第152話 たくさん遊べば 11 終
文字数 2,059文字
「えっと、じゃあそろそろ……」
俺は時計を眼で示した。
「あ、そうですね。すみません。これ、今日のお仕事報酬です──危険手当付けておきましたから」
「……」
今日のアレって、やっぱり危険だったの、真久部さん? そう聞いてみたかったけど、伯父さんがにやにやしてるからやめておこう。隙あらば怖い話を聞かせようとする、この伯父さんが俺にとっての危険だ。きっとそういうことなんだ。
「それと、これ」
薄~く愛想笑いしながら領収書を書いて渡すと、その手の上に、ピンクのでっかいざらめ糖みたいなものが入ったガラス瓶をのせてくれた。
「バスソルトです。うちの仕事してて、何か不安なことがあったらお風呂に入れてください。それでだいたい大丈夫ですから」
ヒノキの香を切らせていて、花の香しかなくてすみません──。そう言われてラベルを見てみれば、これは薔薇の香りかぁ。独り暮らしのオッサンが、薔薇のかほり漂う風呂に浸かっちゃうのか……まあ、メインは塩だし、ご厚意だし。ありがとうございます、と受け取ると、悪戯な瞳で伯父さんが言った。
「もう帰っちゃうのかい、何でも屋さん」
「ええ。真久部さん戻られたし、閉店時間だし」
真久部さんはともかく、伯父さんとはあんまり長く一緒にいたくないなー、なんてそんなこと言えないけど。
「久しぶりに会えたんだからさぁ。せっかくだからどうだい? 三人で夕飯を一緒に」
寿司でも取るよ、とにんまり笑う。──いや、夜の慈恩堂に出前なんて、店の人が可哀想だからやめてあげて。
「ダメだよ、伯父さん。何でも屋さんはこのあと、犬の散歩が入ってるんですよね?」
真久部さんの助け舟にこくこくうなずく。残念だなぁ、という笑い混じりの声を聞ききながら、俺はジャケットを羽織った。ここに来たときの荷物もまとめる。外、寒そうだなぁ。
と。携帯に電話が。あれ? 吉井さん? これから散歩に迎えに行くグレートデンの伝さんの飼い主さんだ。寒そうなのと、まだちょっと店の外に出るのが怖かったんで、真久部さんに断って店の隅で電話に出た。
「はい。はいそうです。え──? あ、そうなんですか。はい──、はい。わかりました。またよろしくお願いします」
「どうしたんですか?」
なんとなくぼーっとしてた。ちょっと心配そうな真久部さんの声で我に返る。
「え? ああ。今日は吉井さん、息子さんが帰ってきてて、伝さんの散歩に行ってくれたんですって」
「そうですか」
と。今度はメール。間抜けな鳩時計の着信音が薄暗い慈恩堂の店内に響く。──なんか、嫌な予感。
「……」
「何でも屋さん?」
メールは、セントバーナードのナツコちゃんの飼い主さんから。ナツコちゃんがあんまり散歩に行きたがって、予約の時間まで待ってくれそうにないから、仕方なく今もう一緒に道を歩いてるって内容。
了解のメールを返してたら、また電話。慌てて出る。
「はい? あ、莉奈ちゃんのお母さん。お世話になってます。はい、はい。ああ、そうなんですか。お父さんのお迎えだったら莉奈ちゃんもうれしいですね。わかりました。それじゃあ、またよろしくお願いします」
犬二匹の散歩のあと、本日最後のお仕事になるはずのお迎えもキャンセルになってしまった。
「……」
前にもこんなことあったな。あれも、まるで伯父さんの都合に合わせるみたいに……。伯父さんの忍び笑いが聞こえる。
「もし、この後の予定が無くなったんなら、よく老人の話し相手をしてるみたいだし、私もお願いしたいんだけどねぇ……。どうです、何でも屋さん?」
ぞぞっ ぞぞぞぞぞーっ
今日一番の寒気が背中を駆け抜ける。真久部さんが何やら伯父さんに怒ってる声が聞こえるけど、もうどうでもいい。俺は帰る。帰るんだ。今帰らないと、夜の慈恩堂の道具たちと伯父さんのサバトの目撃者に……!
店の隅から帳場まで戻ってくると、真久部さんが本当に申しわけなさそうに謝ってきた。
「伯父がもう、すみません、何でも屋さん──」
この人はそんなもの を目撃してもきっとマイペースを崩さないだろう、そう思いながら、俺は無言で荷物から取り出したあるものを手渡す。
「え? どうして日本酒──『桃の実』? 変わった銘柄ですね─」
桃の実は、魔除けになるという。これくれた笹井さんありがとう! 今度またこむら返りになったら、すぐに助けに行くから!
「ああ、そうか……」
真久部さんは俺の意図をわかってくれたみたいだ。困ったように笑ってうなずく。
「清酒と、桃。これはダブルで魔除け、厄落としですね。──ほら、伯父さん。もうあきらめて、素直に何でも屋さんを帰してください」
俺は黙って会釈だけして慈恩堂を後にした。硝子ドアを閉める瞬間、「ここは黄泉比良坂か!」と笑う伯父さんの声が聞こえたけど気にしない。
慈恩堂より今日の寂しい季節の客より。
何より誰より真久部の伯父さんが怖い!
俺は時計を眼で示した。
「あ、そうですね。すみません。これ、今日のお仕事報酬です──危険手当付けておきましたから」
「……」
今日のアレって、やっぱり危険だったの、真久部さん? そう聞いてみたかったけど、伯父さんがにやにやしてるからやめておこう。隙あらば怖い話を聞かせようとする、この伯父さんが俺にとっての危険だ。きっとそういうことなんだ。
「それと、これ」
薄~く愛想笑いしながら領収書を書いて渡すと、その手の上に、ピンクのでっかいざらめ糖みたいなものが入ったガラス瓶をのせてくれた。
「バスソルトです。うちの仕事してて、何か不安なことがあったらお風呂に入れてください。それでだいたい大丈夫ですから」
ヒノキの香を切らせていて、花の香しかなくてすみません──。そう言われてラベルを見てみれば、これは薔薇の香りかぁ。独り暮らしのオッサンが、薔薇のかほり漂う風呂に浸かっちゃうのか……まあ、メインは塩だし、ご厚意だし。ありがとうございます、と受け取ると、悪戯な瞳で伯父さんが言った。
「もう帰っちゃうのかい、何でも屋さん」
「ええ。真久部さん戻られたし、閉店時間だし」
真久部さんはともかく、伯父さんとはあんまり長く一緒にいたくないなー、なんてそんなこと言えないけど。
「久しぶりに会えたんだからさぁ。せっかくだからどうだい? 三人で夕飯を一緒に」
寿司でも取るよ、とにんまり笑う。──いや、夜の慈恩堂に出前なんて、店の人が可哀想だからやめてあげて。
「ダメだよ、伯父さん。何でも屋さんはこのあと、犬の散歩が入ってるんですよね?」
真久部さんの助け舟にこくこくうなずく。残念だなぁ、という笑い混じりの声を聞ききながら、俺はジャケットを羽織った。ここに来たときの荷物もまとめる。外、寒そうだなぁ。
と。携帯に電話が。あれ? 吉井さん? これから散歩に迎えに行くグレートデンの伝さんの飼い主さんだ。寒そうなのと、まだちょっと店の外に出るのが怖かったんで、真久部さんに断って店の隅で電話に出た。
「はい。はいそうです。え──? あ、そうなんですか。はい──、はい。わかりました。またよろしくお願いします」
「どうしたんですか?」
なんとなくぼーっとしてた。ちょっと心配そうな真久部さんの声で我に返る。
「え? ああ。今日は吉井さん、息子さんが帰ってきてて、伝さんの散歩に行ってくれたんですって」
「そうですか」
と。今度はメール。間抜けな鳩時計の着信音が薄暗い慈恩堂の店内に響く。──なんか、嫌な予感。
「……」
「何でも屋さん?」
メールは、セントバーナードのナツコちゃんの飼い主さんから。ナツコちゃんがあんまり散歩に行きたがって、予約の時間まで待ってくれそうにないから、仕方なく今もう一緒に道を歩いてるって内容。
了解のメールを返してたら、また電話。慌てて出る。
「はい? あ、莉奈ちゃんのお母さん。お世話になってます。はい、はい。ああ、そうなんですか。お父さんのお迎えだったら莉奈ちゃんもうれしいですね。わかりました。それじゃあ、またよろしくお願いします」
犬二匹の散歩のあと、本日最後のお仕事になるはずのお迎えもキャンセルになってしまった。
「……」
前にもこんなことあったな。あれも、まるで伯父さんの都合に合わせるみたいに……。伯父さんの忍び笑いが聞こえる。
「もし、この後の予定が無くなったんなら、よく老人の話し相手をしてるみたいだし、私もお願いしたいんだけどねぇ……。どうです、何でも屋さん?」
ぞぞっ ぞぞぞぞぞーっ
今日一番の寒気が背中を駆け抜ける。真久部さんが何やら伯父さんに怒ってる声が聞こえるけど、もうどうでもいい。俺は帰る。帰るんだ。今帰らないと、夜の慈恩堂の道具たちと伯父さんのサバトの目撃者に……!
店の隅から帳場まで戻ってくると、真久部さんが本当に申しわけなさそうに謝ってきた。
「伯父がもう、すみません、何でも屋さん──」
この人は
「え? どうして日本酒──『桃の実』? 変わった銘柄ですね─」
桃の実は、魔除けになるという。これくれた笹井さんありがとう! 今度またこむら返りになったら、すぐに助けに行くから!
「ああ、そうか……」
真久部さんは俺の意図をわかってくれたみたいだ。困ったように笑ってうなずく。
「清酒と、桃。これはダブルで魔除け、厄落としですね。──ほら、伯父さん。もうあきらめて、素直に何でも屋さんを帰してください」
俺は黙って会釈だけして慈恩堂を後にした。硝子ドアを閉める瞬間、「ここは黄泉比良坂か!」と笑う伯父さんの声が聞こえたけど気にしない。
慈恩堂より今日の寂しい季節の客より。
何より誰より真久部の伯父さんが怖い!