第41話 舌出しの暑がり犬 前編
文字数 2,060文字
七月、とある日。
曇り空の下、少ない街路樹にしがみついて必死に自己主張する蝉の声を聞き流し、駅裏ビルの間を数えてひいふみぃ……そこだけへこんだ半地下階段を下りると、古美術雑貨取扱店慈恩堂の古ぼけた看板が迎えてくれる。
「やあ、何でも屋さん」
ドアを開けると、ふさふさのハンディワイパー片手に振り返るのは真久部さん。慈恩堂の店主だ。もう片方の手には白い髭のような筆を持っていて、どうやら小物の埃を掃っているところだったらしい。
「こんにちは。精が出ますね」
こういう細かいものを沢山置いてると、手入れが大変なんだよな。ここの店番頼まれた時に俺もやったりするけど、ひとつの埃を掃うのに夢中になってると、他のを棚から落としそうになったりするから気が抜けないんだ。
「狛田さんのお使いで来ました。犬の置物を受け取りに来たんですが……」
来店の理由を伝えると、真久部さんは大袈裟に息をついてみせた。
「なんだ……。てっきり今週の店番了承してくれたのかと思ったのに」
「それはまあ、いやー、あはは」
慈恩堂の仕事はいつも支払いに上乗せしてくれるから、有り難いっちゃあ有り難いんだけど、何だかなあ……。五月の祠巡り、アレ怖かったよホントに。依頼主は竜田さんだったけど、俺を紹介というか推薦したのは真久部さんだったらしいし……。今日だって店入った瞬間、何でか木彫りの大黒さまがやたら黒光りして見えて怪しかったし……。
「ふふ。どうやって断ろうかと悩んでるみたいだね?」
そ、そんなことないですよ、と取り繕うのを読めない笑顔でスルーして、真久部さんは奥のほうから小さな箱を持ってきた。指輪やイヤリングの化粧箱が入るくらいの大きさだ。帳場の文机の上で蓋を取ると、中を見せてくれる。パッキン代わりの綿の中に鎮座していたのは。
「置物ってこれですか? こんな小さい……これって、狛犬?」
俺の親指の先くらいの大きさの、陶器で出来た犬が一対。これはどう見てもミニチュア狛犬。あるいはシーサー?
「狛犬でもシーサーでもないんだ、これが」
俺の心の声が聞こえたみたいに店主は訂正する。
「ほら、どっちも舌を垂らしてるだろう? 阿吽の対じゃないんだよ。よく見てごらん、ほら、色も微妙に違うでしょう」
ホントだ。片方はダークグレーで、もう片方はライトグレーだ。どちらも同じように舌を出してるけど、片方は垂れ耳、もう片方は小さな三角耳。形が違う。でも、顔は似てるんだよなぁ。舌出してるからじゃなくて。
「──同じ作者の作品ですか?」
俺に出せる答はそれくらい。
「そう。おそらくはね」
店主は頷いた。
「彼らは兄弟犬なんだよ。所有者が先月亡くなったらしいんだが……」
急に低くなった声にびびる俺。構わず話し続ける店主。やめて。怪談語るみたいにするのはやめて。
「犬好きな人だったらしいよ。でも転勤の多い仕事で飼えなくて。その代わり、子供の頃飼っていた犬によく似たこの置物をいつでも持ち歩いていたんだって。亡くなってから、形見分けでもらった親族の一人が故人を偲んで部屋に飾っていたらしいんだが、夜になると……」
真久部さん、目が笑ってる。またこの人は怖がらせようとして、もう……。と思いつつ、先手を打って有り得ない方に話を振ってみた。
「と、遠吠えでもするんでしょ?」
「まさか」
否定されて内心ホッとした。それなのに。
「大好きな飼い主がいなくなったんだもの。遠吠えする元気も無いよ。仔犬が親を探すようにクンクンキュンキュン鳴くらしい」
有り得るのか。遠吠えと違うけど、鳴くのは有りなのか。
「そ、そうなんですか……」
どん引きの俺の相槌を、そ知らぬふりでしらっと受け流し、店主はさらにこの置物の犬について語る。
「さすがにその親族も参ってしまったらしくて。相談を受けたのがたまたま僕の知り合いの神主でね、その縁でうちの店で預かることになったんだ」
「さ、さすが真久部さん。色んな伝手があるんですね」
びびりながらも、俺は一応称賛しておいた。
「それで、どうして狛田さんに?」
確かに狛田さんは犬の置物コレクターだけどさ、何でわざわざそんないわく付きのものを勧めるのか。
「うーん、この舌出しの暑がり犬、本当は五匹兄弟なんだよ」
「へ?」
「思い出したんだ。ずっと前、狛田さんに売ったのとそっくりなんだよ。色の濃淡や細かいところは違ってるけど、あの三匹とこれは共通点がありすぎる」
「いや……だけど、俺、これに似たのは見たことないなぁ……」
俺は頭の中に狛田さんのコレクションを思い浮かべた。だいたい月イチで掃除を頼まれるから、あのコレクション部屋にあるなら覚えてるはずなんだけど。今日だってそのついでに慈恩堂へのお使いを頼まれたんだし。
「分からないけど、多分台所にあるんじゃないかな?」
何故、台所。きょとんとしてると、店主は続けた。
「箸置きだから、この犬」
曇り空の下、少ない街路樹にしがみついて必死に自己主張する蝉の声を聞き流し、駅裏ビルの間を数えてひいふみぃ……そこだけへこんだ半地下階段を下りると、古美術雑貨取扱店慈恩堂の古ぼけた看板が迎えてくれる。
「やあ、何でも屋さん」
ドアを開けると、ふさふさのハンディワイパー片手に振り返るのは真久部さん。慈恩堂の店主だ。もう片方の手には白い髭のような筆を持っていて、どうやら小物の埃を掃っているところだったらしい。
「こんにちは。精が出ますね」
こういう細かいものを沢山置いてると、手入れが大変なんだよな。ここの店番頼まれた時に俺もやったりするけど、ひとつの埃を掃うのに夢中になってると、他のを棚から落としそうになったりするから気が抜けないんだ。
「狛田さんのお使いで来ました。犬の置物を受け取りに来たんですが……」
来店の理由を伝えると、真久部さんは大袈裟に息をついてみせた。
「なんだ……。てっきり今週の店番了承してくれたのかと思ったのに」
「それはまあ、いやー、あはは」
慈恩堂の仕事はいつも支払いに上乗せしてくれるから、有り難いっちゃあ有り難いんだけど、何だかなあ……。五月の祠巡り、アレ怖かったよホントに。依頼主は竜田さんだったけど、俺を紹介というか推薦したのは真久部さんだったらしいし……。今日だって店入った瞬間、何でか木彫りの大黒さまがやたら黒光りして見えて怪しかったし……。
「ふふ。どうやって断ろうかと悩んでるみたいだね?」
そ、そんなことないですよ、と取り繕うのを読めない笑顔でスルーして、真久部さんは奥のほうから小さな箱を持ってきた。指輪やイヤリングの化粧箱が入るくらいの大きさだ。帳場の文机の上で蓋を取ると、中を見せてくれる。パッキン代わりの綿の中に鎮座していたのは。
「置物ってこれですか? こんな小さい……これって、狛犬?」
俺の親指の先くらいの大きさの、陶器で出来た犬が一対。これはどう見てもミニチュア狛犬。あるいはシーサー?
「狛犬でもシーサーでもないんだ、これが」
俺の心の声が聞こえたみたいに店主は訂正する。
「ほら、どっちも舌を垂らしてるだろう? 阿吽の対じゃないんだよ。よく見てごらん、ほら、色も微妙に違うでしょう」
ホントだ。片方はダークグレーで、もう片方はライトグレーだ。どちらも同じように舌を出してるけど、片方は垂れ耳、もう片方は小さな三角耳。形が違う。でも、顔は似てるんだよなぁ。舌出してるからじゃなくて。
「──同じ作者の作品ですか?」
俺に出せる答はそれくらい。
「そう。おそらくはね」
店主は頷いた。
「彼らは兄弟犬なんだよ。所有者が先月亡くなったらしいんだが……」
急に低くなった声にびびる俺。構わず話し続ける店主。やめて。怪談語るみたいにするのはやめて。
「犬好きな人だったらしいよ。でも転勤の多い仕事で飼えなくて。その代わり、子供の頃飼っていた犬によく似たこの置物をいつでも持ち歩いていたんだって。亡くなってから、形見分けでもらった親族の一人が故人を偲んで部屋に飾っていたらしいんだが、夜になると……」
真久部さん、目が笑ってる。またこの人は怖がらせようとして、もう……。と思いつつ、先手を打って有り得ない方に話を振ってみた。
「と、遠吠えでもするんでしょ?」
「まさか」
否定されて内心ホッとした。それなのに。
「大好きな飼い主がいなくなったんだもの。遠吠えする元気も無いよ。仔犬が親を探すようにクンクンキュンキュン鳴くらしい」
有り得るのか。遠吠えと違うけど、鳴くのは有りなのか。
「そ、そうなんですか……」
どん引きの俺の相槌を、そ知らぬふりでしらっと受け流し、店主はさらにこの置物の犬について語る。
「さすがにその親族も参ってしまったらしくて。相談を受けたのがたまたま僕の知り合いの神主でね、その縁でうちの店で預かることになったんだ」
「さ、さすが真久部さん。色んな伝手があるんですね」
びびりながらも、俺は一応称賛しておいた。
「それで、どうして狛田さんに?」
確かに狛田さんは犬の置物コレクターだけどさ、何でわざわざそんないわく付きのものを勧めるのか。
「うーん、この舌出しの暑がり犬、本当は五匹兄弟なんだよ」
「へ?」
「思い出したんだ。ずっと前、狛田さんに売ったのとそっくりなんだよ。色の濃淡や細かいところは違ってるけど、あの三匹とこれは共通点がありすぎる」
「いや……だけど、俺、これに似たのは見たことないなぁ……」
俺は頭の中に狛田さんのコレクションを思い浮かべた。だいたい月イチで掃除を頼まれるから、あのコレクション部屋にあるなら覚えてるはずなんだけど。今日だってそのついでに慈恩堂へのお使いを頼まれたんだし。
「分からないけど、多分台所にあるんじゃないかな?」
何故、台所。きょとんとしてると、店主は続けた。
「箸置きだから、この犬」