第349話 番外編 猫の霊媒師 後編

文字数 2,526文字

王直々に手ほどきされ、吾も人の姿に化けることができるようになった。鍋島のや有馬のは、血を啜ったり、食い殺したりした人間に化けるのが一番楽だと語り合っていたが、吾は人のイタコに師事した猫だからか、そういったものは必要ではなかった。……ああ、だが、吾の飼い主は円満に寿命を全うしたが、鍋島のや有馬のの飼い主は、非業の死を遂げたのだ。それゆえ、あれらはその無念を晴らすのに一心であったのであろう。

吾は男にでも女にでも、好きに化けることができる。だが、好んで化けるのは、吾の飼い主であったあの老イタコである。吾がこの世に生まれて一番尊敬する人間であり、一番慕っている人間である。その姿を留めておきたいと思うのは、感傷というやつであろうか。

立派な猫の嗜みとして、踊りの稽古もあった。手拭いを被り、手振り足上げ艶やかに、あるいは陽気に踊る。吾はこれが上手くなかった。見かねた武蔵の国は戸塚の、醤油屋の猫どのが、根気よく教えてくれた。その踊りは巧みなもので、かつて夜な夜な踊りの宴を開いては、朋輩どもの好評を博していたという。飼い主の醤油屋をも納得させたというのだから、さすがの踊り手といえるであろう。

満月の夜、新月の夜。猫じゃ猫じゃと皆で踊ったものだが、時折飛び入りで輪に入る、阿波のお松大権現様の三毛猫殿は、見事な踊り手であった。聞けば、時折お松様に披露して、喜んでいただいているということだ。一匹で踊っていて、踊りが鈍るのを防ぐため、根子岳にきて稽古するのだとか。真面目な御仁である。

そんなこんなで、根子岳での修行も終わった。猫の王からは、猫生(びょうせい)是全て修行である故に、これからも励むが良い、とのお言葉をいただいた。

お山を下りて放浪していると、大きな虎猫と出会った。成りばかり大きな虎猫は、身の程知らずに地域の頭目猫に勝負を挑んでは負けておったが、そのきょうだい猫が吾に寄りついて、弟を諫めてほしいという。頭目猫はきょうだい猫たちの父だというのだ。

吾が虎猫の前に現れると、気の荒い虎猫はすぐ吾に勝負を挑んできた。するりと躱すと悔しがり、また襲い掛かってくる。普通は吾の佇まいなりに何かを感じ、気安く近寄って来ないものだが、この青二才は鈍いようであった。吾がきょうだい猫を寄り付かせると、吾の毛色が変わる。そこで初めて驚いておった。驚き、怯え──失禁しておったな。

そのようにして、寄り付いてきた者の言葉を、生きている者に伝えておった。伝える相手が人の場合、吾の言葉を解してくれた飼い主はもうおらぬので、身体を貸すことにした。

自分や他の猫を残虐に殺害した人間を許せぬと、己のしたことがどういうことか知らしめたいと、強く願う猫も多くいた。吾の身を借りてあれらのなしたことは……まあ、語らなくても良いであろう。満足したあれらは、皆、明るいところに向かったのでな。

放浪するのも飽きたころ、吾はとある町に定住することにした。生垣や公園など、緑が多い。猫からすると隠れやすい場所もそちこちにあって、野良もそれなりにいる。そういうところは、居心地が良い。面白い人間もいるしな。

その人間は、よくあちこちの庭で草むしりなどしており、吾の姿を見ると、人間相手のように声を掛けてきた。ほかの、野良のものたちも、その人間を悪く思ってはいないようだった。

ある夕方のことである。真夏に生まれて、暑い中でも元気に走り回っていた仔猫が、あまり車の来ぬ道に侵入してきた車に当てられ、瀕死になった。母猫も猫の身でどうしようもなく、ただ死にゆく我が子といっしょにいるしかない様子であった。

哀れだが、よくあること。それに吾はただのイタコ猫である。できることなど何もなかった。

そこに、あの面白い人間がやってきた。瀕死の仔猫を見つけると、何か葛藤しておったようだが、母猫に向かって「医者に連れて行く」と律儀に語りかけ、本当に連れていったようだ。それで助かるならばそれで良い、そうでなくても仕方ない。猫の生き死には、人の生き死にと同じだ。生きるべく生き、死ぬべくして死ぬ。

仔猫は助からなかったらしい。何故なら、その魂が吾に寄りついてきたからだ。

──なに? 最期に美味いものを食べ、暖かい寝床で眠れた。ほう、それは良かったな。ついては、恩返しがしたいと。どうやって? ……ふむ、明るいところに行く途中で、たくさんの糸を見たと……あれが見えたのか。其方、素質があったのだな。

ほうほう、あの人間の糸が、事故に巻き込まれる先に繋がっていたと……近い先だとな。なに? そこであの人間は、自分のように、頭を打って動けなくなっていた……そうか。その糸を別の糸に、事故に遭わなかった糸に繋げ替えたいというのだな。ふむ……。もう起こってしまったことは変えられない、けれど、起こる前ならばなんとかなりましょう? ああ、そうだな。

律儀で賢い子だ。吾は時が来れば仔猫に身を貸すと約束した。

それは彼は誰時(かはたれ)の時の端境(はざかい)の、猫も息を潜める禍時であった。空がこんなに赤いのも、常にないことだ。この赤は昼に通じ、夜に通ずる。ああ、恩返しのために未だこの世に留まる仔猫の魂も、安らぐことができるだろう。さて、まず吾があの人間を呼び止めてやろうか。






おお、立派にやり遂げたな。危ないところであったが、ふふ、やはりあの人間は面白い。吾に寄り付いた仔猫を猫又かと言い、そのくせ怖がりもせぬとは。端境の朝焼けも、仔猫に味方するようであったな。仔猫め、あの人間への礼の言葉に添えて、何やらがおいしかったよ! と最後に言うておったが、ちゃ……ちゅーる? とは何であろう。まあ良い、いつか吾もそれに出会うこともあるだろう。

仔猫は、永久の暁と永遠の黄昏の庭に還っていった。薄赤い光に鎖されたあれは参道であり、産道でもある。尊いお方の御座所に参り、御役目を戴いてまたどこかに産まれ出るのだ。吾も話にしか聞いたことがなく、あの庭が開かれるのを見たのは初めて── ん? あの赤い光と、猫心をくすぐるヤツデの葉むら……何か見覚えが……。

まあ、いい。

吾は霊媒師(イタコ)、生者と死者のあいだを仲立ちするもの。此度の仕事はことに上手くいった。お山(恐山)に行った吾の飼い主も、褒めてくれるだろうか。
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