第30話 コンキンさん 2

文字数 3,214文字

次は、と。西に向かって百メートル。うん、こっちも獣道みたいにかすかな道筋が出来てるな。密かに竜田ロードと名付けようか。時折の風にざわめく深い草叢と、繁茂する低木、たまにあるちょっと背の高い木。白い金平糖を盛ったみたいにもこもこ咲いてる初夏の花たち。

どこかで鳥が鳴く。

 へほへ へほへ へほへ

……うん、いつ聞いても力が抜ける声だな。何ていう名前か知らないけど、俺と弟は「へほへの鳥」って呼んでた。──ああ、そうだ。あの時あの山のハイキングコース。弟と二人で「へほへの鳥を探しに行こう!」って道から逸れてさ。それで迷子になりかけたんだっけ。母さんと父さんにこっぴどく叱られたなぁ……。

 へほへ へほへ へほへ

まあ、なんだ。この間の抜けた鳥の鳴き声を聞いてると、忘れてた子供の頃のことが思い出される。不思議だな、へほへ。

そんな鳥の声に導かれたってわけでもないけど、三つめの祠も無事見つかった。先の二つと同じくらい薄汚れ……いや、とても自然に周囲の草木に溶けけ込んでるなー。よし、清掃清掃。周囲の草も刈ったり抜いたり。

ふう。すっきりさっぱりきれいな仕上がり。さすがだな、俺。自画自賛。

この祠に供えるのは、清酒。有名どころのじゃないけど、どっかの地酒。旨いらしい。七百二十ミリリットル瓶を開封し、紙コップに注いで祠の前に置く。残った酒は瓶ごとその隣に。

さて、手を合わせ、先の二つの祠に願ったのと同じことをまた祈る。一年間の感謝と、次の一年に向けた願い。おまけで竜田さんの早期退院。

神妙に手を合わせた後は、さっそく最後の祠に向かうことにする。四つめの祠はここから南の方向にまたもや百メートル歩いたところにあるようだ。

細い細い獣道のような、俺命名の竜田ロードを南に向けて辿り始めた時、またもやあの喧しいエンジン音が遠くから聞こえてきた。


 ぼぼぼっぼぼっぼばぼばっぼぼぼぉぉぉ~!


……まだこの辺走ってるのか、あの車。こんな田舎道で誰に向かって示威行動してるんだろう。今だってこの辺にいるの、俺くらいじゃないかなぁ? 意味無いよな。

ホント、暇人だよな、と思いつつ、生い茂る草叢と緑の木々を掻き分けて、俺はついに四つめの祠にたどり着いた。おお、祠の背後を固める南天の木、今が花盛りじゃないか?

地味だけど、小さくて可愛い花が沢山集まってる。南天の花は、星の集まりみたいだ。

ここでも俺は清掃道具を取り出して、祠から一年間の汚れを落とし、周囲の草を刈った。ふう、清々しいほどきれいになったぜ。俺、頑張った。

己の仕事に満足の息をもらし、俺はこの四つめの祠にも御供え物をした。ここでの供物はお菓子。今の流行りの菓子を、と任されたんで、<おいしい棒>を選んでみた。「チーズ味」「明太子味」「サラダ味」「カレー味」「わさびしょうゆ味」の五種類。うん。駄菓子でいいんだってさ。

全部包装を解いて、紙皿に盛りつけ、祠の前に供える。それから、本日最後の合掌。半日かかった祠回りがようやく終わる。そのことにほっとしながらも、先の三つの祠に祈ったのと同じように、一年間の感謝と次の一年の加護を願う。──何に対する加護かは知らん。そこらへん、「よろしくお願いします」で済むのが日本語のいいところだと思う。

あ、あと、竜田さんの病状快復な。

「何卒、お願いします……」

小さな声で祈りを終えて、さて、と立ち上がった時。
何かが、ピシッ、と音を立てて張り詰めた気がした。

「……?」

今の、何だろう? 俺は周囲を見回した。視界に変わりは無い。見違えるほどきれいになった祠と、同じくきれいに刈った草。ついさっき、供え物をして手を合わせた時と同じだ。だけど……、何て言ったらいいんだろう? ゆるんだ昼休みの時間からいきなり授業中になったみたいな。いいや、違うな、もっと、こう……

何かのスイッチが、入ったみたいな感じ。

──そんなことを思った瞬間、俺はその場で飛び上がるほど驚いた。


 オオオオオオオオーオオーオオウ──……


低い、低い声。その場に響いて轟くほどの。
何これ、何これ、何これ。

誰の声? ここには、俺だけしかいないはず。

改めてそのことに気づいた時、ぶわっと全身の肌が粟立った。

怖いのか何なのか分からない。頭が真っ白になって、そこから動けなかった。ただひたすらに畏れ、平伏したいと無意識に思わせる──。

圧倒的な、何か。

ああ、目を開けて前を見ているはずなのに、何も見えない。この、まま……お、れ、は──

ふぅっと意識が途切れそうになり、俺は目を閉じた。いきなり生じたひどく頼りない体感は、現実感を遠いものにする。このまま倒れて果てるのか? そう思った一瞬の空白に、先ほどまで俺を支配していた何かが消え失せた。

「え……?」

目の前には、祠。さっき清掃して草刈りして御供え物を供えた……、って、あれ?

「おいしい棒が、消えた……?」

紙皿に盛って供えたはずの、おいしい棒が無い。五本とも。紙皿だけがそこにある。

おかしいな。俺、供えたつもりで供えてない? そう思って横に置いていたバッグの中を見たら、おいしい棒の包装だけがコンビニ袋の中から出てきた。帰ってから捨てるつもりで中に入れてたんだ。

ってことは、確かに供えたということになる。

ささーさーっと風が吹く。草叢の上を渡っていく。何ごとも無かったみたいに。俺は、どう考えればいいんだろう。

そんなふうに立ち尽くし、悩んでいる間も風が吹く。ざざーざー……揺れる草の海に沈められるみたいだ。

 ざざーざー
  ざざーざーん
   ざざざーざーんざーん

風が、強い。それの生み出す草の波も。

──あ、そうか。

「風でどっか転がっていったんだな!」

おいしい棒、横向きだと転がりやすいもんな。紙皿に盛るときだって、うっかりすると丸太みたいに転がってたし。おまけに軽い。だから突風に飛ばされたっていうのが一番有り得そうだ。

思えば、さっきの声みたいなのも風だろう。太い草の根っこの隙間なんかを、強い風が吹き抜けて笛みたいな音になったんだ。何ていったっけ、そう、虎落笛(もがりぶえ)。冬の季語だから季節外れだけど。

風の音を怖がるなんて、俺は子供か! 空耳で、実はちびりそうになったなんて、恥ずかしくて誰にも言えない。

「はあ……」

俺は思わず溜息をついていた。だけど、まあいいか。この四つめの祠で最後だからって、気が抜けてただけだ、うん。帰ってから依頼主に報告するまでが仕事なんだから、しっかりしないと。俺は、ぱん、と顔を叩いて気合を入れる。 

「さて、帰るか」

俺は清掃用具などの荷物をまとめた。残っていた紙皿もついでに回収しておいしい棒の包装と一緒にまとめる。──風でどっか行っちゃったとはいえ、一応お供えはしたんだし、こういうのは筋を通したならそれでいいんだと慈恩堂の店主も言ってた。

だけど……。

俺はやっぱり紙皿を祠の前に戻して、自分用に持ってたアンパンを供えた。
ま、何ていうか、どうしてもこう、気になる。だからやっぱりもう一度お供えをしておこうと思ったんだ。

さすがにアンパンは風くらいで転がったり飛んだりしないだろう。
俺は再度祠に手を合わせ、今度こそ帰ろうとした。えーと、バスの時間は……。

来た時に確認しておいたバス停の時刻表を思い出そうとしていると、またもや煩い改造車のエンジン音が聞こえてきた。


 ぼぼっばぼっばばぶぉっばっぼっぼっぶぼっぼぼっ


……なんか、調子悪そうだなぁ。

俺は一番最初の祠からコの字型に移動してきたから、今は元の道に戻ってきてる。だから、すぐにまたあの黒い車が走ってくる姿が見えるはずだった。

果たして。
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