第96話 お地蔵様もたまには怒る 15
文字数 2,018文字
はあ、と真久部さんは大きく息を吐いた。なんだか、今にもきっちりとした襟元を乱暴に崩して、さらには頭をバリバリ掻いたりしそうな勢いなんだけど、自制心がよほど強いのか、この人はそういうことはしない。ただ、雰囲気がいつになく自棄っぽい。
「良くなんかないよ、普通は。だけど伯父は、手妻地蔵様の了解は取ってあるって言うんだ」
「……」
俺は何て答えたらいいのか分からなかった。だいたい、了解って、どうやって? 管理者なんかいないような古いお地蔵様なのに。まさか、石のお地蔵様がしゃべったりは……。
「伯父は変わった力を持っているって、何でも屋さんには話したことがあると思うけど」
……しゃべったり、するかもなー、伯父さんとなら。そこらへんのフツーじゃない怪しい話は、出来るだけ忘れることにしてるから、努めて思い出さないようにしてたけど。
「えっと……骨董と仲良くなるのが趣味、でしたっけ?」
だから、伯父さんがこの店に来ると、店に並べられてる古道具たちが喜んで、きらきら華やいじゃうんだって聞いたんだっけ。そう言うと、唇の端をひょいと上げて、真久部さんはどこか皮肉げに答えた。
「趣味じゃなくて、得意。……趣味、でも間違いはないけど」
そのくせ、僕には『骨董の声は聞くな、聞こえても知らないふりをしておけ』って言うんだよね、と苦笑する。
「伯父は古い道具たちの声を、愛想良く聞いてやるふりをするんだよ。聞こえてはいるけど、聞きたいことしか聞いてないんだ。好奇心を満たすために彼らの昔語りを聞いて、要求は煙に巻く。上手く騙して転がして……たまに火傷することもあるようだけど、今もあの通り無事でいる」
僕が同じことをしたら、仮に命が無事だったとしても、まずまともではいられない、と真久部さんは言う。心が身体から浮き出して、別の世界の風景を見ることになる、と。
「そうなったら、自分で自分の面倒すら見ることが出来なくなってしまう。人としてまともに生きていけなくなってしまう。伯父が『骨董の声は聞くな』と言うのはそのためです。聞いてしまうと、声に引きずられるからと」
「引きずられる……」
「あっちから、こっちから、絶え間なく呼びかけられ、望みと願いを聞かされて、背に負わされ、叶えるように期待される。要求される。同情とか、共感とか、人が当たり前に持つ感情をかき乱され、消費され、気が狂う──そういうこと」
俺はつい、骨董と古道具の溢れる慈恩堂の店の中を振り返ってしまった。
時代物のカメラ、望遠鏡、白い陶器で出来た花びらみたいな部品を金属で繋いで、細かな細工で装飾された優雅なランプ、頭巾を被って小槌を持ったえべっさん、蒔絵の箱のオルゴール、招き猫、昔の電話機、お腹の丸い布袋さんに、分厚い硝子の杯、赤い陶器の皿、馬の頭をした観音様。
それらの品々にじっと見つめられているようで、背中の辺りがぞわぞわする。
「でも、伯父さんはそうはならないんですよね……?」
それが伯父さんの“力”、なのかな? そう訊ねたけど、真久部さんは違うと言う。
「ことさら無視しなくても、骨董の声に心を動かされることが無いからだよ、あの人は。そういう人間は、どれだけ声を聞いても影響を受けない。常にマイペースで、つまり神経が太いんだ……、ああ、伯父ほど図太い人間を、僕は見たことが無いね。たまに痛い目に遭ったって、これっぽっちも懲りた気配が無いんだから」
いいトシをして、五歳の子供と一緒に神隠しに遭ったこともあるんだから、と聞いて、俺は遠い眼になった。真久部の伯父さん、一体何やってるんだろう……。
甥である真久部さんは、深い溜息をついた。
「──話は逸れたけど、つまりはそういうことなんだよ、何でも屋さん。伯父は手妻地蔵に相談をしたんです」
「……何を?」
「とある地蔵像が盗まれそうだから、力を貸してくださいって。昨日、伯父に頼まれた君がGPS付きの涎掛けを奉納した、あのお地蔵様のことですよ」
「えっと……。盗まれるって、どうして伯父さんにそんなことが分かるんですか?」
どっかで誰かがよからぬ相談してるのを、偶然耳に挟んだとか?
「伯父には、おしゃべり好きの知り合いがいっぱいいるからねぇ……」
悩ましげに、真久部さんは床の間に飾りつけた道具類など見やる。
九谷焼の大皿は天井の明かりを反射してつやつや、古びた香炉からは、今にも薫香が漂ってきそう。掛け軸は墨の濃淡が美しい水墨画で、険しい山々と疎らな木、大きな杖を持った白い髭の仙人が描かれているんだけど──、さっきは横向いてなかったかなぁ……?
「その知り合いって……」
もしかしなくても、骨董たち? 言葉にしなくても俺の言いたいことを分かってくれたのか、真久部さんは頷いた。
「ええ。古道具たちの噂話を聞いたんだそうですよ」
やっぱり……!
「良くなんかないよ、普通は。だけど伯父は、手妻地蔵様の了解は取ってあるって言うんだ」
「……」
俺は何て答えたらいいのか分からなかった。だいたい、了解って、どうやって? 管理者なんかいないような古いお地蔵様なのに。まさか、石のお地蔵様がしゃべったりは……。
「伯父は変わった力を持っているって、何でも屋さんには話したことがあると思うけど」
……しゃべったり、するかもなー、伯父さんとなら。そこらへんのフツーじゃない怪しい話は、出来るだけ忘れることにしてるから、努めて思い出さないようにしてたけど。
「えっと……骨董と仲良くなるのが趣味、でしたっけ?」
だから、伯父さんがこの店に来ると、店に並べられてる古道具たちが喜んで、きらきら華やいじゃうんだって聞いたんだっけ。そう言うと、唇の端をひょいと上げて、真久部さんはどこか皮肉げに答えた。
「趣味じゃなくて、得意。……趣味、でも間違いはないけど」
そのくせ、僕には『骨董の声は聞くな、聞こえても知らないふりをしておけ』って言うんだよね、と苦笑する。
「伯父は古い道具たちの声を、愛想良く聞いてやるふりをするんだよ。聞こえてはいるけど、聞きたいことしか聞いてないんだ。好奇心を満たすために彼らの昔語りを聞いて、要求は煙に巻く。上手く騙して転がして……たまに火傷することもあるようだけど、今もあの通り無事でいる」
僕が同じことをしたら、仮に命が無事だったとしても、まずまともではいられない、と真久部さんは言う。心が身体から浮き出して、別の世界の風景を見ることになる、と。
「そうなったら、自分で自分の面倒すら見ることが出来なくなってしまう。人としてまともに生きていけなくなってしまう。伯父が『骨董の声は聞くな』と言うのはそのためです。聞いてしまうと、声に引きずられるからと」
「引きずられる……」
「あっちから、こっちから、絶え間なく呼びかけられ、望みと願いを聞かされて、背に負わされ、叶えるように期待される。要求される。同情とか、共感とか、人が当たり前に持つ感情をかき乱され、消費され、気が狂う──そういうこと」
俺はつい、骨董と古道具の溢れる慈恩堂の店の中を振り返ってしまった。
時代物のカメラ、望遠鏡、白い陶器で出来た花びらみたいな部品を金属で繋いで、細かな細工で装飾された優雅なランプ、頭巾を被って小槌を持ったえべっさん、蒔絵の箱のオルゴール、招き猫、昔の電話機、お腹の丸い布袋さんに、分厚い硝子の杯、赤い陶器の皿、馬の頭をした観音様。
それらの品々にじっと見つめられているようで、背中の辺りがぞわぞわする。
「でも、伯父さんはそうはならないんですよね……?」
それが伯父さんの“力”、なのかな? そう訊ねたけど、真久部さんは違うと言う。
「ことさら無視しなくても、骨董の声に心を動かされることが無いからだよ、あの人は。そういう人間は、どれだけ声を聞いても影響を受けない。常にマイペースで、つまり神経が太いんだ……、ああ、伯父ほど図太い人間を、僕は見たことが無いね。たまに痛い目に遭ったって、これっぽっちも懲りた気配が無いんだから」
いいトシをして、五歳の子供と一緒に神隠しに遭ったこともあるんだから、と聞いて、俺は遠い眼になった。真久部の伯父さん、一体何やってるんだろう……。
甥である真久部さんは、深い溜息をついた。
「──話は逸れたけど、つまりはそういうことなんだよ、何でも屋さん。伯父は手妻地蔵に相談をしたんです」
「……何を?」
「とある地蔵像が盗まれそうだから、力を貸してくださいって。昨日、伯父に頼まれた君がGPS付きの涎掛けを奉納した、あのお地蔵様のことですよ」
「えっと……。盗まれるって、どうして伯父さんにそんなことが分かるんですか?」
どっかで誰かがよからぬ相談してるのを、偶然耳に挟んだとか?
「伯父には、おしゃべり好きの知り合いがいっぱいいるからねぇ……」
悩ましげに、真久部さんは床の間に飾りつけた道具類など見やる。
九谷焼の大皿は天井の明かりを反射してつやつや、古びた香炉からは、今にも薫香が漂ってきそう。掛け軸は墨の濃淡が美しい水墨画で、険しい山々と疎らな木、大きな杖を持った白い髭の仙人が描かれているんだけど──、さっきは横向いてなかったかなぁ……?
「その知り合いって……」
もしかしなくても、骨董たち? 言葉にしなくても俺の言いたいことを分かってくれたのか、真久部さんは頷いた。
「ええ。古道具たちの噂話を聞いたんだそうですよ」
やっぱり……!