第79話 秋の夜長のお月さま 17 終
文字数 2,488文字
「どうでしょう?」
店主は首を傾げた。
「あれはどちらかというと構ってもらいたがりというか、寂しがりというか。萱野さんは床の間に置いて日々眺めたいということですから、ちょうどいいと思うんですよ。あれは竜だ、竜なんだ、と本気で信じていなくても、そうだったらいいな、と思いながら見るでしょう? それがいいんですよ、あれにとっては。竜は日本ではやっぱり幻獣というよりは神様ですから、自然と畏敬の念も湧いてくるでしょうし」
「そういうものなんですか……」
「あれも自尊心が擽られて、気持ちいいと思いますよ。そしてやはりそのように成ろう、とするはずです。そんなふうに思って崇めてくれるならば、護ってやろうじゃないか、と。世話してくれる萱野さんと、萱野さんのお宅のある一帯を守護してくれるようになるでしょう。何しろ、きみが思ったのは“あの辺りを守護する竜神様”なんですから」
持ちつ持たれつ、共生していくことが出来るでしょう、と店主は結論づけた。
「人を誑かす付喪神も、崇め奉れば有難い神様になってくれる。我々は本当にいい国に生まれましたよね」
にっこり笑う。
「その代わり、逆をやったらとても怖いことになりますがね──」
「……」
いつもの読めない笑顔が復活して、安心するより不安になっちゃったよ、店主。その逆のやり方ってやつも知ってるって? いや、そんなの俺に語ってくれなくていいから、ホント!
そう言ったら、「それでこそ何でも屋さん」と莞爾と微笑まれた。何でだ!
……帰りに、小腹のすいたときのおやつにどうぞ、ともらったブルーベリーマフィンは、やっぱり美味かった。実は店主のお手製と聞いて、それに一番びっくりした。
薄日差す白と水色のマーブル模様の空の下、手妻地蔵様は昔の街道沿いにちんまりと佇んでいた。
街道といっても、車が辛うじて対向出来る程度。片側は低い丘で藪に覆われており、反対側は雑木林だ。新しい道が出来てから、ここを通る人はめっきり減ってしまったらしい。バス道からも逸れてるしな。
今日の俺の仕事は、手妻地蔵様の清掃。ありがたいことに、真久部さんが依頼してくれたんだ。臨時店員を護ってもらったお礼だって──何でも屋として、品物を運ぶ仕事を請けただけであって、臨時にしても店員じゃないよ、真久部さん……あの慈恩堂の店員て……おおう、背中がぞくぞくと……。だけどまあ、俺もお礼に来たかったし。今回はそれでいいことにしておこう、うん。真久部さんに感謝。
あれからもう一週間も経ったんだよなぁ。今思い出すと夢の中のことのように思える。っていうか、そう思っておいたほうが精神衛生上いいような。
作業を始める前にご挨拶で手を合わせたあと、手妻地蔵様の前に、持ってきた折り畳み椅子を置いて、その上に元義弟の智晴から借りてきたタブレットをセット。恐々ながら操作して、動画を再生。
最初はフレッド・アステアのタップダンスか──。
これは、手妻地蔵様へのお礼。俺自身は踊りを知らないので、踊りの映像を見てもらったらいいかな、と思ったんだ。ありがたや文明の利器。自分で踊らない代わりに、心をこめてお掃除させていただこう。
西洋の踊りも珍しかろうと、智晴に頼んで色んなダンスの動画を編集してもらったんだけど……うーん、アステアのタップ凄い。お? 次はマイケル・ジャクソンか。智治のセンス、謎。
周囲の草や落ち葉を除いたあと、手箒やら刷毛やらを使って泥砂汚れを落とし、ペットボトルに入れてきた水を新品のタオルに含ませて拭き上げる。仕上げに乾いたタオルで水気を取って、乾くのを待つ間に、あの夜俺が日本酒を注いだ石の茶碗もきれいにする。持ってきた花入れもセットして、と。
タブレットの中のダンスは、ジャズダンスにブレイクダンス……ぐるぐるっと背中で回ったり頭で回ったり……禿げないか、あれ? 映画で見た女性ダンサーの軽快かつ確かな芯のある踊りに、最後は手足の動きが優美なモダン・バレエ。ボレロの曲に乗って踊るのは、ジョルジュ・ドン。
うーん、圧巻だ。俺もつい見入ってしまった。
ほうっと溜息をつきながら、手妻地蔵様に一礼してタブレットと折り畳み椅子を片付け、荷物の中から赤い涎掛けを出す。真久部さんの手作りらしい。さすがだ、慈恩堂店主。
涎掛けを着けさせてもらって、茶碗に酒を注ぎ、花と線香を供えて、合掌。
「……」
助けてもらった感謝と、これからの道の安全も願う。もうあの<悪いモノ>は出ないのかもしれないけど、ずっとこの辺りを護ってきてくださったお地蔵様だし。
お助けくださって、ありがとうございます。
お地蔵様の手妻、本当に見事でした。
よし。このあとは萱野さんちにお邪魔して、あの自在置物にもお礼をしに行くんだ。運んだ時は梱包してあったから実物は見たこと無いんだけど、きっとすごい置物なんだろうなぁ……。あの銀色の竜、カッコ良くて本当にきれいだったな。でも、月光の湖を、鯉の姿ですいすい泳いでる姿もきれいだった。鯉の滝登りかぁ……。あの夜俺は、夢か現か、あるかないかなものを垣間見たんだな。
そんな稀な竜になれなくてもいいから、俺は俺で頑張ろうと思う。金魚でも鮒でもメダカでも。亡き弟は、兄さんはマンボウみたいに運がいいって言ってくれたっけ。お地蔵様と竜に護ってもらえたなんて、確かに滅多にない幸運だ。
今、生きてここに在る。そのことが何だかとてつもなく有難く思えてきて、しみじみと空を見、地面を見た俺は、ふと誰にともなく呟いていた。
──ありがとうございます。
その地方では、月の良い晩になると、空に竜が舞うのだという。友達のお地蔵様を乗せて、天と地を縫うように、それはそれは楽しげに舞い踊るのだそうだ。
とある街道に古くからあるお地蔵様にお参りすると、踊りが上手くなるのだという。寂れた道端でひっそりとそのまま忘れ去られそうだったお地蔵様には、今では花が絶えないのだということだ。
店主は首を傾げた。
「あれはどちらかというと構ってもらいたがりというか、寂しがりというか。萱野さんは床の間に置いて日々眺めたいということですから、ちょうどいいと思うんですよ。あれは竜だ、竜なんだ、と本気で信じていなくても、そうだったらいいな、と思いながら見るでしょう? それがいいんですよ、あれにとっては。竜は日本ではやっぱり幻獣というよりは神様ですから、自然と畏敬の念も湧いてくるでしょうし」
「そういうものなんですか……」
「あれも自尊心が擽られて、気持ちいいと思いますよ。そしてやはりそのように成ろう、とするはずです。そんなふうに思って崇めてくれるならば、護ってやろうじゃないか、と。世話してくれる萱野さんと、萱野さんのお宅のある一帯を守護してくれるようになるでしょう。何しろ、きみが思ったのは“あの辺りを守護する竜神様”なんですから」
持ちつ持たれつ、共生していくことが出来るでしょう、と店主は結論づけた。
「人を誑かす付喪神も、崇め奉れば有難い神様になってくれる。我々は本当にいい国に生まれましたよね」
にっこり笑う。
「その代わり、逆をやったらとても怖いことになりますがね──」
「……」
いつもの読めない笑顔が復活して、安心するより不安になっちゃったよ、店主。その逆のやり方ってやつも知ってるって? いや、そんなの俺に語ってくれなくていいから、ホント!
そう言ったら、「それでこそ何でも屋さん」と莞爾と微笑まれた。何でだ!
……帰りに、小腹のすいたときのおやつにどうぞ、ともらったブルーベリーマフィンは、やっぱり美味かった。実は店主のお手製と聞いて、それに一番びっくりした。
薄日差す白と水色のマーブル模様の空の下、手妻地蔵様は昔の街道沿いにちんまりと佇んでいた。
街道といっても、車が辛うじて対向出来る程度。片側は低い丘で藪に覆われており、反対側は雑木林だ。新しい道が出来てから、ここを通る人はめっきり減ってしまったらしい。バス道からも逸れてるしな。
今日の俺の仕事は、手妻地蔵様の清掃。ありがたいことに、真久部さんが依頼してくれたんだ。臨時店員を護ってもらったお礼だって──何でも屋として、品物を運ぶ仕事を請けただけであって、臨時にしても店員じゃないよ、真久部さん……あの慈恩堂の店員て……おおう、背中がぞくぞくと……。だけどまあ、俺もお礼に来たかったし。今回はそれでいいことにしておこう、うん。真久部さんに感謝。
あれからもう一週間も経ったんだよなぁ。今思い出すと夢の中のことのように思える。っていうか、そう思っておいたほうが精神衛生上いいような。
作業を始める前にご挨拶で手を合わせたあと、手妻地蔵様の前に、持ってきた折り畳み椅子を置いて、その上に元義弟の智晴から借りてきたタブレットをセット。恐々ながら操作して、動画を再生。
最初はフレッド・アステアのタップダンスか──。
これは、手妻地蔵様へのお礼。俺自身は踊りを知らないので、踊りの映像を見てもらったらいいかな、と思ったんだ。ありがたや文明の利器。自分で踊らない代わりに、心をこめてお掃除させていただこう。
西洋の踊りも珍しかろうと、智晴に頼んで色んなダンスの動画を編集してもらったんだけど……うーん、アステアのタップ凄い。お? 次はマイケル・ジャクソンか。智治のセンス、謎。
周囲の草や落ち葉を除いたあと、手箒やら刷毛やらを使って泥砂汚れを落とし、ペットボトルに入れてきた水を新品のタオルに含ませて拭き上げる。仕上げに乾いたタオルで水気を取って、乾くのを待つ間に、あの夜俺が日本酒を注いだ石の茶碗もきれいにする。持ってきた花入れもセットして、と。
タブレットの中のダンスは、ジャズダンスにブレイクダンス……ぐるぐるっと背中で回ったり頭で回ったり……禿げないか、あれ? 映画で見た女性ダンサーの軽快かつ確かな芯のある踊りに、最後は手足の動きが優美なモダン・バレエ。ボレロの曲に乗って踊るのは、ジョルジュ・ドン。
うーん、圧巻だ。俺もつい見入ってしまった。
ほうっと溜息をつきながら、手妻地蔵様に一礼してタブレットと折り畳み椅子を片付け、荷物の中から赤い涎掛けを出す。真久部さんの手作りらしい。さすがだ、慈恩堂店主。
涎掛けを着けさせてもらって、茶碗に酒を注ぎ、花と線香を供えて、合掌。
「……」
助けてもらった感謝と、これからの道の安全も願う。もうあの<悪いモノ>は出ないのかもしれないけど、ずっとこの辺りを護ってきてくださったお地蔵様だし。
お助けくださって、ありがとうございます。
お地蔵様の手妻、本当に見事でした。
よし。このあとは萱野さんちにお邪魔して、あの自在置物にもお礼をしに行くんだ。運んだ時は梱包してあったから実物は見たこと無いんだけど、きっとすごい置物なんだろうなぁ……。あの銀色の竜、カッコ良くて本当にきれいだったな。でも、月光の湖を、鯉の姿ですいすい泳いでる姿もきれいだった。鯉の滝登りかぁ……。あの夜俺は、夢か現か、あるかないかなものを垣間見たんだな。
そんな稀な竜になれなくてもいいから、俺は俺で頑張ろうと思う。金魚でも鮒でもメダカでも。亡き弟は、兄さんはマンボウみたいに運がいいって言ってくれたっけ。お地蔵様と竜に護ってもらえたなんて、確かに滅多にない幸運だ。
今、生きてここに在る。そのことが何だかとてつもなく有難く思えてきて、しみじみと空を見、地面を見た俺は、ふと誰にともなく呟いていた。
──ありがとうございます。
その地方では、月の良い晩になると、空に竜が舞うのだという。友達のお地蔵様を乗せて、天と地を縫うように、それはそれは楽しげに舞い踊るのだそうだ。
とある街道に古くからあるお地蔵様にお参りすると、踊りが上手くなるのだという。寂れた道端でひっそりとそのまま忘れ去られそうだったお地蔵様には、今では花が絶えないのだということだ。