第324話 芒の神様 3
文字数 2,386文字
ん?
「ってことは、あの石は御神体……」
「そういうことになりますねぇ」
にこにこと、真久部さん。
「いや、だけどその」
俺は嫌な汗をかいてしまう。
「普通そういうものを扱うときって、精進潔斎とかしなくちゃいけないんじゃないんですか? 俺、前の晩メシ、ニラ入り餃子……」
一昨日、顧客の笹井さんにもらったんだよ……なんか、彼女にふられたんで、一人餃子パーティしようと、それだけは得意という餃子をひたすら包んで、包んで、包みまくってたら、その彼女からまた連絡があって……ふられたと思ったのは誤解で、えっと、とにかく、彼女のご両親が来ることになったから、ニラ入りの上、ニンニク生姜マシマシの餃子なんて食べられないし、冷蔵庫に入れといても臭いそうってことで、近所に住んでる俺に全部くれたんだ。
美味かったなぁ、餃子。ひたすら焼いて、貪り食って。で、翌日早朝から、今回の仕事を兼ねた慰安旅行(?)に行くのを思い出し、焦って牛乳飲んだり、リンゴ食べたり、ひたすらガム噛んでから何度も歯を磨いたり、長風呂して汗かいたりしたから、特に臭わなかったとは思うんだけど──。
臭い、しませんでした? とおそるおそる聞いてみると、特に気づきませんでしたよ、と真久部さんはあっさり首を振る。
「大丈夫だったんじゃないですか? だって、石を持ち上げられたでしょう? あの石には、自然体の何でも屋さんが良いような気がしたので、僕も今回、特にそういう指示を出さなかったんだよ。きっとそれが正解だったんだと思うなぁ」
気負ってない感じが良かったんじゃないですか、なんて、敢えてのことか、適当っぽいことを言う。
「嫌なら動いてくれなかっただろうしね。あれは、重軽石 みたいなものだったんじゃないかと僕は思ってるんです。叶わない願いか、叶う願いかで重軽なんじゃなくて、自 分 が 気に入らないか、気に入るか、それで決まる感じの」
「は、はぁ……」
そんなんで、いいの……?
「オーナー一族も、ホテル関係者も、僕もだけど。誰もあの石のお眼鏡に叶わなかった。だけど、遠くから呼んだ何でも屋さんだけが、気に入られたのか、気にならなかったのか、とにかく運ぶことができた。それだけで、もうあちらは万々歳。部屋だって、うちで一番いい部屋にお泊り下さい! ってもんですよ」
「……」
作業のあと案内された部屋は、豪奢な設えの角部屋で窓も大きく、そこからの眺めは、屋上から見た絶景と遜色ないくらいだった。紅葉と渓谷、遠くに見えた金色の薄の原。設備もすごくて、びっくりするほど広い内風呂もあった。
いや、本当にびっくりしてたし、心配したんだ。真久部さん奮発しすぎじゃないかなぁ、って。それが、ホテル側の俺に対するお礼だった……?
「食事も、通常とは違ったグレードで、最上級のおもてなし。お相伴に与ったのは僕のほうです。何でも屋さんのお蔭」
だから、僕の懐は痛んでないんですよ、とにっこり笑う。
「そ、それならよかったです。は、ははは……」
なんかもう、笑うしかない。そんな俺の心を知ってか知らずか、古猫のような笑みを浮かべたままの真久部さん、「ああ、お茶をお誘いしたのに、話すばかりですみません」と袱紗に包んであったらしい銘々皿に、小箱から出した生菓子をのせてくれた。
「あ! そのお菓子って、あのホテルの……?」
金箔を飾ったリッチな栗きんとんの姿に、俺の意識がさらわれてしまった。むしろ、積極的にさらわれに行った。石について、もうあんまり考えたくなかった。
「ええ。一階和カフェ併設和菓子屋さんの、秋スペシャル詰め合わせです」
真久部さん、俺の好みなんかすっかりお見通し。
「あの店の! 美味そうだなって思ってたんです。いただきます!」
自分の顔が笑み崩れてるのがわかる。カフェのショーケースの向こうでさ、『とっても美味しいよ!』なオーラ放ってたんだよ。でも、さすが高級ホテルのお店でさ。値段が恐ろしくて、見ないふりしてたんだ。
「──何でも屋さんは、いつも本当に美味しそうに食べるねぇ」
楽しげに言いながら、真久部さんは抹茶を立ててくれる。温めて湯をこぼした茶碗に茶匙一杯の抹茶。そこにお湯を注ぎ、茶筅でまず「の」の字を描いてから、シャシャシャシャシャッっと、おおう、いい感じの泡が。
「どうぞ」
ベンチの上で、す、と差し出され、俺は一礼して見様見真似の作法で茶碗を回し、一服いただいた。
「美味しいです。──やっぱり良い和菓子には、良い抹茶ですよね」
美味しい、しか言葉がないのもアレかなぁ、と思って、もっと気持ちを足してみる。
「こんなところで野点なんて、すごい贅沢気分です! ありがとうございます、慰安旅行に、連れてきていただいて」
そのために重い荷物も持って上がってくれたんだし、ここはしっかり感謝しなくちゃ。贅沢な部屋は今回の依頼主の好意かもしれないけど、俺を、と推薦してくれたのは真久部さんだし、今も確かに慰安されてる。俺、慈恩堂の正式な店員じゃなくてただの何でも屋だけど、もうこれ、慰安旅行でいいや。
「どういたしまして」
地味ながら整った顔の男前が、俺の言葉ににっこりする。外の、こんな爽やかな場所で見るこの人は、案外健康そうに見える。いや、別にいつもが不健康そうってわけじゃないけど、お日さまの下と、あの怪しい店の中とでは、同じ人でも違って見えるというか──。
って、俺は何を言い訳してるんだよ。
真久部さんも自分のぶんのお茶を立て、きれいな所作で茶碗を傾けている。
青い空の下、銀の薄の海。風の起こす葉擦れの音が、ゆるやかな波のように。勧められてまた茶菓子を頂きながら、とってもラグジュアリーなひととき。ふう、と満足の溜息をついたとき。
「さて」
す、と真久部さんが立ち上がった。もう充分ゆっくりできたし、そろそろお開きかな、と思ってたら。
「ここからは、僕からのお仕事依頼です、何でも屋さん」
「ってことは、あの石は御神体……」
「そういうことになりますねぇ」
にこにこと、真久部さん。
「いや、だけどその」
俺は嫌な汗をかいてしまう。
「普通そういうものを扱うときって、精進潔斎とかしなくちゃいけないんじゃないんですか? 俺、前の晩メシ、ニラ入り餃子……」
一昨日、顧客の笹井さんにもらったんだよ……なんか、彼女にふられたんで、一人餃子パーティしようと、それだけは得意という餃子をひたすら包んで、包んで、包みまくってたら、その彼女からまた連絡があって……ふられたと思ったのは誤解で、えっと、とにかく、彼女のご両親が来ることになったから、ニラ入りの上、ニンニク生姜マシマシの餃子なんて食べられないし、冷蔵庫に入れといても臭いそうってことで、近所に住んでる俺に全部くれたんだ。
美味かったなぁ、餃子。ひたすら焼いて、貪り食って。で、翌日早朝から、今回の仕事を兼ねた慰安旅行(?)に行くのを思い出し、焦って牛乳飲んだり、リンゴ食べたり、ひたすらガム噛んでから何度も歯を磨いたり、長風呂して汗かいたりしたから、特に臭わなかったとは思うんだけど──。
臭い、しませんでした? とおそるおそる聞いてみると、特に気づきませんでしたよ、と真久部さんはあっさり首を振る。
「大丈夫だったんじゃないですか? だって、石を持ち上げられたでしょう? あの石には、自然体の何でも屋さんが良いような気がしたので、僕も今回、特にそういう指示を出さなかったんだよ。きっとそれが正解だったんだと思うなぁ」
気負ってない感じが良かったんじゃないですか、なんて、敢えてのことか、適当っぽいことを言う。
「嫌なら動いてくれなかっただろうしね。あれは、
「は、はぁ……」
そんなんで、いいの……?
「オーナー一族も、ホテル関係者も、僕もだけど。誰もあの石のお眼鏡に叶わなかった。だけど、遠くから呼んだ何でも屋さんだけが、気に入られたのか、気にならなかったのか、とにかく運ぶことができた。それだけで、もうあちらは万々歳。部屋だって、うちで一番いい部屋にお泊り下さい! ってもんですよ」
「……」
作業のあと案内された部屋は、豪奢な設えの角部屋で窓も大きく、そこからの眺めは、屋上から見た絶景と遜色ないくらいだった。紅葉と渓谷、遠くに見えた金色の薄の原。設備もすごくて、びっくりするほど広い内風呂もあった。
いや、本当にびっくりしてたし、心配したんだ。真久部さん奮発しすぎじゃないかなぁ、って。それが、ホテル側の俺に対するお礼だった……?
「食事も、通常とは違ったグレードで、最上級のおもてなし。お相伴に与ったのは僕のほうです。何でも屋さんのお蔭」
だから、僕の懐は痛んでないんですよ、とにっこり笑う。
「そ、それならよかったです。は、ははは……」
なんかもう、笑うしかない。そんな俺の心を知ってか知らずか、古猫のような笑みを浮かべたままの真久部さん、「ああ、お茶をお誘いしたのに、話すばかりですみません」と袱紗に包んであったらしい銘々皿に、小箱から出した生菓子をのせてくれた。
「あ! そのお菓子って、あのホテルの……?」
金箔を飾ったリッチな栗きんとんの姿に、俺の意識がさらわれてしまった。むしろ、積極的にさらわれに行った。石について、もうあんまり考えたくなかった。
「ええ。一階和カフェ併設和菓子屋さんの、秋スペシャル詰め合わせです」
真久部さん、俺の好みなんかすっかりお見通し。
「あの店の! 美味そうだなって思ってたんです。いただきます!」
自分の顔が笑み崩れてるのがわかる。カフェのショーケースの向こうでさ、『とっても美味しいよ!』なオーラ放ってたんだよ。でも、さすが高級ホテルのお店でさ。値段が恐ろしくて、見ないふりしてたんだ。
「──何でも屋さんは、いつも本当に美味しそうに食べるねぇ」
楽しげに言いながら、真久部さんは抹茶を立ててくれる。温めて湯をこぼした茶碗に茶匙一杯の抹茶。そこにお湯を注ぎ、茶筅でまず「の」の字を描いてから、シャシャシャシャシャッっと、おおう、いい感じの泡が。
「どうぞ」
ベンチの上で、す、と差し出され、俺は一礼して見様見真似の作法で茶碗を回し、一服いただいた。
「美味しいです。──やっぱり良い和菓子には、良い抹茶ですよね」
美味しい、しか言葉がないのもアレかなぁ、と思って、もっと気持ちを足してみる。
「こんなところで野点なんて、すごい贅沢気分です! ありがとうございます、慰安旅行に、連れてきていただいて」
そのために重い荷物も持って上がってくれたんだし、ここはしっかり感謝しなくちゃ。贅沢な部屋は今回の依頼主の好意かもしれないけど、俺を、と推薦してくれたのは真久部さんだし、今も確かに慰安されてる。俺、慈恩堂の正式な店員じゃなくてただの何でも屋だけど、もうこれ、慰安旅行でいいや。
「どういたしまして」
地味ながら整った顔の男前が、俺の言葉ににっこりする。外の、こんな爽やかな場所で見るこの人は、案外健康そうに見える。いや、別にいつもが不健康そうってわけじゃないけど、お日さまの下と、あの怪しい店の中とでは、同じ人でも違って見えるというか──。
って、俺は何を言い訳してるんだよ。
真久部さんも自分のぶんのお茶を立て、きれいな所作で茶碗を傾けている。
青い空の下、銀の薄の海。風の起こす葉擦れの音が、ゆるやかな波のように。勧められてまた茶菓子を頂きながら、とってもラグジュアリーなひととき。ふう、と満足の溜息をついたとき。
「さて」
す、と真久部さんが立ち上がった。もう充分ゆっくりできたし、そろそろお開きかな、と思ってたら。
「ここからは、僕からのお仕事依頼です、何でも屋さん」