第116話 鳴神月の呪物 7
文字数 2,541文字
「だって、今度は解かないと」
「ほどく……?」
真久部が言うと、何でも屋さんは意味が分からない、といった顔をした。
「解くって、何を──?」
「呪 いを」
まじない、と口の中で呟いて眉間に皺を寄せ、彼は何やら考えていたようだが、すぐに顔を上げて真久部に訊ねてきた。
「……まさか、呪物の、ですか? 老人の作ったみたいな──」
「そうです」
「探すように頼まれてる刀剣が、それってこと?」
「多分……。ただ形は刀剣とは限りませんよ。どこかの古道具屋にあるかもしれない、というのも嘘でしょう。呪物はその顧客の手元にあるはずです」
彼に語って聞かせた昔話の、陰陽師崩れの老人の作ったような呪物が、実際にあるとは真久部も思っていない。ただ、似たような方法で作られたものが存在するとは知っている。この商売を始める時、古道具の“声”を聞くのが趣味という変人の伯父から言われたのだ、そういう品物は異様な存在感を放っているから、すぐに分かる。どれほど魅力的に見えようと、決して扱ってはならないと。
いずれにせよ、ほんの数分繋がっていただけの彼の携帯を通し、真久部がその禍々しさを感じられたくらいだ、今回の顧客が持っているのは間違いなくそういったたぐいの呪物だろう。それに、真久部がかつて出合ったことのある、尋常では無い妖気の漂う青磁の壷と似た気配も感じる。所有しているだけで障りがあるはずだ。
おそらく、相手はそれを持て余したのだろう。どうにかしてその力を削ぐか、薄めるかしようとしている。彼はそのために利用されかけたのだ。凝りに凝り、固まって、限界まで圧縮された“呪”を僅かでも解き、分散させるために。
真久部が気づかなければ、彼は遠からず命を落としていたかもしれない。──そんなことになる前に、彼の方からこちらに来てくれてよかった、と思う。
「……」
ちらりと頭を過った、あったかもしれない最悪の事態を、真久部は軽く息を吐いて追い払った。もう彼は大丈夫、自分は貴重な話し相手兼店番要員を失うことはない──。
密かに胸を撫で下ろしながら目の前の彼を見ると、顔色が悪い。怖がらせてしまったようだ。どうも自分はこういう説明が上手くない。
どう言ったら彼は怖くないかなぁ、と真久部が考えこんでいると、彼の低い声が聞こえた。
「呪いを解くなんて、そんなこと、俺に出来るわけないじゃないですか……」
俺、陰陽師の末裔とかじゃないし! と、この帳場の狭いエリアだけで小さく叫ぶ、という器用なこと彼はした。どうやら沈黙に耐えかねたようだ。
「知識とか無いし。その手のこと、何も知らないんですからね!」
「うーん、でもねぇ……」
真久部は彼が忘れてしまっていることを指摘する。
「利用された男だって、何にも知りませんでしたよ? 自分が何をさせられていたのか」
死んだその瞬間にさえ。そう言うと、彼は黙り込んだ。
「……」
「──すみません」
真久部は素直に謝った。じっとりとした彼の眼が、「怖い話はもう止めてください」と訴えていることに気づいたのだ。
「でも、何でも屋さんたら危機感が無いから」
そう、彼にはいつだって危機感が無い。良い意味で鈍いのだ、大海原でのんびり昼寝でもするみたいにぼーっと浮かんでいるという、不思議な形をした魚、マンボウのように──。それが却って彼の身を守っているということも、真久部はちゃんと知っている。けれど、今回のような場合には、完全に裏目に出てしまう。
「こういうのはね、使われる本人は何も知らなくていいんですよ。むしろそのほうが都合がいい」
「……どうしてですか?」
聞きたくないけど聞かないわけにもいかない、というふうに彼が訊ねてくるのへ、真久部は端的に返した。
「操りやすいから」
「そんな、人を頭空っぽの人形みたいに……!」
大きな声を出しかけて、慌てて彼は口を押さえる。
「僕はそこまで言ってないけど──うん。まあね」
術者にとってはそんなものかもね、とあっさり頷いてみせると、分かりやすく彼は落ち込んだ。
「まあまあ」
塗りの茶菓子入れから小豆煎餅を出して、勧めながら真久部は彼を慰める。
「呪物というのは、丹念に織り上げられた布、きっちり組み上げられた紐のようなものです。力の強いものを作ろうとすればするほど、緻密で複雑な作業が必要になってくる。そのために、術者は扱いやすい真っ直ぐな糸を欲し、それが昔話に出て来た男や、何でも屋さんのような存在です。正直で、善良で、勤勉。誘導すれば思った通りに動いてくれる」
「……なんか、正直者は馬鹿をみる、って言われてるような気がするんですけど」
「気のせいですよ」
「本当に?」
「もちろん。……どうしてそんな疑り深い目で僕を見るんですか?」
不信も露 な彼の瞳に、真久部は首を傾げた。
「──気のせいですよ」
どことなく平坦な声でそう答えると、彼は何故か自棄気味に小豆煎餅を齧った。パリパリッと小気味の良い音がする。どうしたんだろう、と真久部は思ったが、本人が気のせいだと言うのだから気にしないことにした。
「そうですか。じゃあ、話を戻しますね。──真っ直ぐな糸は、術を成就させるのに確かに良い道具です。術者にとってはとても使い勝手がいい。けれど、真っ直ぐなゆえに、想定外の事態を引き起こすことがある……どういうことか、分かりますか?」
分からない、と彼は首を振る。真久部はふふっと笑った。種明かしは楽しい。
「“道具”が正直すぎると、術者の計算が狂うんだよ。計算といっても、しょせん自分が基準だから、ある種の厭らしさがあるんだね。扱いやすい人形だと、術者が侮った人間の、まさにその正直さと善良さにしてやられ、慌てふためく姿を思うと、笑えるよねぇ」
──実は昔話の老人も、本当はそこまで強力な呪物を作るつもりじゃなかったっていいますよ。
そう続けると、彼は疑わしそうに真久部を見た。
「そうなんですか? 嫌だけど、相手の性格を知り尽くして、計算通りに利用し尽くしたように思えますよ。すごく嫌ですけど」
「ほどく……?」
真久部が言うと、何でも屋さんは意味が分からない、といった顔をした。
「解くって、何を──?」
「
まじない、と口の中で呟いて眉間に皺を寄せ、彼は何やら考えていたようだが、すぐに顔を上げて真久部に訊ねてきた。
「……まさか、呪物の、ですか? 老人の作ったみたいな──」
「そうです」
「探すように頼まれてる刀剣が、それってこと?」
「多分……。ただ形は刀剣とは限りませんよ。どこかの古道具屋にあるかもしれない、というのも嘘でしょう。呪物はその顧客の手元にあるはずです」
彼に語って聞かせた昔話の、陰陽師崩れの老人の作ったような呪物が、実際にあるとは真久部も思っていない。ただ、似たような方法で作られたものが存在するとは知っている。この商売を始める時、古道具の“声”を聞くのが趣味という変人の伯父から言われたのだ、そういう品物は異様な存在感を放っているから、すぐに分かる。どれほど魅力的に見えようと、決して扱ってはならないと。
いずれにせよ、ほんの数分繋がっていただけの彼の携帯を通し、真久部がその禍々しさを感じられたくらいだ、今回の顧客が持っているのは間違いなくそういったたぐいの呪物だろう。それに、真久部がかつて出合ったことのある、尋常では無い妖気の漂う青磁の壷と似た気配も感じる。所有しているだけで障りがあるはずだ。
おそらく、相手はそれを持て余したのだろう。どうにかしてその力を削ぐか、薄めるかしようとしている。彼はそのために利用されかけたのだ。凝りに凝り、固まって、限界まで圧縮された“呪”を僅かでも解き、分散させるために。
真久部が気づかなければ、彼は遠からず命を落としていたかもしれない。──そんなことになる前に、彼の方からこちらに来てくれてよかった、と思う。
「……」
ちらりと頭を過った、あったかもしれない最悪の事態を、真久部は軽く息を吐いて追い払った。もう彼は大丈夫、自分は貴重な話し相手兼店番要員を失うことはない──。
密かに胸を撫で下ろしながら目の前の彼を見ると、顔色が悪い。怖がらせてしまったようだ。どうも自分はこういう説明が上手くない。
どう言ったら彼は怖くないかなぁ、と真久部が考えこんでいると、彼の低い声が聞こえた。
「呪いを解くなんて、そんなこと、俺に出来るわけないじゃないですか……」
俺、陰陽師の末裔とかじゃないし! と、この帳場の狭いエリアだけで小さく叫ぶ、という器用なこと彼はした。どうやら沈黙に耐えかねたようだ。
「知識とか無いし。その手のこと、何も知らないんですからね!」
「うーん、でもねぇ……」
真久部は彼が忘れてしまっていることを指摘する。
「利用された男だって、何にも知りませんでしたよ? 自分が何をさせられていたのか」
死んだその瞬間にさえ。そう言うと、彼は黙り込んだ。
「……」
「──すみません」
真久部は素直に謝った。じっとりとした彼の眼が、「怖い話はもう止めてください」と訴えていることに気づいたのだ。
「でも、何でも屋さんたら危機感が無いから」
そう、彼にはいつだって危機感が無い。良い意味で鈍いのだ、大海原でのんびり昼寝でもするみたいにぼーっと浮かんでいるという、不思議な形をした魚、マンボウのように──。それが却って彼の身を守っているということも、真久部はちゃんと知っている。けれど、今回のような場合には、完全に裏目に出てしまう。
「こういうのはね、使われる本人は何も知らなくていいんですよ。むしろそのほうが都合がいい」
「……どうしてですか?」
聞きたくないけど聞かないわけにもいかない、というふうに彼が訊ねてくるのへ、真久部は端的に返した。
「操りやすいから」
「そんな、人を頭空っぽの人形みたいに……!」
大きな声を出しかけて、慌てて彼は口を押さえる。
「僕はそこまで言ってないけど──うん。まあね」
術者にとってはそんなものかもね、とあっさり頷いてみせると、分かりやすく彼は落ち込んだ。
「まあまあ」
塗りの茶菓子入れから小豆煎餅を出して、勧めながら真久部は彼を慰める。
「呪物というのは、丹念に織り上げられた布、きっちり組み上げられた紐のようなものです。力の強いものを作ろうとすればするほど、緻密で複雑な作業が必要になってくる。そのために、術者は扱いやすい真っ直ぐな糸を欲し、それが昔話に出て来た男や、何でも屋さんのような存在です。正直で、善良で、勤勉。誘導すれば思った通りに動いてくれる」
「……なんか、正直者は馬鹿をみる、って言われてるような気がするんですけど」
「気のせいですよ」
「本当に?」
「もちろん。……どうしてそんな疑り深い目で僕を見るんですか?」
不信も
「──気のせいですよ」
どことなく平坦な声でそう答えると、彼は何故か自棄気味に小豆煎餅を齧った。パリパリッと小気味の良い音がする。どうしたんだろう、と真久部は思ったが、本人が気のせいだと言うのだから気にしないことにした。
「そうですか。じゃあ、話を戻しますね。──真っ直ぐな糸は、術を成就させるのに確かに良い道具です。術者にとってはとても使い勝手がいい。けれど、真っ直ぐなゆえに、想定外の事態を引き起こすことがある……どういうことか、分かりますか?」
分からない、と彼は首を振る。真久部はふふっと笑った。種明かしは楽しい。
「“道具”が正直すぎると、術者の計算が狂うんだよ。計算といっても、しょせん自分が基準だから、ある種の厭らしさがあるんだね。扱いやすい人形だと、術者が侮った人間の、まさにその正直さと善良さにしてやられ、慌てふためく姿を思うと、笑えるよねぇ」
──実は昔話の老人も、本当はそこまで強力な呪物を作るつもりじゃなかったっていいますよ。
そう続けると、彼は疑わしそうに真久部を見た。
「そうなんですか? 嫌だけど、相手の性格を知り尽くして、計算通りに利用し尽くしたように思えますよ。すごく嫌ですけど」