第335話 芒の神様 14

文字数 2,347文字

僕は、何と言ったらいいのかわかりませんでした。ただ、あの子が僕のことを心配してくれていたことだけはわかりました。寂しいのだということも……。


 ねえ、きみはここに一人でいて、寂しいんだよね。
 僕といっしょにおいでよ。
 お父さんとお母さんに頼んであげる。
 うちに来て、いっしょにテレビ見よ。
 それから、いっしょに伯父さんのお話聞こ。面白いんだよ。
 またいっしょに遊ぼうよ。

   我はこの地から動けぬ

 え? なんで?

   この地を統べよと
   古主様に定められたが故に


統べる、の意味を教えてくれてから、あの子の昔語りが始まりました。
 

   かつて、この地は草も生えぬ荒地であった
   その麓に、我の生まれた村があった

   我ら母子は村はずれに住まいしていたためか
   悪疫が流行っても罹らずにいた
   だが、それを村人たちは怪しみ、憎み
   悪疫は化け物の我の仕業である、と断じた
 
   我の命を奪えば悪疫は終息せんと
   我を殺しに来たのだ

   我は母に逃がされたが、母は殺された
   逃げよという母の声、村人たちの怒号
   追いかけられ、我は逃げた
   忌み地とされ、誰も立ち入らぬこの地に
   我は逃げた
   
   追われ、必死に走って、走って……
   岩の裂け目に落ちたのよ

   死ぬ瞬間、母への申しわけなさを思った
   我を産まずば、父も姿を消さず、村八分にもされず
   母は、もっと楽に生きられたのではないかと

   それでも我を捨てず、虐げず、慈しんでくれた母への
   申しわけなさを思った
   
   自らの生が短いのは、わかっていた
   身体が弱く、日の光も浴びられぬ
   いまも、落ちて岩にぶつけた傷よりも
   日差しに当たって火ぶくれになった肌が痛い
   
   だが、こんなふうに、追われて殺されるとは

   ああ、我も村の子と同じように
   明るい日差しの中で、遊びたかった
   働いてばかりの母の、手助けがしたかった
   母の、力になりたかった

   頑丈な身体が欲しかった
   いっぱいの日を浴びても負けぬ
   頑丈な身体が欲しかった
   
   そうすれば、茅をいっぱい取ってきて
   小屋の屋根を葺けただろうか
   雨漏りのする中で、母と二人
   惨めに肩を寄せ合うこともなかっただろうか──
   
   消えゆく意識の下でそんなことを思ったとき

      頑丈な身体が欲しいか

   頭の中に声が聞こえた

      欲しいか、頑丈な身体が

   ほしい

      欲しいか、強い日にも負けぬ身体が

   ほしい

      なれば、そちを茅にしてやろう
      茅は強い 頑丈だ きつい夏の日にも負けぬ
      葉は枯れても 根は枯れず
      年ごとに芽吹いてまた背を伸ばす
      そちを茅にしてやろう
      
      その地に茅を生やしたかったが
      良い守り主がおらぬでな
      守り主がおらずば その地に茅は生えぬ

      そちは茅の良い守り主になろう
      励むがよい

   そうして、気づけば我は茅になっていた
   茅とは薄
 
   薄になって、腕を、足を伸ばした
   あんなに痛かった日差しが、今は心地よい
   我が手を伸ばせば、村人は腰を抜かして逃げて行った
   我が足を伸ばせば、忌み地を全て覆い尽くせた

   我はこの地を統べる者
   そちといっしょに行くことはできぬ


あの子の話は難しすぎて、僕にはわからなかったけれど、映画を見るように、頭の中に映像が浮かんだ。病み窶れ、目ばかりギラギラさせながらあの子を追いかける村人たち。彼らの手には鋤や鍬が鈍い光を放ち、鉈には血がこびりついている。

岩ばかりの荒地を逃げるあの子。遮るもののない眩しい日差しの中、あの子の肌は火傷のように真っ赤になっている。目蓋も腫れあがり、目があまり見えないのか、何度も躓く。それでも足を動かすあの子。けれど重なる岩のその向こう、大きな亀裂があるのに気づかず足を踏み外し、落ちた。

嫌な音がした。

あの子を追いかけていた大人たちは、喜びの声を上げた。子供が、あんなところに落ちたというのに。

でも、薄が生えてきた。

あの子が落ちた岩の裂け目から、長い茎と長い葉を持った薄があふれだす。日を弾くそれは銀色に輝いて、さっきまで、喘ぎながら必死に走っていたあの子の髪のよう。後から後から薄が広がっていく。岩を突き破り、地の底から噴き出した溶岩の流れのように、荒地を覆って薄の原になっていく。

村人たちは腰を抜かした。血走った目は恐怖に満ちて、わななく口は意味のない声を上げる。這うように元来た道を戻ろうとするが、薄の広がるほうが早い。たちまち彼らは薄に閉じ込められる。猛烈な勢いで伸びる薄に身体を突き破られるかと恐慌するが、そんな彼らなど一顧だにせず、薄はただ丈高く伸び広がっていく。

やがて薄は彼らの村近くまで押し寄せてきた。あの子が住んでいたらしいみすぼらしい小屋、その前でこと切れ、放り出されていた母の骸を包むと、そこで止まった。薄は、大事に大事に母を包み込み、葉を結び合い、大昔の貴人の墓のように、丸く盛り上がった。

這う這うの体であの子の薄の中から逃げ出してきた村人たちは、一瞬で変わってしまった景色に驚いた。そして、そこにある、薄でできた大塚が、あの子の母の死体のあったところだと気づくと、恐れに慄き、喘ぎながら村に逃げ帰った。

あの子とあの子の母を虐げ、殺した村は、そのまま悪疫に人を減らし、生き残りは散り散りになり、打ち捨てられたまま雑草に呑み込まれることになった。

だけれどそれは、もちろんあの子のしたことではなく、当時どこにでもあった、不運な出来事のひとつでしかなかった。
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