第304話 疫喰い桜 18
文字数 2,089文字
<夢見草>から出たら、そこは<走りぎんなん>だった。
満開の桜の森から、緑の小さな三角葉っぱが寒そうに揺れてる銀杏並木へ。
……
……
保育園の保父さんのようなイメージの、色白で優しげな面差しの店主が、慈愛に満ちた笑みで「お疲れさま」と労ってくれたけど。
俺、疲れたのかなぁ? よくわからない。
多分、疲れてるんだとは思う。主に精神的に。なんかこう、一週間くらい高熱出して寝込んでもおかしくないような感じがするんだけど──、大丈夫なんだって。
迷い家なラーメン屋でラーメン食べて、甘露な水と、それから店主スペシャルの甘茶を飲んでいったから。
「心配しなくても、私だってちゃあんと何でも屋さんのこと考えてるんだよ」と真久部の伯父さんは笑うけど、そうなのかもしれないけど、何だかさぁ!
悪食鯉を応援させるためだけに、わざわざ連れに来るってどうなの? そんで、あんな不可思議かつ超自然的というか、この世とあの世の境目的な場所へ、説明も無く……別に俺でなくても、と思うんだけど、生身であそこに行って
たとえば甥っ子の真久部さんはどうなの、あなたに似て大丈夫そうじゃん、と遠回しにたずねてみたら、「あの子には、素直さが足りないねぇ」と笑う。「木彫りに咲く花に、あの子が何でも屋さんほど驚いてくれると思うかい?」とも言われてしまった。──まあ、確かにあっちの真久部さんだったら、驚く前に怒りそうだ。
だけど、あっちの真久部さんだって、必要とあらば疫喰い桜をおだてるくらい、してくれるんじゃないかと思うんだけどなぁ。
そんなことを考えていると、胡散臭い笑みで鯉のループタイを指先で弾きつつ、伯父さんがニッタリと笑う。
「コイツの御指名だったし」
「……何でですか?」
訊ねたくもなるだろう? ついさっきまで、しゃべった(?)こともなかったのに。
「気に入ってるみたいだよ、何でも屋さんのこと」
にぃっと笑って、意地悪仙人。
「初めて会った日、きみの連れていた鯉の自在置物が──」
「いや、あれは連れていたんじゃなくて運んでたんですよ!」
慈恩堂の真久部さんの依頼で。
「まあいいじゃないか。とにかくさ、きみの連れていたアレがさ。古くからあのあたりにいた**を喰らって竜に成り上がっただろう? そんな怪異に遭ってものほほんとあの子の店に出入りして、しかもあそこの道具に好かれてるみたいだし」
コイツを連れていると、私はあの子の店に出禁にされるけど、と続ける。
「アイツら、つまりあの店の道具たちのことだけど、アイツらはズルい、とコイツはいうんだよ。自分だって何でも屋さんと遊びたいのに、だってさ。怖がられたり、本当は気づいてるくせに無視されたり、嫌な顔されたり、そういうコミュニケーションがしたいらしい」
「……」
コミュニケーション? 俺、古道具たちと交流した覚えなんかないよ!
「俺はごく普通の人間なんで……そういうのは荷が重いです……」
時にじんわり怖かったり、時にひやりとしたり、時に恐怖に慄きながらも、何でも屋版・慈恩堂店番心得を胸に必死で平常心を保っているのに。見ない見えない聞こえない。全ては気のせい気の迷い──。
「その普通がいいんだよ、何でも屋さん。そういう普通の人に認識されて応援されたいんだとさ。私などは同類だから、応援されてもあんまりうれしくないというか、張り合いがないんだそうだ」
「はぁ……」
身内にしかフォローされてないユーチューバー的な?
「だから、次があったらまた頼むよ。仕事料ははずむから」
「え、いや、それはちょっと困るというか、ほら、突発的な依頼だと、スケジュールの関係でお受けすることができないことも──」
「スケジュール、ねぇ」
意味ありげに、真久部の伯父さんは目を細める。
「そうだね、あの子の依頼だと、動かすのはちょっと難しそうだなぁ」
そう言うマスクの下の唇は、大きく吊り上がっているに違いない。ここで突っ込んだら負けだ──。毎回、伯父さんに都合よく先に入っていた依頼がキャンセルになるのって、やっぱり偶然じゃなかったんだとか考えてはいけない!
「よ、予定は未定っていいますしね! さてと、今日はもう帰って事務仕事します。つい溜めちゃってるんですよね、いや~、ここんとこ忙しくて」
あはは~、と意味もなく笑っておく。本当のことだし。いくら意地悪仙人でも、溜まった事務仕事を無くすことはできないだろう。俺、個人事業主だもん、何でもかんでも一切合切ぜんぶ一人でやらなくちゃならないんだから。
「未定な予定なら、<ご老人の話し相手>の続行を──」
怪しい笑みとともに告げられた恐ろしい提案を、とにかく断らなくちゃと焦っていると、俺のガラケーから受信音が響いた。まさか──今日は元々午後から空いてたけど、夕方の犬散歩までキャンセルに? そんな……俺、今日は一日中伯父さんにつき合わないといけないの?
じわりと嫌な汗をかきつつ、発信者名を確認する余裕もなく電話に出ると。
──何でも屋さん? 慈恩堂です。
「ま、真久部さん!」
いつもは微妙な緊張とともに聞く店主の声が、今はまるで天人のもののように思えた。