第281話 依り代ならば解除せよ
文字数 2,423文字
「ふ、ふーん……」
水無瀬さんと一緒に長持の中に入ってるアイツを見つけたときも、この店で再会して驚いたときも、俺、そんなものには全然気づかなかった。長持のときは、いわくありげな御札の下から出てきたモノに拍子抜けして、二人で顔を見合わせて笑ったことしか覚えてないし、この店では小判猫ともども、あんまりそっち見ないようにしてたし──。
なんて、心の中で言い訳をしていると、僕はねぇ、と両手に持った湯呑みの面を眺めるようにしながら、真久部さんが小さく息を吐く。
「猫八に申しわけないと思ってしまったんだよ。水無瀬家の招き猫を見て、当時猫好きで有名だった彼の作だと気づいたとき。自分の作ったものが、まさかあんなふうに呪物に仕立てられるなんて、猫八は思いもしなかっただろうし……さらに調べてみたら、生身の猫まで贄にされていたこともわかったしね──」
「……」
道具は道具。だけど──と、真久部さんも思ってたんだな。人に愛されるために、人の幸せのために。その形に心をこめて作られたものが、人を呪うための道具に変えられてしまったんだから……考えてみれば、あいつも不憫なやつだよなぁ。
ああ、そうか。だから──。
「だから、真久部さん、あの招き猫を引き取ったんですね」
そう言うと、真久部さんは黙って目を上げ、微笑んでみせる。
「この子、本当は悪い子じゃないんです、みたいな?」
「──何でも屋さんの表現は、いつも面白いねぇ」
楽しそうに、ふふっと笑う。
「でもまあ、概ねそんな感じかな? 愛されて作られたものだしね」
その方向で喩えるなら、悪い仲間に唆された不良少年を更生させる、みたいなことになるかなぁ、なんて首を傾げている。──俺の頭の中で、猫耳老婆がトンボを切って、目つきの悪い不良少年に変身した。もちろん猫耳は隠れていない。
「呪物としての力は家神様に封印され、負わされた役目から結果的に解放されたとはいえ、放置すればまた魚ものを集めて力をつけて、名前を書かれた人 に害をなすからねぇ」
「そうですね……」
家神様と一緒にあの招き猫の力を削ぎ、それ以上悪さができないように懲らしめた水無瀬さんの叔父さんは、「家宝の皿を使って招き猫を長持に封印するように」とだけ言い残し、出征して行った。お祖父さんは指示を守り、お父さんは蔵ごと全てを嫌悪して、その後は中に入ることすらしなかった。
「六十年以上ずっと、皿を通して家神様に見張られていたんです、だいぶん温和しくなったようですよ。ただ、体内に呪いの依り代、つまり<対象者の名前>を残したままではずっと悪 い 子 モードなので、真っ先にそれを取り払ったわけです」
「……」
アレ が悪いものだというのはわかっても、どういうふうに悪いのかまでは当時はわからなかったもんな。だから丸ごと封印するのが一番安全だったんだんだろう。真久部さんが調べるまで、呪いの仕 組 み がどうなってるのかわからなかったわけだから──。
「でも、それで一気に良い子になるわけじゃないですよね……?」
呪物だったんだし。
「まあねぇ」
真久部さんは苦笑する。
「紙に書かれた水無瀬さんの名前を取り払うことによって、ターゲットのリセットをしたわけですが、それは的を失ったということ。下手をすれば、それは無差別の呪いの元になってしまう可能性もありました」
ある意味、呪物としての進化を促す結果になったかも、なんてことを言う。
「し、進化……?」
猫の進化といえば、やっぱり猫又に化け猫……いやいや、招き猫は本物の猫じゃないし! てなこと考えてる俺の頭の中を見透かすように、「かといって、なにも猫の妖怪になるわけではありませんよ?」と首を傾げてみせるその目は笑ってる。──俺ってそんなにわかりやすいかな……。
ちょっとやさぐれた気分でお茶を啜っていると、しれっと真久部さんは続ける。
「進化というか、迷走が近いかもしれないね。道に迷った人が街中を走り回って目的地を探すように、失われた目標を探し求めた結果、運悪くぶつかった人を呪いに巻き込む──」
「そんな……! 止めることはできないんですか?」
「次の名前 を与えればねぇ、迷走は止まりますけど」
個人を呪われても困るし、無差別に呪われても困る。いずれにせよ質が悪いですよねぇ──そう言ってにったり唇の両端を吊り上げてみせる、地味だけど、こういうときは派手に怪しい男前。
「……」
俺は震えあがってしまった。次の名前云々は、この人のいつもの思わせぶりなただのブラックジョークだとわかってるからいい。
だけど、無差別の呪いと言われると、つい連想してしまうこのあいだ観たばかりのホラー映画のカヤコ。それは袖すり合うも他生の縁レベルでしかかかわってない人たちを、次々呪い殺す理不尽な怨霊……。まだ「ビデオを見る」というスイッチが必要なサダコのほうがマシに思えるレベル。
「そんな顔しなくても、大丈夫ですよ何でも屋さん。アレがため込んで増幅していた悪意のエネルギーは、アレを呪物にした張本人に返 さ れ て しまったし、喰われていた魚たちも家神様に救い出されたのは知ってるでしょ? ただ、呪いのターゲットを失わせただけだと、またいらぬものを集めて力をつけてしまうから、さらなる処置が必要だったというだけのことなんだよ。──もう一度封印するのもかわいそうだし、問題解決にならないし」
店 に迎え入れるにしても、さすがにあのままではねぇ、と一応困ったようなポーズは装っている。
「いやあ、はは……でも、処置っていうと……?」
カヤコの説明をする気にならなかったし(口に出して言うのも怖い!)、もう先を聞きたくなかったけど、ここまで聞いたら最後まで聞いておかないと却って不安になってしまう。
「あまり詳しくは言えませんけれど、例の木釘と台座だけは念入りに供養してもらいました」
そこだけは真面目に、真久部さん。
「ああ……」
猫の血に浸して作ったという、あの真っ黒な木釘と、それが打ち付けられていたという台座かぁ……。
水無瀬さんと一緒に長持の中に入ってるアイツを見つけたときも、この店で再会して驚いたときも、俺、そんなものには全然気づかなかった。長持のときは、いわくありげな御札の下から出てきたモノに拍子抜けして、二人で顔を見合わせて笑ったことしか覚えてないし、この店では小判猫ともども、あんまりそっち見ないようにしてたし──。
なんて、心の中で言い訳をしていると、僕はねぇ、と両手に持った湯呑みの面を眺めるようにしながら、真久部さんが小さく息を吐く。
「猫八に申しわけないと思ってしまったんだよ。水無瀬家の招き猫を見て、当時猫好きで有名だった彼の作だと気づいたとき。自分の作ったものが、まさかあんなふうに呪物に仕立てられるなんて、猫八は思いもしなかっただろうし……さらに調べてみたら、生身の猫まで贄にされていたこともわかったしね──」
「……」
道具は道具。だけど──と、真久部さんも思ってたんだな。人に愛されるために、人の幸せのために。その形に心をこめて作られたものが、人を呪うための道具に変えられてしまったんだから……考えてみれば、あいつも不憫なやつだよなぁ。
ああ、そうか。だから──。
「だから、真久部さん、あの招き猫を引き取ったんですね」
そう言うと、真久部さんは黙って目を上げ、微笑んでみせる。
「この子、本当は悪い子じゃないんです、みたいな?」
「──何でも屋さんの表現は、いつも面白いねぇ」
楽しそうに、ふふっと笑う。
「でもまあ、概ねそんな感じかな? 愛されて作られたものだしね」
その方向で喩えるなら、悪い仲間に唆された不良少年を更生させる、みたいなことになるかなぁ、なんて首を傾げている。──俺の頭の中で、猫耳老婆がトンボを切って、目つきの悪い不良少年に変身した。もちろん猫耳は隠れていない。
「呪物としての力は家神様に封印され、負わされた役目から結果的に解放されたとはいえ、放置すればまた魚ものを集めて力をつけて、
「そうですね……」
家神様と一緒にあの招き猫の力を削ぎ、それ以上悪さができないように懲らしめた水無瀬さんの叔父さんは、「家宝の皿を使って招き猫を長持に封印するように」とだけ言い残し、出征して行った。お祖父さんは指示を守り、お父さんは蔵ごと全てを嫌悪して、その後は中に入ることすらしなかった。
「六十年以上ずっと、皿を通して家神様に見張られていたんです、だいぶん温和しくなったようですよ。ただ、体内に呪いの依り代、つまり<対象者の名前>を残したままではずっと
「……」
「でも、それで一気に良い子になるわけじゃないですよね……?」
呪物だったんだし。
「まあねぇ」
真久部さんは苦笑する。
「紙に書かれた水無瀬さんの名前を取り払うことによって、ターゲットのリセットをしたわけですが、それは的を失ったということ。下手をすれば、それは無差別の呪いの元になってしまう可能性もありました」
ある意味、呪物としての進化を促す結果になったかも、なんてことを言う。
「し、進化……?」
猫の進化といえば、やっぱり猫又に化け猫……いやいや、招き猫は本物の猫じゃないし! てなこと考えてる俺の頭の中を見透かすように、「かといって、なにも猫の妖怪になるわけではありませんよ?」と首を傾げてみせるその目は笑ってる。──俺ってそんなにわかりやすいかな……。
ちょっとやさぐれた気分でお茶を啜っていると、しれっと真久部さんは続ける。
「進化というか、迷走が近いかもしれないね。道に迷った人が街中を走り回って目的地を探すように、失われた目標を探し求めた結果、運悪くぶつかった人を呪いに巻き込む──」
「そんな……! 止めることはできないんですか?」
「次の
個人を呪われても困るし、無差別に呪われても困る。いずれにせよ質が悪いですよねぇ──そう言ってにったり唇の両端を吊り上げてみせる、地味だけど、こういうときは派手に怪しい男前。
「……」
俺は震えあがってしまった。次の名前云々は、この人のいつもの思わせぶりなただのブラックジョークだとわかってるからいい。
だけど、無差別の呪いと言われると、つい連想してしまうこのあいだ観たばかりのホラー映画のカヤコ。それは袖すり合うも他生の縁レベルでしかかかわってない人たちを、次々呪い殺す理不尽な怨霊……。まだ「ビデオを見る」というスイッチが必要なサダコのほうがマシに思えるレベル。
「そんな顔しなくても、大丈夫ですよ何でも屋さん。アレがため込んで増幅していた悪意のエネルギーは、アレを呪物にした張本人に
「いやあ、はは……でも、処置っていうと……?」
カヤコの説明をする気にならなかったし(口に出して言うのも怖い!)、もう先を聞きたくなかったけど、ここまで聞いたら最後まで聞いておかないと却って不安になってしまう。
「あまり詳しくは言えませんけれど、例の木釘と台座だけは念入りに供養してもらいました」
そこだけは真面目に、真久部さん。
「ああ……」
猫の血に浸して作ったという、あの真っ黒な木釘と、それが打ち付けられていたという台座かぁ……。