第219話 竈と猫 6  若い衆にはお守り猫

文字数 1,939文字

「……」

俺は密かに息を吐いた。普通にさらっと怪異を語る真久部さんに、慣れかけてる自分もちょっとなぁ……、とつい遠い眼になってしまったけど、話はまだまだ続いてる。

「そんなことが積み重なって、かまどがじわじわと怒りを募らせていたというのが、ことの真相だったんだよねぇ……富貴亭の人たちにも、そう教えてあげましたけれども」

「……納得してくれましたか?」

たずねてみると、目元だけで笑う。

「どうでしょうね? 本当のところはわかりません。でもまあ、彼らも怖い目に遭って、だいぶ参っていたようですから──」

当座の不審と疑問は飲み込んで、取り敢えず、ってことなんだろうなぁ。

「ただ、かつての道具としての意識を強く持つものを、それ以外の用途、しかもオブジェ(飾り物)にしようというなら、せめて礼儀を尽くすべきだったと、それは強く言っておきましたよ。──僕の目から見れば、あれはあまりにも無礼、かつ無神経にすぎたので」

あのまま放っておいたら、オーナーあたり確実に命を取られていたはずですよ、とさらに怖いことを言う。

「そこまでいかなくても、店の関係者には数々のよくないことが起こっていただろうねぇ……財布を落すなどの小さな不幸から、病気、怪我、他にもいろいろ。──暴言を吐いた若い衆あたり、危なかったんじゃないかなぁ? 板長に叱られた日は、腹いせにわざわざかまどを蹴飛ばしてから帰ってたって白状してましたから。板場でものに当たると、よけい怒られるからってことでしたけど」

「……そういえば、自宅でもかまどの音が聞こえてしまったんでしたっけ、その人」

自業自得? とはいえ、じぶんちの台所で、あるはずもない薪の爆ぜる音がパチパチ聞こえたら……嫌だなぁ。

「だけど竈猫、どうしてその若い衆に飛びかからなかったんでしょうね」

蹴ってるときとか。

「さあねぇ。本人は、かまどが怒りを見せ始めた頃から、なんとなく気味悪く感じて近づかなくなったと言ってましたが……、そのあたりからどうしてか、子供の頃飼ってた猫がよく夢に出てくるようになったらしくてねぇ──」

その猫が、代わりに竈猫に謝ってくれていたのかもしれませんね、と真久部さんは胡散臭い笑みを見せる。

「あー……、同じ猫どうしの(よしみ)で、ですか」

見えない猫が二匹、若い衆の後ろでにゃごにゃごしゃべってるとこを想像してしまった……。面白怖い。

「彼もきみほどじゃないですが、守りが強い……でも、あのままだと守りきれなかったでしょう。まだ十九か二十歳と若いせいか、自分の家の墓参りには行かないくせに、いわゆる心霊スポットを冷やかしたり、廃寺探検に出掛けたりと、どうにも怖いもの知らずのところがあったようですから」

イマドキの若者ってやつですね、と見た目年齢不詳の真久部さんは評する。

「まあ、彼は灰を引っ掛けられる程度で済んで、本当に幸いだったと思いますよ。──これまでの行いも含め、子供の頃の猫に感謝しておくようにと、アドバイスしておきました」

にーっこり。

「……」

微笑む笑顔が、眩しい。──たまにお弁当を配達してくれる若い衆が、やたらこの(慈恩堂)を怖がってるふうなのは、そういうことがあったからか……。いや、彼が怖いのは、たぶん店じゃなくて真久部さん本人だ。こんなふうに胡散臭い、明らかに何か(・・)を含んだ笑顔で説教アドバイスされて、苦手意識を持ってしまったんだろう……だけども、さ。

「……そういう気持ちって、大切ですよね」

目に灰なんて、痛そうだけど。ほんとよくそれだけで済ませてくれたよ、竈猫。お守り猫に感謝だ。

「ええ、本当に」

真久部さんはうなずく。

「感謝の気持ちは、相手を尊重する心がないと生まれてこないものです。──かまどと竈猫が機嫌を悪くしたのは、そういう気持ちが富貴亭の人たちになかったせいなんですから」

かまどという(しょう)のある、かつての立派な道具に対し、ほんの欠片ほどの敬意も持たず、ただのモノとしてぞんざいに扱ったのがそもそもの原因ですからね、と続ける。板長も畏れ怖がるだけで役に立ってなかったですし、と辛辣だ。

「今はもう、ご機嫌は直ったんですよね?」

この話はハッピーエンドだったはずだ。

「ええ。僕のアドバイスを、オーナーが即、実行してくれたので、なんとか間に合いました。──だけど、どうすればいいのかを、彼らも無意識ではわかっていたんだよ」

無意識って。

「それはどういう……?」

聞いてみると、真久部さんはにっと笑った。

「板場の隅にね、どう見ても不自然なスペースを空けていたことを、彼らのうち誰ひとりとして意識しておらず、おかしいとも思っていなかったんです」

「スペース、ですか?」

「そう。それはつまり、かまどを置くべき場所だったんだ」
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