第112話 鳴神月の呪物 3

文字数 2,194文字

「すみません、お電話いただいてたようで……ええ、はい……」

何でも屋さんが電話の向こうに対してお辞儀しながら話している──。見えない話相手にぺこぺこするのは日本では日常良くある光景だが、そうではないものが真久部には見えた。

何か禍々しいものが、携帯を通して漏れ出している。向こうが何か言うたび軽く頭を上げ下げする彼の周囲を、ふわふわと靄のように取り巻いていた。

「……」

真久部がそれに注意を払っている間も話は続いているが、幸い靄はそれ以上濃くなる気配は無い。ただ、彼の身体に影のように纏わりついているのが、真久部は気に入らなかった。

あれは、良くないモノだ。

うちの店ではあんなに警戒しているくせに、妙なところで無防備なのはどういうことなんだろう。困った人だ、と真久部は溜息を吐いた。

そうやって彼の背中を見ているうちにも、靄はゆるく渦巻いている。渦巻きながら薄く、薄く伸び、その輪郭に溶け込もうとしていた。

「……はい。はい……ええ、そうしていただければ。……はい、ありがとうございます」

ようやく通話は終わったようだ。溜息を吐くように肩を上下させた彼が振り返ると、心なしかさっきより疲れたような顔になっている。

「店先で、すみませんでした」

謝るが、先に断ってくれているし、それくらいは別にかまわない、と真久部は首を振った。

「大丈夫ですよ。それより、何でも屋さん、ちょっとちょっと」

手招くと、少しぼーっとした感じで彼は寄ってくる。これはちょっとよろしくないなと思いながら、真久部は店の床から一段上がった畳敷きの帳場、その隣に座るように言った。

「せかっくだから、お茶でもいかがです? 先日いい煎茶を手に入れてね、何でも屋さんお好きでしょう?」

「え? あ、ありがとうございます……」

「その前に」

帳場から出た真久部は、近づいてきた彼の肩を捕まえるとくるりその身を返し、現れた背中を軽く(はた)いた。その瞬間、静電気が爆ぜるような音がして、彼の全身を薄く縛めていた靄が消え失せる。

「へ? 何、今の……?」

眼をぱちくりとさせている彼を、真久部は、まあまあ、と座らせた。

「先にお茶淹れますね」

急須を持って立ち上がる。台所の流しで茶殻を捨てて軽く洗うと、茶菓子の用意をした。冷蔵庫から取り出した個別包装の和菓子は、“水無月”。六月限定のこの菓子を、真久部は今の時期切らさないようにしていた。

帳場に戻ると、彼が落ちつかなげに畳の縁に腰掛けている。さっきのことを聞きたいけれど、聞くと何か怖い、と思っているのが丸分かりで、やっぱりこの人は面白いな、と真久部は思ってしまう。

「今日は六月だというのに涼しいけど、外はどう? 晴れてるとやっぱり暑いでしょう」

そんなことを話しかけながら、茶を淹れる。

「ええ……建物の中にいると寒いくらいですけどね、今日は天気がいいから、外はもう歩くだけで暑いです。でも、爽やかで気持ちがいいですよ。乾燥してるせいかなぁ……」

「この頃になるとすっかり梅雨入りして、蒸し蒸ししてる年もあるのにねぇ」

「来月あたりにどーんと暑くなるんでしょうか」

それも嫌ですねぇ、と言いながら、蒸らしが終わった煎茶を客用茶碗に注ぎ入れ、銘々皿に移した水無月とともに勧めた。白磁の魚文皿に、白い外郎(ういろう)の上に乗せられた艶やかな小豆が映える。

「どうぞ。これは“水無月”という菓子で、京都では六月三十日の夏越の祓の時に食べられるものです。無病息災を祈る、まあ、縁起物っていうやつだね。ちょっと早いけど、どうぞ」

今の何でも屋さんに一番必要な食べ物でもありますね、と付け加えると、真久部の予想どおり「どうしてですか?」と不思議そうに訊ねてくる。

「魔除けですからね、小豆」

「まよけ?」

「何でも屋さん」

「な、なんですか?」
 
やれやれ、と真久部は苦笑する。もういい加減自覚してくれてもいいんじゃないかと少し詰りたくもなるが、そういう彼だからこそ面白いのだと思い直す。

「君、最近ちょっと身体の調子が微妙じゃないですか?」

「へ?」

何で分かるの? という顔をしている。真久部は吹き出しそうになるのを堪え、笑みを深めてみる。

「確かに──最近ちょっと怠い感じはしますけど、季節の変わり目だし……」

真久部の笑みに押されるように、彼は白状する。

「季節というより、新規のお客さんと係わるようになってからじゃないですか? 例えば──さっきの電話の相手とか」

ぽかん、とした顔が、考えるように眉根に力を入れ、何かを思い出し、口を開け、軽く混乱するかのように変化していくのを眺める。

「どんな刀剣を探しているのか知らないけど、この界隈の店はだいたい行き尽くしたでしょう?」

「慈恩堂は最後の砦と思って残しておいたので……、そうです、はい」

他所に無くても、うちにはあるかもしれない、と思ってくれていたらしい。それは光栄だと真久部は思った。

「何でも屋さんてば、何だかんだ言ってもうちの店を高く評価してくれてるんですね」

そう言って笑うと、彼は何故か気まずげにお茶を干している。恥ずかしいのだろうか、と首を傾げつつも、これは言っておかなければならないと、真久部は続ける。
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