第43話 藤の蔓 前編

文字数 2,674文字

今日は海の日にふさわしく、素晴らしい晴天だ。昨日も晴れてたし、明日も同じくらい晴れるだろうけど。

で、俺は今、お寺の境内。海の日とはいっさい関係なく、土と仲良くしながら草むしりに励んでる。何でも、近々この寺で檀家の五十年忌を営むらしく、当日に向けて、普段は放っておくようなところにも手を入れることにしたという。

それにしても、あっち~! ちょっと休憩。緑の葉が涼しい屋根を作ってる藤棚の影に座り、ぼーっとしながら持参の塩麦茶を飲む。あー、風が通って涼しい。

「ご苦労様です」

声に振り向くと、縁側に住職が立ってた。朝のお勤めが終わったのか。どうりで、いつの間にか読経の声が聞こえなくなっていた。

「いえいえ。お仕事ご依頼ありがとうございます。今、ちょっと休憩させてもらってます」

営業スマイルでにっこり笑うと、住職も「そうですか」とにこり、笑みを返してくれた。

「頑張ってくださってますね。よかったら、こちらへ来て、茶菓子はいかがですかな。よく冷えた葛饅頭がありまして」

「ありがとうございます! 実は甘いもの食べたいなー、なんて思ってたんですよ」

俺は喜んでおよばれすることにした。言われるまま、散水用の蛇口で手を洗い、縁側に座らせてもらう。

「美味しいですね、これ」

世辞ではなく、本心からそう言った。つるっと冷たく、ほどよい噛み心地の葛の中に、上品な甘さの漉し餡。

「何個でもいけそうです!」

そんな俺を、住職は孫でも見るみたいに目を細めて見てる。

「それは良かった。美味しいと思う時が食べ時ですから、たんとおあがりなさい」

「ありがとうございます!」

涼しい縁側で、暖かいお茶と美味い生菓子。至福のひと時だ。すすめ上手の住職に甘え、つい三つも食べてしまった。おお、何だか力が湧いてきたぞ。

礼を言って、仕事に戻ろうとした時だった。遠くから車のエンジン音が近づいてきたかと思ったら、ブレーキを軋ませてお寺の前で急停止。何だろう、と思っている間に大きく開かれた門から年配の男性が走りこんできた。

「あ、あの、あの……!」

男性は肩で息をしている。すぐには言葉が出てこないようだ。明らかに只事ではなさそうな状況なのに、住職は少しも慌ててはいない。

「もしかして、藤の蔓ですか?」

おっとりと掛けられた言葉に、男性はこくこくと頷いている。

「それでは、少しお待ちなさい。すぐに一枝切りましょう」

俺には何のことか分からないが、ふたりの間では話が通じているようだ。

藤の蔓が、一体何だっていうんだ?

わけが分からなくてぼんやりしているうちに、住職から藤の蔓を切ってもらった男性が、韋駄天のように境内を駆け抜けて行った。すぐに車のエンジン音が聞こえる。

 ヴォン、ヴォン、ヴォー、ヴロロロロ
 キュキュッ!
 ヴ、ヴォーン、ヴォー………………

遠ざかる、F1みたいなエンジン音。何をあんなに慌ててるんだろう。事故らなきゃいいけど……。

「大丈夫でしょう。日頃は安全運転をなさる方です」

俺の心の声が聞こえたかのように、住職は言った。
日頃は、って。今日はあんまり安全じゃないように思うんだけど。

そんな俺の思いをよそに、住職は園芸用の枝切り鋏を布で丁寧に拭っている。

「この鋏は、こういう時のために縁側の床下に置いてあるんですが、久しぶりの出番でした」

「はぁ……」

やたら慌ててる男性と、藤の蔓と、住職。
──ダメだ。俺にはやっぱりわけが分からない。

「あの……さっきのあの方は、一体どういう……?」

恐る恐る訊ねた俺に、住職は事もなげに答えた。

「葬儀社の社員さんなんですよ」

「……」

そりゃまあ、お寺と葬儀社ってそれなりにつきあいはあるんだろうけど、本日の五十回忌とは関係なさそうだし、藤の蔓との関連性がわからなくてさらにワケワケメ。

「この辺りも人口が増えてきたせいか、火葬場のスケジュールも昔よりシビアになっていますから。時間内に終わらないと後がつかえて困るんでしょう」

ふう、と切なげに息をつく住職。いや、そんな遠い目をされても、俺はどうすれば……。

「通夜の翌日に葬式、その日のうちに荼毘に付して初七日。……仏様も忙しい。きっとジェットコースターにでも乗せられたような感じがするでしょうね」

「はぁ……確かに忙しいでしょうね。おちおち死んでられないっていうか。でも、それと藤の蔓にどんな関係が?」

脈絡なさすぎて、却って気になるというか。

「ああ……」

住職はゆるゆると目を瞬かせた。

「そう、そうですね。今時の人はもうこんなことはご存じないかも知れませんな」

今時っても、俺だってそれなりの年なんだんだけどなぁ。
心の中でそんなことを思いつつ、さらに訊ねてみる。

「えーと、よく分かりませんけど、昔は珍しくはなかったようなことですか?」

俺の問いに、住職は首を振った。

「いえ。昔でもそう頻繁にあるようなことではなかったです。ただ、たまに──ごくごくたまにあったのですよ、火葬にした御遺体がなかなか燃えきらないということが」

「も、燃えきらないって……」

「昔は今と違って、旧式の窯を使って、人が火加減を見ながら焼いておりました。それはやっぱり時間がかかりましてな、専門の人がつききりで、今のように簡単にはいかないものでした」

「はぁ……」

「それでもさすがその道のプロフェッショナルですから、荼毘に付された御遺体は無事お骨になるわけですが、中にはうまくいかない御遺体もあったのですよ」

「それは、その……薪が足りなかったとかでは?」

「いえいえ、それはありません。いつ御遺体が運ばれてくるか分かりませんので、普段から薪は充分用意されていました。専門の人が窯の様子を見ながら薪をくべ、丁寧に焼いていくのですがな、ごくたまに、どれだけ薪を足して火力を強めても、お骨にならない御遺体があるんです」

「お骨にならないって……その、原形を留めて、それ以上変化がないということですか?」

言葉をぼかしつつ(だって怖いじゃないか)、恐る恐る聞いてみると、住職は頷いた。うっ……ここは否定して欲しかったです。

「じゃあ、そういう場合はどう……?」

どう、するんでしょうね。
ダメだ! 想像したくない!

心の裡でぐるぐる苦悩する俺に、さらりと住職は言った。

「ここで藤の蔓を使うんですよ」

ここ、って、どこですか? 住職!
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