう雑巾で拭きます。その次はこのハタキで棚の上や箱などを丁寧に
作業前、持ってきた道具を広げて説明してるあいだ、水無瀬さんは困ったような、寂しそうな、諦めたような、なんともいえない表情をしていた。何か悩み事でもあるのかな、と思ってたけど──、曰くのあるらしいあの蔵に、入ったらこの人も……とか、考えてたんだろうな。
それを俺が、いい意味で裏切ったてことなんだろう──。
でもさ、やっぱり三倍は多いよ、水無瀬さん。今回、俺は
樋掃除はさせてもらったけど、庭掃除を付けても……いや、そこまでやってたら次の予定が……。うーん、移動時間がネックだなぁ……などと考えていると、新しいお茶を淹れてくれながら真久部さんが言う。
「本当は、そうやって目の前でわざわざ確認しなくても、いいらしいんですけどね」
「え?」
思わず顔を見ると、そこにはいつもの読めない笑み。
「持ち込むもの、持ち出したものの収支を見て確認してもしなくても、蔵から何かを盗み出したらすぐにわかる、という話です」
「……どうやって? 監視カメラが付いてるとかですか?」
何十年も開けてなかったっていうし、水無瀬さんのお父さんの頃に、そんなものを民間で気軽に付けられたものだろうか。首を傾げていると、真久部さんは怪しい方向に笑みを深めた。
「蔵がね、家鳴りするんだそうです」
「家鳴り?」
「そうです。しかも、母屋まで響くくらい鳴るんだそうですよ」
「……気のせいじゃなくて?」
「ええ。水無瀬さんがおっしゃるには」
にっこり。
「……」
「……まあ、確かに、静かなものでしたよ」
木造建築のごく自然なミシパシ音はあったかもしれないが、俺は中で動き回ってたからなぁ。なんにせよ、不自然な家鳴りは聞こえなかった。中でも、外でも。