第156話 煙管の鬼女 4
文字数 2,053文字
「いや、それは無理……」
怖がらずにいるなんて無理。
「害が無くても怖いですか?」
「そりゃ……」
いわく因縁、知らなきゃ綺麗な煙管だね、で済むけど、知ったらその美しさすら禍々しく……。
「知らぬが仏、ってね」
そんな言葉を吐いたあと、代わりのように紅茶を啜る。澄ました顔が、憎ったらしい……!
「真久部さんが勝手に教えてるんじゃないですか! だいたい、どうしてこの煙管をたまには使ってやらないといけないのか、そこ、まだ聞いてません、」
よ、と言った瞬間、真久部さんがニッと笑った。う、俺の馬鹿。何で自ら地雷を踏みに──!
「それはねぇ、何でも屋さん」
真久部さんが煙草盆からひょい、と煙管をつまみ上げ、ちょっとこの羅宇 を見てください、と言った。この真ん中の部分を羅宇っていうのかぁ、と思いながらびびりつつも顔を近づけて眺めてみる。ススキとか何かの実が描かれているから、これはやっぱり秋の野なんだろう。そこに佇む女性は、ん? 頭にちょいちょいっと何か……これ、角?
──お大尽、一服のみなんし
鈴を振るようなきれいな声が聞こえた。高すぎず、低すぎずの心地よい声。お大尽って金持ちのことだっけ? どこにお大尽が。それより、ここに女の人いたっけ?
ふと気づくと、目の前に綺麗な女の人の横顔。明かりが心もとないのに綺麗だとわかるのは、その鼻筋がすっと通り、額から口元、顎までのラインを美しくなぞっているから。
──よう来なました、今度はいつ来てくんなます
へ? よく来てくれました、今度はいつ来てくれますか、って言ってる? いや、こんなところ、って、薄暗いからよくわからないけど、彼女の着ている金襴銀襴のきらびやかな着物は見える。他はうっすらおぼろで、いつどうやって来たかわからないところへは──。
「すみません、たぶんもう来れないと思います」
──それなら今宵の約束に、これをあちきと思うて大事に持っていてくださいまし
白くて細い指で煙管を手渡された。うっかり受け取ってしまう。身体を斜交いに、顔をこちらに見せぬままだった彼女がこちらを向き、赤い紅を引いた唇が動いて……。
──つぎに来なましたときに、あちきに返してくんなまし。それがぬしとあちきとの約束
「え? でも」
俺、煙管はやらないし、持っててもどうしていいのか……。
──持っていてくださいましな、源平藤橘四姓に枕を交わすこの卑しい身を
一筋に思おてくれたぬしの情けがあるとおもえば、それだけであちきは仕合せでありんす
「……」
──ただ、ようござんすか
「は、はあ……」
──ぬしの身の慌しいのは、あちきも承知しておりんす。またの逢瀬もいつになるやら……
煙管のけむりの絶えぬうち、ぬしもあちきを思ってくんなましょうが
もし絶えても……絶えても、
けして、けしてそれをほかの女に吸わせないでくんなまし
それだけがあちきの願い、けして違 えてくださいますな
えっと、次に会うまで預けておくけど、他の女に吸わせるなってことは──浮気はするな、ってことだな。俺、そういうの嫌いだし、惚れた女以外いらないって思う性質 だから……。
「わかりました」
そう声に出すと、紅い唇が微笑みの形になり──、もしも違えたならば、あちきは鬼になってしまいんす。それはぬしのお心ひとつ。お心ひとつであちきは鬼にも仏にもなりましょう、そう言って……。
「あ、あれ?」
気がついたら、俺、ぼうっと煙管持って座ってた。向かいには胡散臭い笑みを浮かべた真久部さんがいて、黙って煙草盆の灰吹きを示してくる。周囲を取り巻くように、ふわふわと薄い煙草の煙。
「え?」
俺、煙管吸ってたの? ──今の今まで気づかなかったけど、口の中に確かに煙草の苦味。刻み煙草のせいか、普通の煙草よりなんとなくマイルドだけども。
「ほら、灰吹きに火皿を伏せて、雁首を指にぽんぽんと」
言われるままに軽く叩くと、火皿から灰が落ちた。水を入れてあるのか、じゅっと小さな音がする。
「お疲れさまです」
口直しに、お茶をどうぞと勧めてくれて、手入れは熱いうちがいいんですよね、と言いながら、手製らしき紙縒 りで煙管を掃除し始めた。
「真久部さん……」
「んー……何ですか、何でも屋さん」
「今の、何ですか?」
新しく淹れなおしてくれたらしい煎茶に手を出す気にもなれず、俺はまだどこか呆然としながらたずねていた。
「あー、会えました? 彼女に」
「……」
「わかったでしょう、女性が使えない、使ってはいけない理由が」
真久部さんも、この煙管吸ってるあいだ彼女と逢ってたんだ。それが納得できて、俺はうなずくしかなかった。
「彼女からこれを預かった男は、その後どうしたのやら。二度と逢わない逢えなかったにしろ、死ぬまでこれを大切にしていれば、彼女も鬼女にならずに済んだものを……」
怖がらずにいるなんて無理。
「害が無くても怖いですか?」
「そりゃ……」
いわく因縁、知らなきゃ綺麗な煙管だね、で済むけど、知ったらその美しさすら禍々しく……。
「知らぬが仏、ってね」
そんな言葉を吐いたあと、代わりのように紅茶を啜る。澄ました顔が、憎ったらしい……!
「真久部さんが勝手に教えてるんじゃないですか! だいたい、どうしてこの煙管をたまには使ってやらないといけないのか、そこ、まだ聞いてません、」
よ、と言った瞬間、真久部さんがニッと笑った。う、俺の馬鹿。何で自ら地雷を踏みに──!
「それはねぇ、何でも屋さん」
真久部さんが煙草盆からひょい、と煙管をつまみ上げ、ちょっとこの
──お大尽、一服のみなんし
鈴を振るようなきれいな声が聞こえた。高すぎず、低すぎずの心地よい声。お大尽って金持ちのことだっけ? どこにお大尽が。それより、ここに女の人いたっけ?
ふと気づくと、目の前に綺麗な女の人の横顔。明かりが心もとないのに綺麗だとわかるのは、その鼻筋がすっと通り、額から口元、顎までのラインを美しくなぞっているから。
──よう来なました、今度はいつ来てくんなます
へ? よく来てくれました、今度はいつ来てくれますか、って言ってる? いや、こんなところ、って、薄暗いからよくわからないけど、彼女の着ている金襴銀襴のきらびやかな着物は見える。他はうっすらおぼろで、いつどうやって来たかわからないところへは──。
「すみません、たぶんもう来れないと思います」
──それなら今宵の約束に、これをあちきと思うて大事に持っていてくださいまし
白くて細い指で煙管を手渡された。うっかり受け取ってしまう。身体を斜交いに、顔をこちらに見せぬままだった彼女がこちらを向き、赤い紅を引いた唇が動いて……。
──つぎに来なましたときに、あちきに返してくんなまし。それがぬしとあちきとの約束
「え? でも」
俺、煙管はやらないし、持っててもどうしていいのか……。
──持っていてくださいましな、源平藤橘四姓に枕を交わすこの卑しい身を
一筋に思おてくれたぬしの情けがあるとおもえば、それだけであちきは仕合せでありんす
「……」
──ただ、ようござんすか
「は、はあ……」
──ぬしの身の慌しいのは、あちきも承知しておりんす。またの逢瀬もいつになるやら……
煙管のけむりの絶えぬうち、ぬしもあちきを思ってくんなましょうが
もし絶えても……絶えても、
けして、けしてそれをほかの女に吸わせないでくんなまし
それだけがあちきの願い、けして
えっと、次に会うまで預けておくけど、他の女に吸わせるなってことは──浮気はするな、ってことだな。俺、そういうの嫌いだし、惚れた女以外いらないって思う
「わかりました」
そう声に出すと、紅い唇が微笑みの形になり──、もしも違えたならば、あちきは鬼になってしまいんす。それはぬしのお心ひとつ。お心ひとつであちきは鬼にも仏にもなりましょう、そう言って……。
「あ、あれ?」
気がついたら、俺、ぼうっと煙管持って座ってた。向かいには胡散臭い笑みを浮かべた真久部さんがいて、黙って煙草盆の灰吹きを示してくる。周囲を取り巻くように、ふわふわと薄い煙草の煙。
「え?」
俺、煙管吸ってたの? ──今の今まで気づかなかったけど、口の中に確かに煙草の苦味。刻み煙草のせいか、普通の煙草よりなんとなくマイルドだけども。
「ほら、灰吹きに火皿を伏せて、雁首を指にぽんぽんと」
言われるままに軽く叩くと、火皿から灰が落ちた。水を入れてあるのか、じゅっと小さな音がする。
「お疲れさまです」
口直しに、お茶をどうぞと勧めてくれて、手入れは熱いうちがいいんですよね、と言いながら、手製らしき
「真久部さん……」
「んー……何ですか、何でも屋さん」
「今の、何ですか?」
新しく淹れなおしてくれたらしい煎茶に手を出す気にもなれず、俺はまだどこか呆然としながらたずねていた。
「あー、会えました? 彼女に」
「……」
「わかったでしょう、女性が使えない、使ってはいけない理由が」
真久部さんも、この煙管吸ってるあいだ彼女と逢ってたんだ。それが納得できて、俺はうなずくしかなかった。
「彼女からこれを預かった男は、その後どうしたのやら。二度と逢わない逢えなかったにしろ、死ぬまでこれを大切にしていれば、彼女も鬼女にならずに済んだものを……」