第133話   鳴神月の護り刀 2

文字数 2,296文字

驚いて見つめていると、銀の鞘に彫られた麒麟? と眼が合った、ような気がする。いや、気のせい、気のせい。今は猫を救出しなきゃ。今日は他に持ってる刃物といえば、裁縫道具の中の糸切り鋏くらいしか無いはずだし……え? ソーイングセットはいつもポーチの中に入ってるよ。何でも屋の七つ道具のひとつだもん。

「こら、お野良。暴れるなって。な?」

とにかく今は緊急事態だし、考えるのは後でいい。紐を切るための得物があってラッキーだ。唸りながらうごうご身もだえする猫をなだめながら、肥後守(ひごのかみ)のチキリに親指を掛けて刃を開く。薄い雲間ごしの太陽に、波のような刃紋がきらりと光る。──やっぱりすごく切れそうだよな、これ……。

「みぎゃあ! んなぁ」
「わかったから。今助けてやるから。こら、噛もうとするなってば」

弱りつつも暴れる猫の爪と牙をかわしつつ、なんとか背中側の紐を切る。どうなってるんだ、これ。もう一ヶ所切らないとダメみたいだ、西瓜を持ち運ぶ網みたいになってる。っとにもう、何やってんだ、こいつは。一人亀甲縛りか。マニアックなやつめ。

ぶつぶつ言いながらも猫を押さえることに成功し、今度は顎の下あたりの紐を狙う。鋭い刃先で猫を傷つけないように、細心の注意を払う。

「ここさえ切れば……よし!」

ぷつん、と小気味のいい音を立てて紐が切れると、ようやく自由になった猫がするんと身をかわし、一目散に逃げていく。駐車場の向かいの家と家の隙間に消えたその後姿を見送って、俺はほっと息をついた。だいぶ弱ってるように見えたけど、あれだけ走る元気があるなら大丈夫だろう。

それはいいんだけど。

「……」

手元に残った紐の残骸。と、怪しい肥後守。──とりあえず、このぎらついてる刃は仕舞おう。あまりにもよく切れそうで怖い。ってか、俺、昨日これで指切っちゃったんだよなぁ。痛みも感じないほどするっと……。

ぶるっと背中が震えた。

「──真久部さんに連絡するか……」

慈恩堂から勝手に持ち出したなんて思われないだろけど、こういうのは早いほうがいい。畳んだ肥後守をポーチに突っ込むついでに、常備しているコンビニ袋を広げて紐の残骸を放り込み、さて携帯を取り出そう、というところで、ん? 向こうから来るのは警邏中のお巡りさん。

「こんにちは!」

笑顔で挨拶。地域密着型の何でも屋としては、こういう顔つなぎは大事。小さい子供の塾の送り迎えなんかもやってるから、近所の交番にもマメに顔出してるけど。

「こんにちは。ところで、ここで何をされてるんですか?」

自転車を止めて、顔はにこやかだけど眼は笑ってないお巡りさん──あ、この人初対面だ。新しく配属されたのかな。って。顔見知りのお巡りさんなら、俺があっちの家の庭でごそごそ草むしり、こっちの空き地で家出猫探ししてても、「あ、何でも屋さんが仕事してるんだな」でスルーなんだけど、新顔さんは……。まずは説明だ。

「いえ、さっきね、この紐でがんじがらめになってた野良猫を救出したところで……」

俺はコンビニ袋の中身を見せた。お巡りさんの眼つきが変わる。

「ほうほう、登山用ロープですか。なんでそんなもので猫が?」

「さあ。遊んでいるうちに絡んじゃったんじゃないのかなぁ」

「で、その猫は?」

疑われてる? 俺、なんか疑われてる?

「猫は、紐が切れたとたんに逃げていきました。野良猫みたいだったし」

首輪してなかったし、薄汚れてたし。

「ふーん。逆じゃないでしょうね?」

「逆って?」

「そう、捕まえようとして、逃げられたとか?」

たまにいますからねぇ、野良猫を捕まえて虐待する人。そんなことを言って、鋭い眼で俺を見据える。

「えっと、お仕事は何を?」

自転車のスタンドを立てて、完全に職質モードだ。──そりゃ、そうだよな。働き盛りの成人男性が昼日中、こんな人気のない場所であちこち切断された登山用ロープ持って佇んでたら……。でも、頑張って説明する。

「何でも屋です」

「何でも屋ぁ?」

不審そうに語尾が上がる。

「犬の散歩とか、草むしり、樋掃除、買い物代行とか、家事のちょっとしたお手伝いや、子供の塾の送り迎え──」

「子供ね。ちょっとそのウエストポーチの中、見せていただけますか?」

良かった! 今日はミニ工具入れてない、って! そんなもんより、なんでか入ってたあの肥後守だよ、肥後守。少年たちの必須アイテムだったのも、今は昔。チキリ押さえてないと刃を使えない肥後守でも、正当な理由無しに所持していたら、我々は引っ張らないといけないんですよって、前に顔見知りのお巡りさんが教えてくれた。だから刃物の持ち歩きには気をつけてくださいよ、って。

あー、この怪しい肥後守って、刃渡り何センチだったっけ……明治時代の鍛造品って、真久部さん言ってたな。見るからに切れそうな、いわばミニチュア日本刀な刃だもんなぁ……。

これは「ちょっと署まで来てもらえますか」なパターンかな。俺、今までそんなんで警察のお世話になったこと無いんだけどなぁ……。むしろ、当て逃げの車のナンバープレートを通報したり、襲われてた人を助けたり、乾燥大麻の発見に貢献したり……。

はあ。溜息が出る。

俺はポーチを外し、新人お巡りさんに渡した。こんなことになったうかつさを、警察官だった今は亡き弟に心の中で謝る。交番に行けばたぶん顔見知りのお巡りさんがいるはずだから、身元は保証してもらえると思うんだけど。

くうっ! 変な麒麟の肥後守め!
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