第51話 仏像の夏 2

文字数 3,361文字

それにしても、と目の前で尻餅をついてる男を見ながら、俺は考える。

まさか待ち伏せ? 物取り? この道、滅多に人が通らないのに。そりゃまあ、他所から来た人間だったら、そんな土地事情なんか分からないだろうけどさ。独り歩きの女性を狙ってたとかだったら許せないけど、それなら何でわざわざ男の俺を襲ってきたんだって話だし。しかも特殊警棒だ。

穿き古しててろてろに薄くなったGパンに、ダサいポロシャツ。どこの床屋でカットしたのか、妙な違和感を感じる髪型。何というか、全体的に薄汚い。こんなのがその辺をうろついてたら、ものすごく目立つだろう、悪い意味で。都会の雑踏ならいざ知らず、この一帯は住宅地が多いからな。仕事柄、この近辺をあちこち歩き回る俺だけど、こんな男見たことないし。

「で?」

俺は男に訊ねてみた。一対一ならスタコラ逃げるとこだけど、俺には居るだけで威嚇になる超大型犬の伝さんがついてるからな。知らないグレートデンに唸られたら、俺だって恐ろしいわ。それにこいつ、もう戦意喪失してるみたいだし、武器もさっき手放したから、伝さんが危ない目に遭うこともないだろうし。

「何でいきなり襲ってきたんだ? 俺、金持ってるように見えるか?」

俺の問いに、男はいきなりまくし立て始めた。どこか怯えたような必死の表情で訴えかけてるみたいなんだけど、いかんせん、早口すぎて何言ってるのかさっぱり分からない。一応、日本語みたいだけど……、妙な抑揚のせいかな、すごく聞きづらいんだ──もしや外国人か、こいつ。

何とか聞き取れた部分を繋ぎ合せてみるに、さっき伝さんと俺が見つけた仏像は、自分のものだ、と主張しているようだ。

「何言ってんだ? それなら先に声掛ければいいじゃないか。俺、拾おうとしてただけだぜ?」

仮にあの仏像がこの男のものだとしても、あんな得物でいきなり襲い掛かってくるなんておかしい。早いとこ百十〇番しよう。こんな不審者にこれ以上係わり合いたくない。そう思い、携帯を取り出した時だった。

また、風が。

 ざー
 ざざー……

ざざざー
ざざー…………







「で、ね。風が治まった後、ふと木の根元を見たら、その仏像が消えてたわけですよ」

「へえ……」

「いくら小さいとはいえ、風に乗って飛んで行ったなんて考えられないでしょう、枯葉じゃあるまいし。だから、突風に煽られてその辺に転がってるのかと思ったんです。けど、いくら探しても見当たらないんですよ」

俺は今、古道具屋・慈恩堂に来ていた。おかしな体験というか、キツネにつままれたというか、何だったんだろあれ?

忘れてしまうには強烈だし、かといって、誰彼かまわず話せるような内容じゃない。こんなこと話したら確実にアブナイ人認定されてしまう。それは嫌だ。仕事が減る。だから、仏像といえば古道具屋、古道具屋といえば慈恩堂ということで、慈恩堂店主に聞いてもらうことにしたんだ。

「で、その暴行未遂男はどこへ行ったんです?」

どこか楽しそうに店主は訊ねてくる。

「それがですね──」

男は、這い(つくば)るようにして木の根元を探り地面を撫で回し草叢を掻き分けて、必死に消えた仏像を探していた。その様子は正に、鬼気迫る、という表現がぴったりだったと今思う。

「仏像がどうしても見つからないと分かると、何だかわけの分からない言葉で喚きながら、気が狂ったみたいにどっかへ走って行きました。止める間もあらばこそ、って感じでしたね。」

呆気に取られて男の後姿を見送った後、俺は急いで伝さんと一緒に交番に走り、「不審者情報」として男の人相や身なりなどの特徴を伝え、ヤツが落としていった特殊警棒を預けて来たんだった。

本当に、何だったんだろ? と改めて首を捻っていると、店主がくくくっ、と笑い出した。

「え? 何で笑うんです? もしかして知ってる人だったとか?」

俺の問いに、笑いを堪えながらも慈恩堂店主・真久部さんは答える。

「知ってるといえば、知ってるかもしれません。有名なので」

有名? あの男が?

「……実はああ見えて、芸能界の人とか? じゃあ、あれってドキドキ☆カメラ?」

そのわりに、特殊警棒を構えた姿には物凄い殺気がこもってたように思うんだけど。それに、あの場にはカメラも見当たらなかったよなぁ? と首を捻ってると、店主が吹き出した。

ぶははははっ! って、店主。笑いすぎ。
なんか、腹抱えて笑ってるよ、この人。目に涙まで溜めて。

「ほ、ほんとに素直っていうか、……ちょっと天然すぎませんか?」

「天然て。そんな、呼吸困難になるまで笑わなくても……」

俺の抗議に、必死に笑いを収めようとしてるみたいなんだけど、一度笑うと止まらないタイプなのか、身悶えしながらも苦しそうに笑ってる。

大丈夫か?

もう、放っておこう。そう決めて、先に出してもらってた冷たい焙じ茶をすすってると、ようやく笑いの発作から立ち直ったらしく、店主は咳払いしてから口を開いた。

「あなた、<さまよえるオランダ人>って知ってますか? 何でも屋さん」

「は?」

いきなり何言い出すんだ、この人は。

<さまよえる>、って形容詞が付くと、俺に思い出せるのは<さまよえる湖>くらいしかないなぁ……ロプノール湖だっけ? 浪漫だよなぁ。オランダ人は、知らん。

「どうやら知らなさそうですね。顔を見れば分かるっていうか、顔に書いてあるっていうか」

また、ぷくく、と笑う店主。

ふん! どーせ分かりやすい顔してますよ! で、その<さまよえるオランダ人>がどうしたって?

「まあまあ、そう怒らないで。気分を害したなら謝りますから」

「別に怒ってないけど、そのオランダ人について説明してもらえると嬉しいかな、って思います」

うん。俺、オトナだし。この人は大切な顧客だし。

……だいたい、今日は仕事頼まれてもないのに、こっちの都合で押しかけてるんだから、ちゃんと話聞いてもらえるだけありがたいと思わなくちゃな。

俺は心の中で無理矢理自分を納得させると、わざとらしく首を傾げて見せることで店主を促した。

「うーん、そうですね……」

言いかけて、言葉を整理するようにしばし沈黙していたが、すぐに店主は話し始めた。

「とにかく、そのオランダ人はやってはいけないことをやったんですよ。それで神の怒りを買い、罰として彼は、船長をしていた帆船に乗ったまま、永遠に海をさまよい続けることになったんです。生と死の狭間に落ちて、その魂が救われることは未来永劫ない」

「……」

それは恐ろしい。だけど。

「その、海の浮遊霊とあの男に、どんな関係があるっていうんです?」

「ふ、浮遊霊って」

店主はまたツボに嵌ったらしく、必死に笑いをこらえてる。俺はついそれをじっとりと睨んでしまった。

「海のロマンが一気に吹っ飛んだ気がするけど、それはいいとしましょう」

俺を宥めるためか、まあまあ、と店主は茶菓子にと涼しげな葛饅頭を勧めて来る。……饅頭に罪はない。俺はありがたくそれを頬張った。もちろん、視線は店主から外さなかったけどな。

「つまりね、あなたが出合ったという男も、やってはいけないことをやってしまったんです。侵すべきでないものを侵してしまい、現在進行形で罰を受けてるんですよ」

「え……」

俺は急に背中が寒くなった。胃の中にきっちり収めたはずの焙じ茶と葛饅頭が、鉛のようにずーんと重くなる。

「それって……俺が陸の浮遊霊に出合ったってことです、か? あれって、実は生きた人間じゃなかった、のか……」

神の怒りを買った末に永遠に海をさまよい続けるオランダ人と、俺が出合ったあの男は、イコールなんだろ? ってことは、俺、朝っぱらから、ギンギンに太陽が照りつけてるにもかかわらず、幽霊を見たってことに……。

ひ~~~! 寒い。背中が寒い。あ、両腕に鳥肌が。

「ちょ、ちょっと! 何、いきなり唇が紫色になってるんです? 違います、あなたの見た男は、ちゃんと生きてますよ。生きてる人間です!」

店主が慌ててる。俺、そんなに酷い顔してる?
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